クリームソーダの緑色

「石丸さんはこんな時間まで何やってたの? あなたに居残りの用事なんて無いはずだけど」


 私の言葉に石丸さんは楽しそうに言った。


「相馬さんと勉強してたんです。あと、文化祭の事も話してて。すいません、事前にお伝えもせずに」


「……そう、それならいいけど今度からはキチンと言ってからにしてね」


「はい。すいません」


 ペコリと頭を下げる石丸さんを見ながら、彼女とクラスメイトが机を並べて勉強している姿が浮かんだ。

 最近石丸さんはクラスの女の子と活発に交流を持っているようで、夏休みの間も色々な子達と行動することが増えた。

 元々容姿端麗で頭の回転も良い石丸さんが自ら歩み寄っていく事で、それまであった薄い膜のような壁が急激に無くなり、度々彼女を中心とした女子たちで協力してクラスを引っ張っているようだ。


 最近では学校帰りにも良くクラスの子の家に寄ったりしているっぽい。

 

 でも、お陰で私は以前ほど彼女に付きまとわれずに済んでいる。

 有りがたいことに。

 今や石丸さんと会うのは2週間に1回週末の夜くらい。

 それもお茶を飲んで話をして帰っていく。

 ラインもあの夜から1週間に2回程度の頻度だ。


「じゃあ私はこれで。涌井先生、明日楽しみにしてるわね」


「は、はい。よろしくお願いします」


 深々と頭を下げると市原教頭は教頭室に歩いて行った。

 

「教頭先生とお食事ですか? お気に入りになっちゃってますね」


「そんなんじゃない。ただ仕事の事を話すだけよ」


「先生のこと、もうちょっと吹き込んどきましょうか?」


「結構よ。有り難う。所で今夜は何か……」


 言いかけた言葉は通路の向こうから響いてきた声にさえぎられた。


「有紀ちゃん!」


 静かな校舎に場違いなほど良く通る声を出しながら、ツインテールの女の子が駆け寄ってきた。

 確か1Bの子だったけど名前は知らない。

 

「千里さん、どうしたの?」


「有紀ちゃんの姿が見えたから急いで来ちゃった。良かったら一緒に帰ろう」


「うん、もちろん」


「やった! あ、先生こんにちは」


「こんにちは。もうすぐ6時になるから二人とも早く帰るようにね」


「はい、すいません先生。じゃあ千里さん、帰ろう」


 そう言って二人が出て行った校舎は急に温度が下がったように感じられた。

 

 あの夜は……なんだったんだろう。

 あの7月の夜。

 石丸さんに半ば追い詰められるようにして肌を重ねた時間。

 彼女の白磁のような肌……

 妖しく揺らめく瞳。


 どうでもいい。

 思ったよりも束縛もされていない。

 まして脅迫も。

 ありがたいことだ。


 もてあまし気味の夜をどう過ごそうか考えてながら、周囲のネオンをぼんやりと眺めていると、ふと「カフェ・リエル」が浮かんだ。

 石丸さんが涙ながらに江口先生からの脅迫を訴えてきた場所。

 深い意味は無い。

 だけど、あそこのケーキ美味しかったな……


 うん、そうだ。

 あそこのケーキ、美味しかった。


 ネットで調べてみたらまだラストオーダーまで1時間あったので、行ってみることにした。

 昔の外国映画に出てくる小さな小屋のような外観は周囲の街灯に照らされて、妙な安心感を漂わせていた。

 たまには1人でこういうカフェで過ごすのも悪くない。

 思えばこの2ヶ月は久しぶりと言って良いほどの平穏だった。

 うん、そうだ。

 平穏なんだ。

 全てこのままで行ってくれたらいい。

 うん、平穏なんだ。 


 軽やかな鈴の音を鳴らしながらドアを開けると、同じく軽やかな声で「いらっしゃいませ。1名様ですか」と言う声が聞こえる。

 頷いて店内を見回した私は、思わず息が止まった。


 奥のテーブルには先ほどの子……千里と呼ばれてた1Bの子と石丸さんがテーブルに背中を見せて隣同士で座っていた。

 そして……二人はお互いの手を触りあっては何か楽しそうにクスクス笑っている。


「店内空いてますので、お好きな席にどうぞ」と言う店員の声も耳に入らず、自分がぼんやりとその場に突っ立ってしまっている事に気付き、慌てて会釈して店内に進んだ。

 一瞬、店を出ようかと思ったけど、二人のじゃれあっている様子から何故か目が放せなかった。

 なんで……


 自分の感じている動揺の正体が分からず困っていたけど、やがて放課後にカフェに立ち寄るのは校則違反だと言う事を思い出して、ホッとした。

 そうだ。

 石丸さんと1Bの子がしてるのは明らかな校則違反。

 注意して反省させないと。

 それでこんなに焦ってたんだ。


 二人は私に気付いていないようで、今度は携帯で何かを見せ合っては笑っていた。

 石丸さん、あんな顔も出来るんだ。

 私には何を考えているのか分からないような、いつも何か隠してるような雰囲気しか見せてないのに。


 私は気がつくと早足でわざと足音を立てるように二人のほうに歩いた。

 石丸さんはすぐに気付いたようで、振り返ると特に驚いた様子も無く、笑顔で会釈したがもう1人の子は私に気付くと顔をこわばらせて目をそらした。

 そんなに怯えるなら、カフェなんかに来なければいいのに。


「二人とも、どういう事なの? 校則では放課後、お店に寄るのは禁止となっているはずだけど」


 自分の声が想像以上に厳しい事に気付いて内心焦ったけど、後には引けない。


「あ、あの……すいません。お話ししてたら楽しくて……可愛いカフェだったから……」


 1Bの子はすっかりしどろもどろになっていた。

 

「すいません先生。わたしが声をかけたんです。千里さんは嫌がってたけど、私が大丈夫だから……って」


「そんな……! 有紀ちゃん『こういうカフェ好きだ』って言ってくれただけじゃない。私が無理言って……」


「どちらが誘ったとかそういうのはいいです。問題なのは校則を破った事。特に石丸さん。あなたは最近色々と頑張っている事は知ってるけど、こういうことで緩んでたら何もならないんじゃない? 正直がっかりです。中学生らしいお付き合いが出来る子だと思ってたのに」


 話しながら、自分の言葉選びが明らかに間違えてきているのが分かった。

 だけど、次々と浮かんでしまう。

 

 石丸さんは無表情でじっと手前のクリームソーダを見ていたが、そこからは真意を読み取る事ができなかった。

 いつもそう。

 私には決して本当の顔を見せない。

 隣の子にはあんな笑顔を見せているのに。

 ああ……クリームソーダの緑がなぜか目障りだ。

 

 これじゃ私、悪者じゃない。

 二人の少女を引き裂く悪者……

 私にはあんな卑怯な方法で身体を奪ったのに。

 子供のように身も心も手のひらで転がしてたくせに。


「反省しています、先生。もう二度とこんな事は致しません」


「私の目を見てしゃべりなさいよ!」


 言った瞬間(しまった)と思った。

 今のは駄目だ。

 1Bの子を見ると、目を見開いて表情がこわばっている。

 石丸さんも私の目を見ていたが、そこには微かな驚きが見えた。

 やっちゃった……

 さっきのは教師の域を逸脱している。

 

 動揺して視線が泳いでしまう。

 呼吸が荒い。

 焦りながら必死に呼吸を整える。


「ゴメンね……つい言い過ぎたわ。あの、あなたには期待しているの。大切な生徒だし……」


「私の事を思ってそんな強く叱ってくださったんですね。嬉しいです。本当に有難うございます」


 そう言って石丸さんは深々とお辞儀をした。

 それを見て、1Bの子も同じく深く頭を下げる。


「ホントすいませんでした!」


「……いいのよ。二人とも反省してるみたいだし、今回は見なかったことにしてあげる。今後は放課後はちゃんと家に帰りなさい。決まった時間までなら着替えた後で遊びに行けばいいんだから」


 そう言うと、背中を向けて足早に店を出た。

 まだ心臓が激しく音を立てている。

 店を出てすぐ近くの横断歩道で立ち止まると、店内を見た。

 すると、帰り支度をしながら石丸さんがじっと私を見ていることに気付いたが、離れていたためどんな表情をしているか分からなかった。


 そんな石丸さんから逃げるように歩きだすと、突然私の携帯が鳴ったので確認すると石丸さんからのラインだった。


 酷く鳴り響く心臓の音を聞きながら確認すると「今夜、アパートに行ってもいいですか?」と短い文面が書いてあった。


 




 

 

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