透明人間

「涌井先生、ばいばい!」


「はい、さようなら」


「涌井先生! 今から時間ある? ちょっと彼氏との事で相談があるんだけど」


「う~ん、ゴメンね。ちょっとテストの採点とかあるし……それに学校の決まりでそういうプライベートなことにはちょっと」


「ちぇっ、なんだ。まあいいや! 今度ハーモニーランドに行くから、その心構え聞きたかっただけだし」


 ハーモニーランドって、あの超有名テーマパークだ。

 しかも入場料含む各種料金もメチャクチャ高い。

 最近の中1って……

 私が中1の頃なんて、帰りにフードコート行くのだって心臓破裂しそうだったのに……

 そう思いながら、駈けだしていく生徒の後ろ姿を見た。

 

 自分で言うのも何だけど、生徒……特に女子生徒からは結構受けがいいと思う。

 有り難いことだ。

 今時の女子は怖いから、敵に回すと一つの生き物になったかのように徒党を組んで攻撃する。

 先輩から延々愚痴られてたので、毎年新たなクラスを受け持つたびヒヤヒヤしている。


 さて、みんな帰ったから最終点検して、職員室に戻って残りの仕事片付けるか。

 今日は金曜日。

 やっと連休になる。

 冷やしておいたビールを飲みながら、撮りだめしてたドラマを見るんだ。

 そして、最近買った贔屓の子の写真集を見よう。

 それを想像するだけで胸が高鳴る。

 いい年した女子がビールとドラマと写真集に胸躍らせるなんて、と思うが仕方ない。

 私だって、本当は恋がしたい。

 ドラマのような非日常な出来事に巻き込まれたい。 

 でも……どっちもあり得ない。

 

 自分が同性愛者だと自覚したのは中学3年の時だった。

 同じ陸上部の先輩が走り終わった後、彼女の赤く火照った顔と潤んだ瞳。

 そして彼女の香りを感じた途端、目が離せなかった。

 その夜は先輩の事を……今寝ているベッドの中での先輩と私の甘い爛れた姿を空想しながら、一睡も出来なかった時間でハッキリと自覚した。

 

 結局その先輩とはそれ以上の関係にはなれなかった。

 告白してダメだったときの恐怖感に勝てなかったのだ。

 それ以降も、この歳になるまで私は一度も誰かに告白などしたことが無かった。

 何人もの女性を好きになってきたのに……

 当時は……今もだけど、こと恋愛に関しては、私を取り巻く世界はまるで魔女狩りの時代に戻っているように感じられる。

 

 周囲に知られたら終わり。

 私の存在そのものが終わる。

 その恐怖感から、私は自分を透明人間にしようと務めた。

 敵を作らず、波風立てず。

 良き友人、良き同僚や先輩、従順な後輩であるよう努めた。

 恋愛には興味ありません。

 仕事が恋人です。


 そこまで考えて私は小さく首を振った。

 もういい。

 こんなの労力の無駄だ。

 誰も透明人間の私に興味などないんだから。 

 1人で生きていくのだって幸せだ。


 車に乗り込んだ途端の大雨。

 ほんと、私って運がいい。

 何を思ったのか傘を忘れてきてたので、ずぶ濡れじゃ目も当てられない。

 何せ、帰りにコンビニによって大好きなビーフジャーキーを買っていこうと思っているので。

 今回見る予定のドラマは、主演の少女が贔屓なので特に楽しみだった。

 小学生なのに大人びた雰囲気と年齢相応の透明感があり、見る度に胸がときめく。

 思わず写真集も買ってしまった。

  

 そして……口にするのもはばかられるが、その子を贔屓にしているのは……石丸さんに似ているからだった。

 ドラマを見るたび、石丸さんの姿と重なってしまう。

 そして、その子と彼氏が抱擁している場面を見ると、彼氏と自分を重ねて訳も無く吐息が漏れる。

 写真集の中の水着姿やパジャマ姿を見ては石丸さんに重ねてしまう。


 担任なのになんて事を……

 自己嫌悪と共に、安全な場所から禁断の扉に触れているような、甘美でほどよく楽しめる罪悪感に酔う心地良さに夢中になっていた。

 両親を大学時代に亡くしたので、部屋に入る人はいない。その点も安心だ。

 

 そんな事を考えながら運転してると雨はますます強くなってきた。

 これ、コンビニもキツいかな……

 仕方ない、冷蔵庫の中のチャーハンで我慢するか。

 そう思いながらコンビニを通り過ぎ、自宅アパートの駐車場に入ろうとしたとき、ヘッドライトの端に人影が突然現れた。


 うそ!

 

 私は驚いて、急ブレーキをかけた。

 車は人影の少し前で止まった。

 車内に響き渡っているのかと思うくらいの音で心臓が鳴っている。

 信じられない、こんな雨の夜に飛び出すなんて……

 頭に血が上った私は、雨にも構わず外に出た。

 一言文句言ってやらないと。

 そう思っていた私の足は、目の前の人物を見た途端その場に固まった。


 そこに立っていたのは、制服のブレザーをずぶ濡れにして呆然とたたずんでいる石丸さんだった。

 彼女は私を見てポツリと「先生」と言ったまま立ち尽くしていた。

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