雷鳴と稲妻

 なんで……こんな所に。

 理解が追いつかず目の前の石丸さんを見ていたが、少しの後私の意識は教師としてのスイッチが入った。

 良い方にも悪い方にも。


「石丸さん、どうしたのそんな所で。何があったの?」


 そう言いながら、私の心に湧き上がっていたのは「勘弁してよ」と言う感情だった。

 真っ先に浮かんだのは「イジメ」だった。

 担任の教師にとって自分の受け持ちクラスで発生したイジメは、すなわち自分の評価の大暴落に繋がる。

 まして、自殺未遂なんてされようものなら……

 

 私にとって、透明人間で無くなる数少ない選択肢である出世。

 学年主任やゆくゆくはその上も目指している私にとって「イジメ」と言う枷は最も避けたい物だった。

 そのためにクラス内の雰囲気を良くすること。

 生徒達としっかりコミュニケーションを取ることに努めてきた。 

 

 とにかく彼女に話を聞こう。

 そして、落ち着いてもらう。

 あわよくばその過程で私に「懐いて」もらえればベスト。

 

「石丸さん、なんでこんな所に。ここ、私のアパートって知ってたの?」


 石丸さんは小さく頷いた。


「先生なら……話、聞いてくれると思って……いいですか?」


 いいも何もこっちからお願いしたいくらいだ。

 ただ、どこで……

 本来ならどこかファミレスみたいな、明るくて人目も多いところが良かった。

 そこなら「悩んでいる生徒の相談に乗っている」と明らかに分かるので、誤解されずにすむ。

 ただ、私も彼女もずぶ濡れで、とても人前に出られる格好じゃない。

 と、なると……

 私は誰も見ていないか何度も周囲を確認した後、おずおずと石丸さんに言った。

 仕方ない。

 見られたら最後なので、この場所はできるだけ避けたかったけど……


「良かったら私の部屋に……来る? 身体も暖めないとね」

 

 その途端、石丸さんは唇を少し尖らせて小首をかしげながら私を見た。

 そして薄く微笑むと言った。


「はい、身体が冷え切っちゃって……嬉しいです」


 ※


「じゃあ片付けるからちょっとだけ待ってて」


 そう言って彼女をドアの前に待たせて中に入ると、急いで写真集や百合物のマンガをベッドシーツの中に隠し、参考書や小説を並べ替えてそれらしく整えた後、室内に散らばっている下着や靴下も洗濯機の中に放り込んだ。

 これでいいかな……

 長居してもらうつもりは無いけど、万一見られるかもと思うと気が気でない。

 ホッと息をつくと、出来るだけ余裕たっぷりの雰囲気を出すようにしながらドアを開けた。


「どうぞ。ごめんね、寒かったでしょ」


「大丈夫です……失礼します」


 石丸さんは上品な仕草で頭を下げると、私に続いて中に入ろうとしたが少し躊躇しながら言った。


「あの……靴下もびしょびしょで。お部屋汚しちゃうかも知れないので、タオルを貸して頂ければ」


「別にいいよ。気にしないでそのまま上がって」


「じゃあせめて……」


 石丸さんはそう言いながら、玄関で靴下を脱ぐとハンカチで足を拭いた。


「……靴下とハンカチ貸して。洗濯するから」


 出来るだけさりげなくそう言うと、彼女から靴下とハンカチを受け取った。

 洗濯機に入れると、笑顔でミニテーブルを右手で指し示す。


「座ってて。お風呂沸かすから。身体温めないと風邪引いちゃう」


「あ……いいですよ、そこまで。悪いです」


「遠慮しないで。そんなずぶ濡れのままほっとくわけないでしょ。あなたの担任なんだから」


 そう言ってニッコリと笑うと、石丸さんもホッとしたような笑顔になると頷いた。


「すいません。実は寒くて……」


「でしょ? 無理しないの。こういう時は大人に甘えなさい。特に先生には」


「はい。じゃあ私も一つわがままいいですか?」


「何?」


「先生が先に入ってください。先生を風邪引かせちゃうの嫌です。学校で先生の顔見れなくなるとつまんないから」


 その言葉に顔が熱くなるのを感じたが、慌てて冷静さを保つようにした。

 中1の女の子はそういうものだ。

 慣れた顔がいないとそれだけでテンション下がるんだ……そう……そう。

 

「こういう時まで面白い、つまんないで決めないの。あなたこそ風邪引いたら大変だから先に入りなさい」


「……じゃあ間を取って一緒に入りますか?」


 石丸さんの思いもしない言葉に顔が強ばり、頭が真っ白になった。

 でも、ギリギリで……脳の隅でかろうじて冷静さが戻っていく。


「担任をからかわないの。そういうのは好きな人に言うことでしょ。言葉に気をつけなさい」


 その途端、気のせいだろうか。

 石丸さんの目にわずかに光が浮かんだように思えたが、見直したときには元の暗い色になっていた。

 気のせいかな……


「分かった。じゃあ先生が先に入るから」


 そう言うと先に浴室に入った。

 1人になって湯船に入ると、お湯の温もりが身体に染み渡り緊張がほぐれてくる。

 やっぱり動揺してたんだ……私。

 そして、冷静になると身体が震えてきた。


 これ……マズくない?


 いくら事情があるとは言え教え子を自宅に連れ込み、お風呂に入れようとしている。

 こんな事、学年主任に知られたら真っ先に会議にかけられてしまう。

 そうなったら……下手したら担任を外される。


 今なら間に合う。

 お風呂から出たら彼女の身体を拭いてこう言うんだ。


(やっぱりすぐ家に送るわ。お家のお風呂に入りなさい。ご両親にも先生から説明する。だから事情を聞かせて)


 これだ。

 これなら傷は最小限で済む。

 お風呂に先に入ったことは言わず、私もまた雨に濡れよう。

「あなただけ濡れたままは悪いでしょ?」とか言って。

 で、アパートに上げた事はタオルを取りに行きたかった、とでも言えばいい。

 

 彼女もこの嘘を崩壊させるようなことを言うほど暇じゃない。

 ずぶ濡れになるくらいだ。

 のっぴきならない事情を抱えてるんだろう。

 それに全力で取り組んでやろう。

 そうすれば彼女も黙っててくれるし、懐いてくれやすくなる。


 よし。

 そう決めるとすぐにお風呂を出て、急いで身体を拭いた。

 その時。

 私の耳に微かに布のこすれる音がした。

 え? 今の……シーツ?

 頭に一気に血が上ったような感覚と共に、慌てて服を着て部屋を覗いた私はギョッとしてその場に立ちすくんだ。


 石丸さんは最初の場所から動いていなかった。

 ただ、ブレザーを脱いでおり上半身が濡れたキャミソールだけだった。

 濡れたキャミソールの下に、透き通るような肌色。

 そしてハッキリと分かる身体の……形。

 少年のように見えるスレンダーな身体に、ほんの僅かに浮かぶ柔らかさ。

 その美しさは現実の物と思えず、全てから目が離せなかった。

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