夜間飛行(2)
「佐村……先生?」
私は石丸さんの顔を食い入るように見ながら言った。
石丸さんは能面のような無表情で言った。
「はい。私、見ました。あの人が鬼のような顔で駆け下りてくるの」
「嘘!」
自分の口から出たとは思えないくらいの大きな声に驚いたが、それを引き金に口から言葉が溢れるように出ていた。
「いい加減なこと言わないで! あなたに彼女の事が分かるわけ無いでしょ! 彼女はそんな事……しない!」
言い終わって、自分がとんでもないミスをしたことに気付いた。
石丸さんは目を見開いて私を見た後、フッと失笑をもらした。
「すいません。私の見間違えだったみたいです。思い返すと、佐村先生じゃなかったです」
「……じゃあ、誰なの?」
「さあ。私、佐村先生嫌いだからそう見えちゃったんで、他の人なんて思い浮かびません」
「嫌いって。どうして?」
その直後、石丸さんは弾かれたように笑い出した。
「先生……それって、本気で言ってます? まさかね。先生みたいな人を『あざとい』って言うんですよ」
その口調が自分を馬鹿にしてるように感じられて、頬が熱くなるのを感じた。
「何よ、それ」
石丸さんは薄目で私の目を真正面から見つめて……カーディガンを脱ぎ始めた。
「な……何してるの! 止めなさい!」
「どうして? 私たち同性ですよね? なんで慌ててるんですか。……ああ、そうか。昨日の夜も佐村先生とずいぶんごゆっくりされてましたもんね。先生『そっちの人』ですもんね」
私は無言で思わず視線を泳がせてしまった。
心臓がうるさいくらい鳴り響く。
まるで太鼓のように、深く響く。
「そんな……こと」
「夜の9時半から翌朝11時までご一緒でしたもんね。その後もコンビニ行ったりして。でも、腕まで組んでるのはやり過ぎじゃないです?」
そう言って石丸さんが出したスマホの画面には、私と涼子さんが腕を組んでいる姿が写っていた。
目の前の景色がグニャリとゆがむ。
気がついたら、私は石丸さんを凝視していた。
「この日、私も体調悪くて学校お休みしてたんです。で、たまたま歩いてたらお二人を見かけて……ビックリして思わず撮っちゃいました」
「あなた、付きまとってたの?」
「いいえ。でも、だとしたら何なんです? 言いましたよね? 私、先生の事が好きなんです。あなたのためなら何でも出来る。そしてしてあげます」
「そんなの……いらない」
震える口調で精一杯の威厳を出そうとした私に、石丸さんはキョトンとした表情で唇をツンと上向きにした。
「そうなんです? へえ、ビックリ。てっきり先生もまんざらでもないかな、って思ったのに」
「そんな事あるわけない。あなたは生徒で私は先生でしょ」
「先生、もうそういうの止めません? とっくにバレちゃってますよ。先生が私に欲情してる変態だって事」
そう言うと石丸さんは突然、両手で私の頬を挟んで顔を近づけた。
彼女の瞳は爛々と妖しい輝きを含んでいた。
赤なのか黒なのか、朱色なのか……
私は必死に首を横に振ろうとしたけどしっかり押さえつけられていて上手くいかない。
「……違う。そんなんじゃない」
「じゃあお部屋にあった写真集、何なのかな? 私そっくりな女の子がパジャマや水着姿で、まるで誘うような格好で微笑んで……まさか、中学生の世界のお勉強、なんて言いませんよね?」
「なんで……知って……」
顔が冷たい。
唇が痺れる。
「私がシャワー浴びてるとき、下着触ってましたよね? 言ってくれればいくらでも触らせてあげるのに。パジャマだって可愛いの着てあげるし、水着だってあんなのよりもっとドキドキするの着てあげるのに」
「私……違う……」
「違わないです。先生は中学1年の生徒に欲情する変態なんです。佐村先生みたいなオバさんで代用しなくてもいいんですよ。本物がいるんだから。先生のお部屋にはオバさんの写真集やマンガなんて無かったですよね?」
私は気がついたら泣いていた。
自分を守ってきた何かが崩れているような恐怖感。
「もうヤダ……帰りたい」
「帰してあげますよ。でもまだダメ。変態さんには罰を与えないと」
そう言うと、石丸さんはそのまま私の唇に自分の唇を重ね合わせた。
ベリーの香りのリップクリームを塗っているせいだろうか。
彼女の唇は信じられないほどに甘く柔らかく、暖かくて……そして怖かった。
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