あなたの赤
石丸さんを乗せたまま車は高速道路を走る。
秋の淡く包み込むような日差しの中を落合公園のあるG県まで。
この一瞬だけ切り取ったなら、人はどう思うだろう。
恐らく全員が「仲の良い親戚同士がどこかに出かける」とでも思うのだろう。
もしくは「母親と娘」
まさか、私たちの本当の関係。
そして目的に行き着くものなどいない。
私たちはそんな関係なのだ。身も心も爛れきった、そして人には言えない秘密が泥のように全身を覆いつくしている、そんな関係。
「先生にお伝え出来てよかったです。なぜ私が先生を選んだのか」
「さっき教えてくれた理由……別に隠しとく事は無かったんじゃない? 至ってどこも変なところは無かったけど」
「そうですね。でも、私にとっては特別だったので。そして今の先生ならもうお聞かせしてもいいかな、って思ったんです」
そんなものだろうか……
やがて車は高速を降りて国道に入った。
フロントガラスの向こうにのどかな景色が続く。
それは思い付きだった。
ふと、外の空気を吸いたくなり石丸さんに何も言わずに窓ガラスを開けた。
すると、外の空気が強めの風となる車内に吹き込む。
そして、その風は石丸さんの前髪を吹き上げて、彼女の額をむき出しにした。
え……
私は思わずギョッとした。
そこには握りこぶしくらいだろうか、えぐれたような傷があった。
かなり深いところに達していたのだろう。
そこだけが白い色になってしまい、一目で分かる。
「……!!」
石丸さんは瞬間、顔をこわばらせると慌てて手でそこを隠し、私の顔を信じられないものを見るような目で凝視した。
「あ、ごめん……なさい。風が気持ち良さそうだったからつい……」
「いえ、大丈夫です。事前に言っておかなかった私も悪いので」
あのキズは一体……
聞きたかったが、さっきの反応はとても触れられるような感じではない。
※
午後、目的地に着くとすでに沢山の人でごった返していた。
以前来た時は、何の変哲も無い寂れた緑地公園だと思っていたが、こうしてみると市民にとっての貴重な憩いの場なのかな……と思うのは我ながら現金だ。
「凄い……こんなに人が集まるんだね」
「はい。県内でも規模の大きさでは有名ですから。さすがに県外からわざわざ……ってほどではないですが」
そう言うと、石丸さんは私の手を握って歩き出した。
「行きましょう。今日はここ以外にももう一箇所案内したいところがあるんです。だからあまりゆっくり出来なくて……」
え? もう一箇所……
そんな話は無かったので驚いたが、ここまで来たら「毒食らわば皿まで」だ。
とことん付き合うことにした。
だが、私の手を引く石丸さんは祭りの屋台の連なる通りを外れていく。
そして向かった先は……以前、私が来た展望台だった。
そこは祭り会場ではなく、そこから結構な時間上らないといけなかったせいか、ほとんど人が居なかった。
私たち以外ではカップルが二組だけ。
その彼らも立ち去りそうな雰囲気を出している。
「ここって……」
「こっち行きましょう。柵の辺りから見る景色って綺麗なんですよ」
そう言って石丸さんは私の手を引き、展望台の端にある鉄柵まで来た。
目の前には広い空と眼科に広がる町並み。
適度な強さで吹いてくる風はウットリするほど心地よい。
でも……なぜ彼女は?
「ねえ、石丸さん。ここは……」
「先生。綺麗ですね」
話をさえぎられた私は戸惑いながら頷いた。
石丸さんは柵にもたれながら言った。
「先生……もし、私が先生を突き落としたらどう思います?」
え……
その言葉に思わず柵から離れたが、石丸さんはそんな私を見て、クスクスと笑った。
「そんな事しないですよ。そのつもりなら……何も言わずにやります。例えば、の話です」
「え……それは……」
「正直に言って下さい」
「そりゃ……ビックリするし……なんで? って思う。私、何したの? って」
「そうですね。まず浮かぶのは『何で?』です。で、付け加えるなら落ちている間に『何かしたんだろうか』『いやだ、怖い』です。落ちてる時って脳内物質の過剰分泌のせいか、すごくゆっくりに感じるんです。だから色々と考える」
この子は……なにを言ってるの?
私は石丸さんから目が離せなかった。
爽やかだった秋風が今は、現実につないでくれる一本の細い糸に思える。
「で、地面が近づいてくると、こう考える……『私を離さないで』って」
石丸さんは私の顔を見て言った。
「『私を離さないで、お母さん』って思うんです」
「お……母さん?」
「はい、この公園。そしてこの場所はとっても思い出深いです。だって、私がお母さんとお父さんと一緒に良く来た場所。そして、お母さんに突き落とされた場所なんだから」
※
お母さんに……あの、不気味な絵を娘に書いてよこしたあの……
「なん……で? なんでお母さんに? もしかしてお母さんって……」
「私もエスパーじゃないから母の心境は正確には分からないです。あの人、あれからもちゃんとした理由を言ってくれなかったので。ただ、推測できます。私のせいだと思ってたんですよ。全部」
「全部って……お父さんの事とか?」
「はい。お母さんは父が私に向ける汚れた視線にも気付いていた。そして、江口先生のお母さんの所に逃げたのも、私のせいだと思ってた」
「そんな……それって関係ないんじゃ……」
「はい。関係有りません。でもあの人の中ではそうなんです。ま、いわゆるノイローゼですね。私さえいなくなれば万事解決、と思った」
そう言うと石丸さんは私の手をギュッと強く握った。
「あの人は今は、この街の総合病院の精神科病棟に入院しています。引っ越してからは面会に行ってないから様子は分かりません。でも、叔父様が言うには幸せだった頃の夢の世界に居るようだ、って」
石丸さんは能面のような表情を前に向けている。
「だから、先生との契約解消の言葉をここにしました」
私は何もいう事が出来なかった。そもそも何を言えと言うのだろう……
柵の下の地面。
はるか下に見える地面。
石丸さんにどんな感情が押し寄せたのか。
聞かせてくれた言葉以外に。
下の地面に横たわっている女の子が見える。
額から沢山の血を流して。
地面を真っ赤に染めて……
私は気がついたら石丸さんの手を握り返していた。
「さて、思い出めぐりの第一弾は終わりです。ここからもう一箇所、お付き合いして下さい」
私はその言葉を聞き、正直ホッとした。
石丸さんの鮮明な姿。
眼下の地面に彼女が倒れている姿と真紅のような赤が気を抜くと浮かんでくるからだ。
「次はどこに行くの?」
「私の通っていた小学校です。大好きだった先生と大嫌いになっちゃった先生の事も聞いて欲しいな」
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