アイボリーと黄色のように

 約束の土曜日。

 

 私は石丸さんの自宅近くに停めた車の中で、そわそわしていた。

 

 落合公園。

 

 私との契約を切る言葉に指定したり、江口先生の言葉。

 あの何の変哲もない公園に何があるんだろう?

 

 そして、酷く自己嫌悪に陥るのだが……反面、私は心が浮き立っていた。

 石丸さんと県外へ出かける。

 その事実に間違いなく喜んでいた。

 

 馬鹿馬鹿しい!

 

 涼子さんとだったらもっともっと楽しいに決まってる。

 これは、あの公園の秘密を知ることが出来るから嬉しいんだ。


 そう思いながらギュッと強く目を閉じると、車の外から「先生」と呼ぶ声と共にコンコンと窓を叩く音がした。

 ハッと我に返って慌てて声の方を見た私は、そのまま呆然とした。


 ……綺麗。

 

 アイボリーの地に鮮やかな黄色の牡丹の花が描かれた浴衣は鮮やかで、それでいて上品さや可愛らしさを感じさせ、石丸さんに信じられないほどよく似合っていた。

 

 思わず見蕩れてしまい、ドアを開けるのを忘れていた私を見て、石丸さんは勝手に助手席に回ってドアを開けると、スルリと乗り込んできた。


「おはようございます、先生。どうしたんです? 寝不足でボンヤリしちゃいました? それとも……」


 私はいたずらっぽい表情でのぞき込む石丸さんから目を逸らした。


「ちょっと考え事してただけ」


「あ、そう。ところで、この浴衣どうですか? 頑張って選んだんですよ。先生のご趣味分からなかったから、大人っぽくも子供っぽくも見えるのを選ぶのに苦労しましたよ」


「あ、ありがとう。よく似合って……る」


「え、やったあ! 気に入ってもらえるか不安だったんですよ。嬉しい!」


 そう言って私の頬にキスした後、石丸さんは小さなバスケットを膝の上に置き直した。


「朝ご飯、まだだってラインで言われてましたよね? 私もまだなんです。サンドイッチ作ってきたから、良かったら。先生、ハムサンドとかお好きですか?」


「う、うん……好き……だけど」


「ではどうぞ。沢山作ってきたので、遠慮なく。あ、車出してもらって大丈夫ですよ。食べさせてあげますから」


 え!?

 そこまではさすがに、と思ったが落合公園までは高速を使っても2時間近くかかる。

 お祭りを歩くことを考えると、早めに出るべきだろう。

 そこまで考えて、私はまた自分にイラッとした。


 お祭りなんてどうでも良いじゃ無い。

 石丸さんから落合公園の意味を聞き出したいだけ。

 そして……あわよくば、その名前を出そう。

 彼女との忌まわしい契約を解消するんだ。

 今日はそのための時間。

 楽しむ時間じゃ無い。


 そう思って隣を見ると、石丸さんは穏やかな笑顔でハムサンドを摘まんでいる。

 その姿を見ると、急に罪悪感を感じて顔を逸らすと車を動かした。

 これも契約だ。

 涼子さんを守るための仕事なんだ。

 だったら……最善を。


 そう思いながら信号で止まると、隣の石丸さんが「先生、お口開けてください」と言うのが聞こえた。

 なんだろう、と思って口を開けると、小さく千切ったサンドイッチがひょいと口の中に入ってきた。


「自信作なんです。ハムサンド、一番好きなので」


「うん……確かに、美味しい」


「ですよね。食べ終わったらお口開けて下さい。運転の邪魔にならないタイミングで入れますから」


 その言葉通り、彼女は実にいいタイミングでハムサンドを食べさせてくれた。

 それだけ出なく、喉が渇いたな……と思ったタイミングで、まるでエスパーのようにジャスミンティーもそっと渡してくれた。

 前々から思ってはいたけど、本当に人の心理がよく分かっている子だ。

 

 私は改めて、石丸さんの浴衣姿の横顔を見る。 

 

 もし……

 もし、彼女が普通の女の子だったら。

 

 きっと全然別の……本当の愛情や友情、信頼を両手に持ちきれないくらい得ることの出来る人生だったんだろうな……

 今来ているアイボリーと黄色のように、すがすがしく眩しく、それでいて優しい光に満ちた。


 それがなぜ、こんな底の見えない暗闇のような世界で生きてるんだろう。

 なにが彼女をそうさせたんだろう。

 生まれつき?

 それとも何かの切っ掛け?

 それを急に知りたくなった。

 今日、分かるのかも……

 

 車は高速の入り口に入った。

 ETCの軽やかな音色が、運転好きの私の心を浮き立たせる。


 ふと、石丸さんと「普通の会話」がしたくなった。

 

「ねえ、石丸さんて屋台で好きなのとかある? 私はリンゴ飴が好きなんだけど」


「そうですね……私は、たませんとか好きです。つい食べ過ぎちゃう」


「え、意外。そういうの食べなさそうだから」


 石丸さんはクスクスと笑った。


「先生、私をなんだと思ってます? ちゃんと、周りの人と同じ物を食べてますよ。人の生き血なんて飲んでません」

 

「あ、いや……そんなつもりじゃ」


「大丈夫です。今までが今までなので仕方ないですから。でも、これだけは忘れないで下さい。私はあなたを愛してます。それを信じている13歳の女の子です」


 車内の密室でこんなストレートな事を言われたせいだろうか。

 酷く身体が熱くなる。

 なんか、落ち着かなくなってきちゃった。

 なんか……マズい気がする。

 

「ねえ、前も聞いたけどなんで私なんかを? 私、全然綺麗じゃ無いよ。それに性格だって良くないし」


 前回聞いたときは教えてくれなかった。

 今回もダメだろうな……


「覚えてます? 入学式の前の日」


 突然の言葉に私は一瞬言っている意味が分からなかった。

 入学式?


「あの日、私は瀧郷中学校に下見に来てました。桜の花びらが舞っている風の強い日だった。場所の確認に来ただけだったから、すぐに帰ろうと思ってたとき。少し先の道をヨタヨタと歩いている女性がいたんです」


 その言葉で当時の事が鮮明に浮かんできた。

 あの時……


「私は髪も腰近くまでのロングだったし、帽子も被っていた。しかもちょっと距離もあったから……で、最初、その人は酔っ払ってるのかな? って思いました。でも、そうじゃなかった。思わず『大丈夫ですか』って声をかけた私に、その女性は振り向くと言いました」


 石丸さんの口調に仄かに熱っぽさが混じってきていた。


「『あ、ゴメンね。花びらを踏まないようにしてたの。なんか可哀想で……』って。なんなの、この人? って思いましたよ。でも、その人が私の目を見た時、ブワッと風が吹いて桜の花びらがその人を包んだ……」


「あの時の子……あなた」


「その人は言いました『あなた、この中学に入るの?』頷いた私にその人は言った『よろしくね。じゃあこれが最初の私たちの思い出だ。これからいっぱい作ろうね。一緒に』って。その時思ったんです。『この人なら私を包んでくれる。一生、何があっても離さずに』って。ですよね、先生?」


 思い出した。

 あの時。

 学校の正門前でぽつねんと寂しげに立っていた少女。

 ずっと中を見てたから、新入生だろうと思った。

 だから、話をしたいな……って思って。


「あんな……事で?」


「今でも夜、寝ようと瞳を閉じたとき、あの時の桜の花びらに包まれたあの人……涌井由香里さんが浮かびます。暖かくて優しくて……私の世界に足りなかった物をくれたようだった。だから、ちゃんと欲しくなりました。誰かと分け合うんじゃ無い。私1人で」

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