染まる

 職員会議が終わり1Aの教室に入った私は気もそぞろとなり、どのように授業を進めていたのかもピンと来ていない有様だった。

 

 それは最前列の石丸さんの視線が気になっているのもあった。

 考えすぎかも知れない。

 だけど、彼女の目が私を糾弾してるように感じてしまう。


 もう疑うまでも無い。

 昨夜江口先生が電話していたのは石丸さんだ。

 どうやって知ったのか分からないけど、タイミング的に私たちの近くに居た。

 そして……口封じを……


 お昼休みになり、私は1人になりたくて小会議室に入った。

 

 ここは校舎の外れにあるせいか、生徒はおろか教職員もあまりやってこない穴場だった。 

 噂に寄れば、生徒達の告白のスポットにもなっているらしいけど、今の私にはどうでもいい。

 とにかく1人になってさっきの石丸さんの視線を忘れたかった。


 鍵を開けて中に入ると、テーブルの上には乱雑に本や書類の束が置かれており、椅子も雑然と置かれている。

 室内の埃っぽくどこか淀んだ空気が、しばらく使われていない事を感じさせる。

 

 私はそのうちの1つに腰掛けると、深くため息をついて並んでいる資料をボンヤリと眺めた。

 

 阿波野先生と中村先生……

 江口先生の言い方だと、ただのセクハラ事件と自殺では無いのだろうか?

 そう思いながら目の前の資料を見ているうち、ふとある考えが浮かんできた。

 

 調べてみようか。


 この学校ではもちろん不可能だ。

 でも、石丸さんの通っていた小学校なら……当時の資料や情報が手に入れられるかも。


 そう思ったとき、ドアを軽やかにノックする音が聞こえて、飛び上がりそうなくらいに驚いた。

 

「ど、どうぞ!」


 反射的にそう言うと、ドアを開けたのは石丸さんだった。


「石丸……さん」


「こんな所でお仕事ですか? 教師って大変ですね。良ければお手伝いしようと思って」


「あ、ありが……とう。でも大丈夫。私1人で出来るから。あなたは教室に戻って……」


 そう言ったとき、石丸さんは中に入ると後ろ手でドアを閉めて、鍵をかけた。


「え?」


 石丸さんは悪巧みする子供のような、いたずらっぽい表情を浮かべると私をジッと見た。


「先生、私って結構嘘つきなんですよ。なのでお手伝いの件は嘘です。本当は先生と二人っきりの時間が欲しくなっちゃっただけ」


 そう言うと石丸さんは私に近づくと、膝の上に座って私にしなだれかかった。


「ちょっ……石丸さん!」


「大丈夫です。ここには誰も来ませんから。来たらすぐに降りますし」


 そう言うと、石丸さんは私に向き直り言った。


「先生、キスして下さい」


「あの……聞きたいことがあるんだけど……」


「愛してます。先生」


「ねえ、教えて欲しいんだけど」


「もう一度だけ言いますね。先生、愛してます」


「……石丸さん……愛してる」


「キスして」


 私は小さく息をつくと石丸さんの唇に自分の唇を重ねた。

 その途端、彼女の舌が私の口の中で強引に割り込んできた。

 

 いけない。


 そう思いながらも、知らず知らずにそれを求めてしまう自分がいる。

 お互いに荒く、熱い息と舌の妖しい滑りを感じながら、息が苦しくなったところで石丸さんは唇を離した。


「先生、大好き」


 吐息混じりの声でそう言うと、石丸さんは私の耳に沿って唇を這わせた。


「今度、わたしの初めて……もらってくれますよね」


 一瞬、言ってる意味が分からずに石丸さんの目を見ると、彼女は表情を変えずに言った。


「わたし、まだ誰にもあげてませんよ。先生はわたしと江口先生や父がそこまで行ってるとお思いでしょうけど。先生はムカデや毛虫に身体を這わせたいな、って思います? キスは先生で2回目だからゴメンなさい、ですけど」

 

 なんでこの子はこんなに……

 まるで蜘蛛の巣みたいに気がついたら絡み取られている。

 そんな事を考えているうちに石丸さんは、私の耳に舌を這わせながらそっとささやいて来た。


「ずっとわたしだけの物ですからね……先生」


 まるで薄いもやの中に居るように心地よさに浸ってしまう。

 もういっそこのままでも……


 仄かに赤く染まって汗ばんだ石丸さんの顔を見ながら、桃色のもやの中で遠のきそうになる理性をたぐり寄せる。

 そして、搾り出すように言った。


「昨日の夜の電話、あなたなの?」


 石丸さんは顔を火照らせたまま、笑顔で言った。


「何のことです? わたし知りませんよ。って言うか誰と会ってたんですか? 知りたいな」


 そうだった。

 彼女が私に本当のことを言うはずが無い。

 聞くだけ無意味だった。

 舌戦で彼女にかなうはずが無い。


「友達よ。私だってそのくらいの自由はあってもいいでしょ?」


「ふうん、その人への電話とわたしをすぐに繋げちゃうような人だったんですね。そのお友達って」


 しまった。

 完全に口を滑らせた。

 私は慌てて首を振った。


「本当に大学の同期なの。でも、最近あなたとの関わりがあまりに濃密だから……つい」


 石丸さんはからかうような笑みを浮かべた。


「はいはい、分かりました。恋人を信じるのも大事ですもんね。それに二人っきりの時間も終わりになっちゃったし」


「え? 何それ」


 石丸さんはそれに答えず私の膝からするりと降りると、悠然とドアに歩いて鍵を外しドアを開けた。

 だが、開けるまでもなく彼女の行動の意味はわかった。

 ドアにはまっているガラスから見える姿は……

 

 すると次の瞬間、険しい表情の涼子さんが立っているのが見えた。

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