エピローグ

 涼子さんは結局助からなかった。

 首の骨を折って即死だったらしい。

 江口先生を動かして、私の家を覗かせていた。

 そして、邪魔になったから切り捨てた。


 今でも信じられない。

 葬儀の後、彼女の家に行ったがいつも絶対に入れてくれなかった鍵のかかった部屋の中には、私の下着やカップ等がいくつも保管されていた。

 机の上には盗聴器とそれを聞くための機械もあった。

 後に調べたら自宅内だけでなく、私の車の中やあろう事か石丸さんの自宅の中にまで設置されていた。


 そして、ノートには私の日々の行動が詳細に。

 それは偶然だろうか、石丸さんが私に接近する一月前から始まっていた。


 石丸さんは、命に別状は無かった。

 でも、その代わり彼女はこの先、自らの足で歩く事は叶わなくなった。

 脊椎損傷だったらしい。


 手術は成功したものの、両足の麻痺は改善の見込みは無いという事だ。

 

 私のせいだ……

 私をかばって、私の命と引き換えに彼女は両足を失った。


 そんな彼女に出来る事はなんだろう。

 そう思った私は来年から、リハビリの専門学校に通うことにした。

 理学療法士を目指すためだ。


 教師はあの一件の後辞めた。

 石丸さんの支えになりたい、と言う事もあったけどもう一つは、あの一件のせいだ。

 

 実際の内容は知られることは無かったが、同僚の教師が死に、生徒が半身不随になる。

 その場に居合わせた私。

 そして、亡くなった涼子さんの部屋から出てきた私に関係する数々の物品や盗聴。


 それはスキャンダラスに職場内や生徒、保護者の憶測を呼び「痴情のもつれ」などと言われるようになり、教職としての信頼を著しく損ねたのだ。

 市原教頭は残念そうだったが、特に強く慰留もされなかった。


 私としては元々教師は辞めるつもりだったので有りがたかったが。

 貯金もあるし、退職金も少ないながらもある。

 これで学校に通いながら、石丸さんの治療費や退院後の生活も支えられるだろう。


 石丸さんも学校には居づらくなったとの事で、退院後は別の中学に転校する。

 なので私も近くに住むつもりだ。

 可能なら彼女と住んでもいいとさえ思っている。


 ※


 あの一件からもうすぐ7ヶ月。

 夏の痛いくらいの日差しの中、病院へ向かう。


 もう今日のリハビリを終えている頃だろう。

 病室を覗くと、石丸さんはベッド上で勉強していた。


「石丸さん」


 そう声をかけると、石丸さんは私を見てホッとしたような笑顔になった。


「リハビリお疲れ様。で、早速勉強なんて凄いね。でも休憩も大切だよ」


 そう言って買ってきたシュークリームを見せる。


「有難うございます。美味しそう……先生も食べましょう」


 その言葉に私は苦笑いを浮かべる。


「もう先生じゃないよ。とっくに辞めてるから」


「でも……」


「ねえ、いい機会だからお互い呼び方変えない? 先生じゃなくて名前で良いよ」


 石丸さんは驚いたような表情を浮かべたが、やがて照れくさそうに笑うと言った。


「じゃあ……由香里さんでもいいですか?」


「もちろん。それにしましょう」


「じゃあ、先生……じゃない、由香里さんは『有紀』って呼んでください」


「分かった……有紀ちゃん」


 石丸さんは頷くとシュークリームを食べ始めた。


「……ゴメンね」


「え? どうしたんですか? 急に」


「私のせいで、あなたは歩けなくなった。あなた、ずっと私を守ってくれてたんだよね? あの時の絵葉書もそう。あの時言ってた『かごめかごめ』もそうなんでしょ」


 石丸さんは小さく頷いた。

 後ろの正面だあれ。

 私にとって最も身近でいわば「後ろに居た人」

 それは涼子さんだった。


 彼女なりに私に知らせようとしてくれていたんだろう。


 なのに……

 

 私は石丸さんを強く抱きしめた。


「愛してる……有紀ちゃん」


「私もです。由香里さん」


「一生あなたを支えていく。私の人生をかけて」


「わたしもです。これから何があっても……最後まで由香里さんのそばにいます。私……今凄く幸せなんです。やっと夢が叶った、って」


「え?」


「前に言ったように私の夢は『先生と二人で世界が完結すること』今、そうなってるじゃないですか」


 あ……

 確かにそうだった。

 

「由香里さんと私、お互いにお互いがいないと成立しない。私は由香里さんがいないと生活できない。由香里さんも私を、自分の全てをかけて求めてくれている。私達は2人で1人。ずっとそんな日を夢見てました」


 そうだ。確かにその通りだ。


 彼女の夢は叶った。

 驚くほど綺麗に。


 石丸さんが私たちに中村さんの事を伝えてなかったら……

 もし、石丸さんと行く前に涼子さんとG県に行ってたら……

 もし、落合公園で石丸さんが現れなかったら。


 そう思うと全て一本の糸に導かれているように綺麗に進んでいた。

 

 そう……まるで誰かの書いた脚本のように。

 最初から全て脚本通りに進んでいたかのように。


 そして、それが呼び水になってふと、ある疑問が浮かんだ。

 あの時……中村先生のお母さんが言ったこと。


(阿波野先生名義で自分と有紀ちゃんの事が……)

 

 加害者である阿波野先生が、いくら自分を捨てようとする相手とは言え、あんな内容を送るのか?

 自分の社会人生命を潰すような事を。

 

 むしろその行為を行って違和感がない存在は……


 私はその考えを追い出した。

 

 もういい。

 私のする事は、石丸さん……いや、有紀ちゃんを支えることなんだ。

 有紀ちゃんと一緒に生きていく。

 それでいい。


 それに、もう疑う事は疲れたし……

 

 私はニッコリと笑うと石丸さんに向かって言った。


「そうだ、前に言ってたよね? 契約解消の言葉」


「はい……言いましたけど?」


「それ、言っても……いいかな」


 そういった後慌てて付け加えた。


「あのさ、私たちの契約って、無理やりだったじゃない? 脅されてたって言うか……でも、今は違う。私は有紀ちゃんの事を契約じゃなく愛してる。だからあんないびつなのは破棄したいの」


 それを聞いて石丸さんは目を赤くしていた。


「……いいん……ですか?」


「もちろん。新しく私たちの関係を結びなおそう。今度は……ホントの恋人として」


 石丸さんは何度も頷いた。


「嬉しいです、泣いちゃいたいくらい。でも。じゃあ……お願いします」


 私は小さく息を吸うと、つぶやいた。


 私たちの契約の終わりを告げる。

 そして新しい私たちを始めるための言葉を。


【終わり】

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手のひらの花火 京野 薫 @kkyono

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