上書きの夜
佐村さんとの約束を勝手にキャンセルしたくせに、突然会いたいという。
我ながらなんてめんどくさい女だろう。
自分だったら体よく断るだろうな……と思っていたけど、佐村さんは「暇でボーッとテレビ見てただけだからいいですよ」とアッサリ了承してくれた。
その返事がこれほど嬉しかったことは無い。
今までも嬉しかったけど、今夜は特に。
まるで、泥の底から引き揚げてくれる手のように感じた。
早速佐村さんの家の近くのファミレスで会うことになり、そこに向かうとすでに彼女は窓際の席に座ってマルゲリータピザを食べていた。
「こういう所来るとつい何か食べたくなっちゃうんですよね。あ~もう、太っちゃう」
「ゴメンね、急に呼び出したりして」
「全然いいんですよ。逆に嬉しかったです」
嬉しい……
その言葉は私の影の差した心をパッと照らしてくれるように感じた。
そして訳も無く気分が上向いてくる。
何でだろう。
ピザの事しか話してないのに。どこにでもあるファミレスなのに。
佐村さんと会っていると、二度と無い特別な時間と場所みたい。
私は彼女の前に座ると、メニューを見てクラブハウスサンドを頼んだ。
「じゃあ、二人で太っちゃおうか」
佐村さんにそう言いながらクスクスと笑う。
笑いながら……泣きそうになった。
佐村さんと居る時間は大好きだ。
そんな自分も。
でも、それと同じくらい……さっきの石丸さんとの時間が浮かぶ。
彼女の手のひらの柔らかさや暖かさ。
石丸さんの吐息……
そういった色々が、この時も目の前の佐村さんを塗りつぶそうとしているように思えて怖かった。
「……どうしたんですか?」
「え?」
「先輩、ちょっと変ですよ。よく分からないけど……何かありましたか?」
佐村さんは先ほどまでの笑顔は消えており、真剣な表情で見ている。
でも、話せるわけが無い。
石丸さんとのさっきまでの行為など。
彼女と抱擁して手のひらを舐めていました、なんて。
その代わり、佐村さんに頭を下げて言った。
「誕生日にもらったグラス………割っちゃった」
「それはいいんです。グラスなんてまた買います。……そんな事じゃないですよね」
佐村さんは厳しい、だけど優しい表情で話してくれている。
言いたい……彼女なら力になってくれる。
でも、どう言えば。
黙って俯いていると、佐村さんは小さく頷いて言った。
「良かったら……場所変えます? 私の部屋で良かったら」
※
佐村さんの部屋は、イメージ通りのまるでモデルルームかと思うようなシンプルだけど、落ち着いたセンスの良さを感じさせる内装だった。
その茶色と黒、白が適度に混ざったその部屋の心地よさのせいだろうか。
彼女と向かい合ってソファに座り、彼女の出す缶ビールをお互いに飲んでいると、それまで抑えられていた物が吹き出すように涙が出てきた。
泣いていると、いつの間にか隣に来た佐村さんは私の背中を優しく撫でてくれた。
「いいんですよ。気にせず泣いてください。すごく辛かったんですね。……大丈夫です。もう大丈夫」
その優しい声は心をとろかすようだった。
とろけた心は言葉になって口から溢れた。
「私……石丸さんが、怖い」
「……石丸さん?」
私は両手で顔を押さえたまま頷くと、佐村さんに話した。
それでも手のひらの事はどうしても言えなかった。
なので、彼女に過剰に付きまとわれているように感じる。
私に生徒と教師以上の熱量があるようだ、と言う形で。
彼女に感じている邪な気持ちも一切伏せた。
それでも、佐村さんは納得してくれたように頷いて、また背中を撫でてくれた。
「そうだったんですね。てっきり江口先生だと思ったので、ビックリですけど何となく納得です。あの映画館の時もちょっとおかしかったですもんね」
「……やっぱりそう思う?」
「はい。だって、あのショッピングモールって車でも30分以上かかるんですよ? 公共交通機関で行くにもバスくらいしか無い。石丸さんの行動範囲にするには不自然ですよ。どうやったのかさっぱり分からないけど、偶然にしてはタイミング良すぎですよね。私がお手洗いに行ってる時に、丁度バッタリ会って……なんて」
「私たちがいるのを知ってた……」
「はい。私に対しても終始敵意むき出しでしたし。何なら先輩にも。この子、なんでこんなに噛みついてくるの? って思ってたけど、先輩へのアッカンベー見て……ね」
気付いてたのか。
でも佐村さんの言うとおり、あの日も含めて石丸さんの行動には引っかかるところが多い。
「どうします、彼女?」
「学校には言えない。石丸さんは特に何かしてきたわけじゃ無いから。こんな事話したら、担任としての指導力不足で外されちゃう……そうなったら生徒の間に動揺が広がっちゃうよ」
これは嘘だった。
実際は自分の出世の道が閉ざされるのが嫌だったのだ。
「先輩らしいですね。前も言ったけど、そういう先輩……好きですよ」
佐村さんはそう言うと二本目のビールを飲んだ。
「あんまり軽々しく好きとか言っちゃダメだよ。誤解されちゃうから」
「誰にです? 先輩に?」
「え!? いやいや、周りの人に」
「ここには私と先輩しかいないじゃ無いですか。他の人が居たらこんな事いいませんって」
佐村さんは酔いのせいだろうか。
赤く染まったぼんやりとした顔を私に向けた。
「あの映画館の時、実は私石丸さんにムカついてたんです」
え? ムカついて……
「ほら、先輩の家にショーツを忘れてきた、ってあの娘が大げさに話を盛ったとき。本音は引っぱたいてやろうかと思った」
私は佐村さんの赤くなった顔をただ見るしか出来なかった。
一体何を言おうとしてるんだろう……
「我ながら大人げないもいいところです。先輩の家にショーツって……それって……と妄想が爆発しちゃって」
佐村さんは立ち上がると、私の隣に座った。
「で、さっきの話。……多分、先輩は私に隠してることがある。それは何となく想像できる。その想像が私、ものすごくムカつくんです」
「う、嘘なんかついてないよ。言ったことが全てだから……本当だよ」
「先輩。これからは石丸さんには二人で向き合いましょ。先輩と彼女に何があったかこれ以上突っ込みません。ただ、上書きさせてください」
上書きって……何を言ってるの?
混乱する私を佐村さんは優しさと悲しさが混ざった瞳でじっと見ていた。
そして泣き笑いのような表情になった。
「石丸さんを私で上書きしちゃってもいいですか? もう一度言います。私、先輩が好きですよ」
そんな……信じられない。
私と……同じ。
呆けたような表情なんだろうな。
嫌だな。
彼女には締まりの無い顔を見せたくない。
そう思いながらもどんな顔をして良いか分からず、そのままの表情で頷いた。
「私も好き」
思わずそう言ったが、佐村さんはいたずらっぽい表情で笑った。
「だと思ってました。先輩私の写真撮ってたり、座った後の椅子を触ったりしてたから。ああ……そうなんだ、って。でも、全然嫌じゃ無かった。逆に嬉しかった」
「……ご、ごめん……なさい」
バレてたんだ。
文字通り顔から火が出そうだった。
信じられない。
思わず顔を両手で覆って下を向いたが、その途端佐村さんに抱き寄せられた。
「いいんです。言ったでしょ? 嬉しかったんです」
佐村さんの手が私の顔に触れて、そのまま上に静かに、でも有無を言わせぬ力で持ち上げられた。
そのまま呆然としていると、佐村さんの顔が近づく。
「私の唇、お菓子くれる時とかどさくさ紛れによく触ってましたよね。気持ちよかったですか?」
「うん……」
「指で触るより、こっちの方が気持ちいいですよ」
お互いの息を感じるくらいに目の前で佐村さんが囁く。
そして、吸い寄せられるように彼女と……キスをした。
まるで夢の中にいるみたいだ。
夢か現実か分からないような気持ちでぼんやりと、佐村さんの微笑む顔を見る。
彼女の手が私の背中に回った。
「まだ怖いですよね? 良かったら一緒に寝ませんか……忘れさせてあげます」
私は子供のように頷いた。
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