次のSカーブ

 まずは生産性。高度に繁栄した現代社会の生産性すら上回るようなものを達成しようとすれば、この章の前半に話をした出力密度の低い再生可能エネルギーでは力不足に思える。太陽光や風力、あるいは電気自動車でもいいが、これらの技術に求められているのはあくまで今使われている化石燃料をどう代替するか。時間をかければ代替は可能かもしれないし、温室効果ガスの排出を抑制するというメリットも期待できるのは確かだが、狩猟採集から農業へとシフトした時、あるいは産業革命時に生じた一次エネルギー消費の急増といったものをもたらすことまで望むのはさすがに難しいだろう。

 そうした新たな成長をもたらすほどの巨大エネルギーを生み出せることが期待できるとしたら、それは核融合炉ではなかろうか。実際、成長の恩恵を受けてきた経済界の大立者の中には、ビル・ゲイツやジェフ・ベゾスのように核融合炉の開発に対して資金提供をしている例がある(37)。核融合炉は1グラムの燃料からタンクローリー1台分の石油(約8トン)を燃やした時と同じだけのエネルギーを手に入れることができると言われており(38)、実用化されれば新しい成長の糧になりそうに見える。

 とはいえ問題もある。実用化のための技術的ハードルもさることながら、足元で指摘されているのが、燃料となるトリチウム(三重水素)が不足することへの懸念だ。核融合炉では原子核に陽子と中性子を1つずつ持つ重水素と、陽子1つに中性子2つを持つトリチウムを核融合させ、ヘリウムと中性子1つに変化させる過程でエネルギーを取り出す。問題は地球上に存在するトリチウムの量が核実験の禁止後は減少を続けており、足元では20キログラムしか存在しないと言われていること(39)。重水減速型原子炉と呼ばれる原子力発電所でトリチウムが生成されてはいるものの、その数は30基に満たず、年間の生成量はほんの100グラムほどだという。

 シュミルは核融合炉について、待ちわびているのにいまだに実現されていない3つの発明の1つに並べている(40)。実現すれば大きな価値を生み出すのは間違いないが、それでもなかなか実現されないこの手段に、成長性の向上をもたらす期待を抱いていいのかどうかは、正直分からない。ちなみにシュミルが核融合炉と同じカテゴリーに入れている残る2つの発明は、真空に近い空間を移動する高速輸送システムであるハイパーループと、窒素固定作物だ。

 核融合炉を巡る問題は、画期のために生産性だけでなく技術革新も必要であることを示している。そして、同じ技術革新としてこれまたビル・ゲイツが期待を抱いているものが、人工知能(AI)の一種である大規模言語モデル(LLM)だ(41)。彼によれば今やコンピューターはヒトのような推論を生み出す兆候を見せ始めているそうで、いずれは「病気の治療から教育の個別化、新しいクリーンエネルギー源の開発に至る」あらゆる分野での問題解決の新しいツールが与えられるかもしれない、とまで期待を高めている。

 もちろん、そうした見解についてAIを過大評価しているという批判も出ている。関連株が買われすぎており、2000年当時のドットコム・バブルを思い出すと言った指摘も報じられているほどだ(42)。この問題についても慎重派の代表の一人となっているのがシュミルで、彼はAI研究者が「かなり初歩的な分析技術」を導入して「いくつかの比較的簡単なタスクで印象的な成果を上げただけ」と見ている。

 一方でAIを使った問題解決よりも、それがヒトをアシストする能力の方を重視する見解もある。顧客サポート労働者の生産性に及ぼすAIツールの効果を調べたところ、技能の高い労働者よりも低い労働者にプラスになっていたという研究や(43)、大学生の文書作成タスクでも同様の傾向が見られたとの指摘(44)、あるいはコーディング成績が年配の開発者や経験の浅い開発者ほど向上している(45)といった話がその例。低技能や経験の浅い者がAIの支援を受けて高い生産性を確保できるのなら、それは工業化の進んだ時代に工作機械が平均的な人たちに熟練者と同等の仕事をできるようにしたのと同じだという評価がある(46)。

 LLMではないが、2016年に囲碁AIがプロ棋士を破った件が大きな飛躍をもたらしたという研究もある。1950年以降、プロ棋士の打ち手の質はずっと頭打ちが続いていたが、AIの登場を機にそれが急上昇するようになったという内容で、しかも打ち手の向上をもたらした要因のうちAI研究は40%に過ぎず、残る60%はヒトの打ち筋の変化に由来しているという(47)。AIをきっかけにしてヒトがよりクリエイティブになった例だと考えれば、AIもボトルネックの突破を支援する技術候補の一つになるかもしれない。

 生産性、技術などは今より向上させることが求められる要件だが、残る2つの条件についてはどのような文脈に置かれるかがより重要に思える。まずは競争。シャイデルが述べているように多極的で自由な競争が行われる社会の方が成長に向いているのは確かだとしても、一方で競争が破壊をもたらし、むしろ成長を損なうケースがあることも事実だ。1956年の独立以来、繰り返し内戦に見舞われ、今もって一人当たりGNIで世界の下位にとどまっているスーダンの事例を見ても(48)、競争が激しいほどいいとは言えない。

 かといって競争を完全に抑圧してしまうのもおそらくよくない。かつて黒色火薬は中国で初めて発明されたが、中国が政府による火薬の一元管理を徹底しようと試みたのに対し、後から技術を取り入れた西欧ではギルドなどを中心に多様な主体が競争しながら技術開発に努めた。結果、西欧の方がより先端的な火薬兵器を生み出し、16世紀に入るとむしろ中国が欧州の技術を導入するようになっていったのも、その一例だ(49)。破壊的にならないレベルでのルールを定めた競争は、やはり成長にとってプラスの可能性がある。

 現代社会においては包括的な制度を取り入れている国ほど競争への参加者が多く、より経済的にも成長していることは第6章でも説明した。おそらく当面はその状態が続くだろうし、その意味では収奪的制度を採る権威主義的国家よりも包括的制度で運営される民主主義的国家の方が、次の成長を生み出す可能性は高そうに見える。ただ一方で、テインターの述べるような収穫逓減が進んだ社会で減少する限界利益を巡る争いが激化すれば(50)、そうした包括的制度を続けられなくなってしまう可能性もある。今は民主主義的な国でもエリート過剰生産などをきっかけに富のポンプが動き出し、大衆からエリートへと利益が吸い上げられるような流れが一般化してしまうと(51)、競争という条件が整わなくなりかねない。

 経路依存性も一筋縄では行かない問題だ。過去の積み重ねがあったからこそ次の一歩に進めた例もあるし、逆に過去に囚われて新たなルートへ向かうのが遅れた例もある。次のボトルネックを超えるうえでどの経路が重要であるかを事前に把握するのは、正直言って至難の業だろう。

 とはいえ現時点でヒトが突き進んでいる経路の中で、後々まで影響を及ぼしそうなものについて想像を巡らせるのは可能だ。その1つが気候の温暖化。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2023年にまとめた第6次評価報告書統合報告書では、人間活動が温暖化を引き起こしたことは疑う余地がなく、1850~1900年を基準とした世界平均気温は2011~2020年には1.09度高くなったと指摘している(52)。温暖化が進行するほど、それに伴う種の喪失や人間の健康、食糧生産への被害リスクも高まるそうで、実際にそうなった場合にはヒトの将来に様々な影響が及ぶのは避けられそうにない。

 温暖化ほど切迫しているとは言えないかもしれないが、天然資源の中には利用が進むほど減っていく再生不能なリソースも存在する。もちろんシェールオイル(53)のように工夫次第で回収できる資源もあるため、安易に枯渇すると断言できないのは事実。だが19世紀後半から20世紀後半まで低位で安定していた石油価格が、1970年代以降は激しい変動を伴いながら上昇しているように(54)、安い資源から失われていく傾向があることは否定できない。これも収穫逓減の一種と言える。メガファウナの多くが絶滅してしまった新大陸で農業開始後に家畜の種類が限られてしまったことなど、資源が残っているかどうかが将来に影響を及ぼす可能性はある。

 以上4つの要素を見る限り、希望を持てそうなものもある一方で、すぐに次のSカーブがやってくるには厳しそうに見えるものもある。もちろんここで述べたのはあくまで足元での4要素の状況であり、時間が経てばそれらを巡る環境も変わるだろう。特に人口減が始まった後の22世紀に世界がどのように変貌するかは、過去の経験の延長からは推し量れない部分も多々ありそう。そもそも次の画期に何が大きく伸びるのかも分からない状態での予想はほぼ外れると見ていいわけで、その意味でここまでの検討内容から安易に楽観や絶望すること自体、間違いと言える。

 そしてもう一つ、画期の到来のために間違いなく不可欠なものがある。創造的破壊だ。ホモ属はそれ以前の大型類人猿が生きていたローコスト・ローリターンの生存戦略からハイコスト・ハイリターンへと切り替えることで脳を巨大化させる道を開いた。ホモ・サピエンスは脳の巨大化を支えた動物食への依存度を下げることでより多様な環境へと適応した。農耕民は他の生物へと延長された表現型を伸ばし、狩猟採集民には達成できないほどの高い人口密度を実現した。情報処理の閾値を超えたヒトは国家というそれまでにないほどの巨大組織を安定的に運営する力を得た。そして経験的な試行錯誤の枠を超えたよりシステマチックな科学的手法を身に着けたことで、莫大なエネルギーを生かした現代的経済成長にまでこぎつけた。

 過去の何を破壊し何を創造すれば次のSカーブがやってくるのかは分からないが、どこかでそうしたブレークスルーを成し遂げなければ、おそらくボトルネックは突破できない。もしそこで足踏みするようなら、我々の前に待っているのは停滞の時代だ。



37 Bill Gates, I’m in Wyoming to celebrate the next nuclear breakthrough(https://www.gatesnotes.com/Wyoming-TerraPower、2024年4月18日確認)

38 量子科学技術研究開発機構, 誰でも分かる核融合のしくみ(https://www.qst.go.jp/site/jt60/4935.html、2024年4月18日確認)

39 注目の「核融合発電」は、実現前から“燃料不足”の危機に直面している(https://wired.jp/article/nuclear-fusion-is-already-facing-a-fuel-crisis/、2024年4月18日確認)

40 バーツラフ・シュミル, Invention and Innovation: 歴史に学ぶ「未来」のつくり方 (2024)

41 Bill Gates, Is this really an unrivaled era of innovation?(https://www.gatesnotes.com/Invention-and-Innovation、2024年4月18日確認)

42 AI hype will be hard to puncture(https://www.reuters.com/breakingviews/ai-hype-will-be-hard-puncture-2024-03-20/、2024年4月18日確認)

43 Erik Brynjolfsson et al., Generative AI at Work (2023)

44 Shakked Noy and Whitney Zhang, Experimental Evidence on the Productivity Effects of Generative Artificial Intelligence (2023)

45 Sida Peng et al., The Impact of AI on Developer Productivity: Evidence from GitHub Copilot (2023)

46 ノア・スミス, 今週の小ネタ: 実は,AI が中流階級の再興の助けになるかも(https://econ101.jp/at-least-five-interesting-things-8dd/、2024年4月18日確認)

47 Minkyu Shin et al., Superhuman artificial intelligence can improve human decision-making by increasing novelty (2023)

48 外務省, スーダン共和国基礎データ(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/sudan/data.html、2024年4月19日確認)

49 終わりと始まり ―火薬革命の900年―(https://kakuyomu.jp/works/16817330649203631851、2024年4月19日確認)

50 Joseph A. Tainter (1988)

51 Peter Turchin, End Times: Elites, Counter-Elites, and the Path of Political Disintegration (2023)

52 IPCC 第 6 次評価報告書統合報告書政策決定者向け要約(https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/ar6/IPCC_AR6_SYR_SPM_JP、2024年4月19日確認) 53 石油連盟; シェールオイルとは(https://www.paj.gr.jp/statis/faq/851、2024年4月19日確認)

54 小谷一雄, 石油・天然ガス資源の上流部門:主要なプレーヤーと市場の変遷(https://eneken.ieej.or.jp/data/8771.pdf、2024年4月19日確認), 図1

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