狩人への進化
では我々の先祖が進化の過程でハイコストを厭わずハイリターンを目指すようになったのは、一体いつのことだろうか。おそらく彼らがヒトと呼ばれるようになった時期、つまりホモ属が登場した頃からだと思われる。最古のホモ属と見られる化石は280万年ほど前のものが見つかっており(19)、特に200万年ほど前に登場したと言われるホモ・エレクトゥスの頃からヒトらしさが急速に増していった(20)。
二足歩行自体は700万~600万年前から存在していた。ルーシーと呼ばれる化石が有名なアウストラロピテクス・アファレンシスも、その骨格は二足歩行に適した形状をしており(21)、またタンザニアのラエトリで発見された366万年前の足跡化石も二足歩行の証拠とされている(22)。だが現代人と同じような歩き方が定着したのは、腕が長く脚が短いアウストラロピテクスの時代ではなく、現代人と似通った四肢の比率を持つようになったホモ・エレクトゥスになってから。ケニアのイレレットで見つかった150万年前の足跡化石からも、彼らが現代人と似通った体重移動を行っていたことが分かるそうだ(23)。
現代人に近い身体的特徴と運動能力がホモ・エレクトゥスにもたらした生存戦略が、「持久狩猟」だ。生物学者のデニス・ブランブルと古人類学者のダニエル・リーバーマンによると(24)、ヒトは短距離走こそ苦手だが霊長類の中でも例外的に持久走を行えるという能力を持ち、しかもその持久走において四足動物がギャロップ(駆け足)に移行する程度の速度を出せるという特徴を持つ。ヒトに追われた動物は逃げるためにギャロップを強いられることが増え、それが動物の疲労と、特に初期ホモ属が暮らしていたアフリカの日中においては体温上昇による熱中症のリスクをもたらした。長い距離を延々とヒトに追跡された動物は、時には熱中症で動けなくなり、あるいはそこまで行かずとも動きが鈍ってヒトに狩られるに至ったのだろう。
そうしたヒトの能力を示す身体的な特徴としてブランブルとリーバーマンが挙げているものは4つ。走行時の代謝コストを減らす長いアキレス腱はアウストラロピテクスには見当たらず、初期のホモ属に由来する。走る際の衝撃を吸収する足裏の土踏まずも重要だが、アウストラロピテクスの土踏まずは現代人に比べると部分的なものにとどまっており、こちらもホモ・ハビリスの時に生まれたと見られている。長い脚がもたらす歩幅の大きさも走る際の代謝コスト節約に役立ち、こちらはアウストラロピテクスより脚が50%も長いホモ・エレクトゥスになって明確に現れた特徴だ。そして4つ目が、脚部に比べてコンパクトな足。ホモ・サピエンスの足は脚部全体の9%しかなく、チンパンジー(14%)よりも割合は低い。小さく軽い足のおかげでそれを動かす際の代謝コストが節約できるわけだ(25)。
それ以外にも骨格や筋肉の構造、走る際に発生する熱の放散、必要な酸素を手に入れるための走行時における口呼吸へのシフトなど、持久走のために進化したと思われるヒトの特徴を彼らは色々と紹介している。そうした特徴は初期ホモ・エレクトゥスの頃に出揃ったもので、逆にそうした特徴を持たないアウストラロピテクスは頻繁に長距離を走ることはなかったと見られる。もしかしたらスカベンジャーであった初期ホモ属が、他の競争相手より早く獲物のいる場所に駆け付けるために発達させた能力が、この持久走だったのかもしれない。
走り方だけではなく、そもそも二足歩行の歩き方自体、持久力を優先して進化したものだとの説もある(26)。ヒトは足が地面についた瞬間に1回膝を曲げて伸ばし、地面を離れる瞬間にももう1回膝を曲げて伸ばす。一見すると無駄にも思える動きだが、実際にはこの歩き方によってエネルギーの消費量が少なくなるという。持久狩猟といっても常に走っていたわけではなく、歩きながら獲物を追っていた時間もあったと考えられ、こうした能力も相まってヒトは動物が疲れ果てるまで粘り強い狩猟を続けることができた。
ヒトに狩猟能力をもたらしたのは持久走だけではない。二足歩行によって自由になった前肢(腕)を使うヒトの投擲能力こそ、狩猟民が獲物を狩るうえで役に立ったと指摘したのはチャールズ・ダーウィンだった(27)。物を投げることは大型類人猿にも可能だが、高速かつ高い命中率で投擲できるのはヒトだけだ。この能力が初めて姿を見せたのもまた200万年前のホモ・エレクトゥスだったと指摘しているのが、リーバーマンや生物人類学者のニール・ローチら(28)。高い投擲能力を示すホモ・エレクトゥスの解剖学的特徴に加え、この時期に狩猟活動が盛んになったことを示す考古学的証拠が、その裏付けだ(29)。
ローチらは高速モーション・キャプチャー・カメラを使い、スポーツ選手などの投擲動作を記録。さらには腕の可動域に制限をつけて初期のホモ属に近いレベルまで能力にハンデをつけるといった実験を行ったという。その結果、肩関節の可動域の広さや物を投げる際に腕を引いた時の上腕骨の回転角度、また胴体を大きく回転させられる長くて柔軟なウエストといった特徴が、ヒトの高い投擲能力を生み出していることが分かったそうだ。こうした特徴のいくつかはアウストラロピテクスの時点から存在していたが、全部が出そろったのはホモ・エレクトゥスが登場してからだ(30)。
もちろん、狩猟に向いた肉体的な特徴を手に入れたからといって、すぐに効果的な狩猟ができたわけではないだろう。獲物を追うために激しく動く捕食者は、実際には体内で発生する熱をどう処理するかという問題に直面する。熱が溜まれば自分たちが熱中症で動けなくなってしまう。そうした事態を避けるためにヒトが手に入れた冷却能力の具体例として、リーバーマンは発汗、毛皮の喪失、皮下熱対流、鼻腔冷却、頭部の冷却、姿勢と体形といったものを取り上げている。例えば姿勢について言えば、直立二足歩行は四足歩行に比べ太陽が天頂にある時に日射にさらされる面積が3分の1にとどまるし、上半身や頭部を暑い地表から遠ざけられるというメリットもある(31)。
我々の先祖がいつ毛皮をなくしたかについては色々と議論があるようだ。例えばゲノム解析の結果、ヒトの肌を黒くするメラノコルチン1受容体の高い活性が生じたのは56万年前から120万年前に遡るという研究がある(32)。体毛がないと皮膚が有害な紫外線にさらされるため、少なくともこの時期にはヒトは毛皮を失っていたと考えられる。ただ、それより前のいつ頃に毛皮を失ったかについては不明だ。別の研究では、アウストラロピテクスが住んでいたアフリカの地における標高を計算に入れると、夜間の体温調整の必要性から毛皮の喪失はもっと後まで進化しなかったと指摘している(33)。ホモ属はアウストラロピテクスより標高の低い(つまり暖かい)地域に進出していたため、毛皮を失ったのはその時代になってからの可能性があるわけだ。
無毛化は一般的に発汗を促進すると言われている。ホモ属が持久狩猟できるようになった一因として、毛皮がなくなり発汗によって体温を下げやすくなった面もあると見られている。アフリカの暑い環境下で水筒を持っていなかったと見られる初期のホモ属が脱水症状を起こさずに持久狩猟を行うのは困難ではないかとの指摘もあるが、これに対してはカラハリ砂漠のような環境でもホモ・エレクトゥスが5時間を超える程度までなら水分補給なしで狩猟を実行できたとする研究もある(34)。
かくしてホモ属はアフリカの、特に暑い日中における狩猟というニッチを手に入れた。他の捕食者たちの大半は、毛皮をまとい発汗機能でも劣っていたため、熱中症にならないよう早朝や夕方、あるいは夜間に獲物を追う必要があった。ライバルの少ない真っ昼間の持久狩猟は、おそらく労に見合うリターンを、つまり他の大型類人猿たちが手に入れていたよりもずっと多いエネルギー源をヒトにもたらした(35)。そしてこの狩猟法は、他の環境でも幅広く活用された(36)。
ホモ属登場以前から我々の先祖が二足歩行を始めたのは、チンパンジーなどが行うナックルウォークよりも移動効率が高かったためだと見られる。彼らはその高い移動効率を生かしてチンパンジーよりも効率よく食糧を探し回ったのだろう。だがやがて我々の先祖は、その効率のいい移動方法を使って省エネな暮らしをするよりも、さらに多くの獲物を手に入れるために労を厭わず駆けまわるようになった。最初は食糧となる死骸や腐肉のあるところに急いで駆け付けるために進化した能力が、後には持久走や冷却能力を生かした狩猟にまで発展したのだとリーバーマンは見ている(37)。
19 Brian Villemoare et al., Early Homo at 2.8 Ma from Ledi-Geraru, Afar, Ethiopia (2015)
20 Andy I. R. Herrie et al., Contemporaneity of Australopithecus, Paranthropus, and early Homo erectus in South Africa (2020)
21 Donald Johanson and Maitland Edey, Lucy: The Beginnings of Humankind (1990)。ただしアウストラロピテクスについては樹上での行動にも適応していたという指摘がある; Jack T. Stern Jr and Randall L. Susman, The locomotor anatomy of Australopithecus afarensis (1983)
22 Mary Leakey, Pliocene footprints at Laetolil, Northern Tanzania (1978)
23 Christopher Ruff, Femoral/humeral strength in early African Homo erectus (2008); Kevin G. Hatala et al., Footprints reveal direct evidence of group behavior and locomotion in Homo erectus (2016)
24 Dennis M. Bramble and Daniel E. Lieberman, Endurance running and the evolution of Homo (2004)
25 Bramble and Lieberman (2004), Table 1 and Figure 3
26 Daniel Renjewski et al., Foot function enabled by human walking dynamics (2022)
27 Charles Darwin, The Descent of man (1871), pp133-134
28 Neil T. Roach et al., Elastic energy storage in the shoulder and the evolution of high-speed throwing in Homo (2013)
29 260万年前の遺跡から石器でさばいたと見られる獲物の骨が出土している; Sileshi Semaw et al., 2.6-Million-year-old stone tools and associated bones from OGS-6 and OGS-7, Gona, Afar, Ethiopia (2003)。狩猟が増えた痕跡は190万年ほど前の遺跡から見つかっている; David R. Braun et al., Early hominin diet included diverse terrestrial and aquatic animals 1.95 Ma in East Turkana, Kenya (2010)
30 Sid Perkins, Baseball players reveal how humans evolved to throw so well(https://www.nature.com/articles/nature.2013.13281、2024年2月18日確認)
31 Lieberman, Human Locomotion and Heat Loss: An Evolutionary Perspective (2015)
32 Alan R. Rogers, Genetic Variation at the MC1R Locus and the Time since Loss of Human Body Hair (2004)
33 Tamás Dávid-Barrett and Robin I.M. Dunbar, Bipedality and hair loss in human evolution revisited: The impact of altitude and activity scheduling (2016)
34 Martin Hora et al., Dehydration and persistence hunting in Homo erectus (2019)
35 20世紀の末頃に記録されたカラハリ砂漠での持久狩猟の事例では、気温が40度前後に達するような一日でも最も暑い時間帯に狩猟が行われていた; Louis Liebenberg, Persistence Hunting by Modern Hunter-Gatherers (2006)
36 持久狩猟に関する272の事例を集めた研究によると、そうした狩猟法は暑い低緯度地域や乾燥地帯だけでなく、寒冷な高緯度地域や森林でも使われているという; Eugene Morin and Bruce Winterhalder, Ethnography and ethnohistory support the efficiency of hunting through endurance running in humans (2024), Fig. 2
37 Lieberman (2015), pp111-113
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