大飛躍の有無

 なぜホモ・サピエンスだったのか。どうしてホモ・エレクトゥスやネアンデルタール人、デニソワ人といった他のホモ属は、ユーラシア南部にはたどり着けたものの、海を越えてオセアニアへ、あるいは極寒のシベリアからベーリンジア(海面の低下によって陸地になっていた氷期のベーリング海峡)を経て南北アメリカへと進出できなかったのか。20世紀の頃からホモ・サピエンスとそれ以前の人類との差を説明するためにしばしば持ち出されたのが、「行動の現代性」という考え方だ。

 ジャレド・ダイアモンドはその著作「銃・病原菌・鉄」の中で、今から10万~5万年前にクロマニヨン人(つまりホモ・サピエンス)に大きな変化、つまり「大飛躍」が生じたのではないかとの考えを提示している(50)。ダイアモンドの言う大飛躍を裏付けるものは、まずは東アフリカの、次に中東や欧州の遺跡から見つかる標準化された石器や貝殻のビーズ、釣り針や錐のように多様で特徴的な道具類、ロープや衣服、顔料、そしてクロマニヨン人たちが制作した洞窟壁画や彫刻などだ。彼はこうした出土品が見つかる背景にはクロマニヨン人による言語の使用や創造性があると指摘し、また同時にホモ・サピエンスが初めてオーストラリアに足を踏み入れたことを指摘している。

 ダイアモンドがクロマニヨン人、つまりホモ・サピエンスに備わっているとした特徴については、ネアンデルタール人が滅びホモ・サピエンスが生き残った理由として紹介されることも多い。2009年にまとめられた文章でも、ネアンデルタール人が使っていたムスティエ石器とホモ・サピエンスの使ったオーリニャック石器の差、ショーヴェ洞窟の壁画、声帯の構造やネオテニー、そしてダイアモンドと同様にホモ・サピエンスが「航海をしながら世界各地に展開していった」可能性を指摘し、両者のそういった違いが一方の絶滅と他方の繁栄につながったとの見方を示している(51)。

 確かにこうした「行動の現代性」の有無に基づく説明は分かりやすい。ホモ・サピエンス以前のホモ属は海を渡ることができず、また寒さに耐える能力もなかったため、アフリカとユーラシア南部までしか生息域を広げられなかった。そうした課題を克服したのはより高機能な道具を手に入れたホモ・サピエンスであり、それを支えたのが言語をはじめとした現代的な行動であったという考え方が広まったのも、そうした分かりやすさがあったからだろう。

 だが最近はこの「行動の現代性」という考えも、多地域進化説のように様々な批判を受けている。例えば言語については、すでにホモ・ハイデルベルゲンシスの時から舌を支える舌骨と、ヒトの声を聞き分けるのに役立つ耳小骨があったため、彼らが初期の言語を使っていたという指摘がある(52)。ネアンデルタール人については現代人ほど複雑な言語を話したわけではないとの主張と(53)、現代人の会話と同じくらい効率的にコミュニケーションを取る能力があったとの説がある(54)。ただしこれは程度の問題を巡る議論であり、言語能力の有無そのものがホモ・サピエンスと他のホモ属の差であったという考えは、最近はほとんど見られない。

 寒さを克服するために必要な衣服についても、最近はホモ・サピエンス以外で使われていたという研究が出てきている。特に寒冷地に住んでいたネアンデルタール人に関してはそうした研究が多く、例えば彼らが毛皮をなめす際に使っていたと見られるおよそ5万年前の骨角器がフランスで発見されているし、また氷期において彼らが住んでいた欧州の北部では最大で体の80%を覆うような衣服が必要だったとの指摘もある(55)。

 衣服自体は持っていたとしても、寒冷地に慣れていたネアンデルタール人は体に密着するような複雑な服を必要とせず、そのため針と糸を使った縫製技術はホモ・サピエンス以降に現れたとの反論もある(56)。だがこれに対しても、シベリアで見つかったネアンデルタール人の出土品の中にあった小さな石器が縫製を行うための針の役割を果たしたのではないかとの指摘が出ている(57)。さらにネアンデルタール人が使用していた石器に付着していた繊維を発見したという論文もあり、事実であれば彼らが衣服のみならずロープ、袋、網などを製作していた可能性も出てきそうだ(58)。

 とはいえ、ほとんど出土品として残らない衣服について考古学的資料から調べるのは難しい。ある研究者はアタマジラミとコロモジラミのゲノムから、ヒトが衣服の着用を始めたのは17万年ほど前だと推定している(59)。だが先にホモ・サピエンスがアフリカで衣服を発明し、それをネアンデルタール人が真似したのか、それともネアンデルタール人が先に衣服を作り、その後でシラミがホモ・サピエンスにも寄生するようになったのか、そのあたりははっきりしない。

 ネアンデルタール人がどこまで複雑な衣服を作っていたかについても議論がある。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の遺跡から発見される動物の死骸を分析。外気が入り込む衣服の襟元や袖口をトリミングするのに向いた毛皮を持つウサギ科、イヌ科、イタチ科の痕跡がホモ・サピエンスの遺跡に多かったことから、ホモ・サピエンスの方がより高い防寒性能を持つ服を作っていたとの研究もある(60)。以上のように衣服に関して両者が全く同じ能力を持っていたかどうかについてはなお議論があるものの、それでもネアンデルタール人が衣服と無縁だったとの見方は減っている。

 海を渡る能力も同様だ。それを証明するのが、既に紹介したホモ・フローレシエンシスやホモ・ルゾネンシスの存在そのもの。ダーウィンと同時期に進化論を発見したアルフレッド・ラッセル・ウォレスにちなんでワラセアと呼ばれる島嶼群に含まれるフローレス島は、氷期のために海水面が低下した更新世においてもユーラシアからは海で隔てられていた(61)。大陸とつながったことがないという点はフィリピン諸島に属するルソン島も同じ。20世紀末頃には海を渡る能力こそヒトの行動の現代性を示すものだとの指摘もあったが(62)、これらの島で見つかった古いホモ属の骨は、ホモ・サピエンスがこの地域にやってくるはるか以前にホモ属が海を渡っていた動かぬ証拠となる。

 例えばフローレス島では100万年前の地層からホモ属が製作したと見られる石器が発見されており(63)、ルソン島北部のカガヤン峡谷からは多くの石器とともに動物を処理した形跡のある出土品が77万7000~63万1000年前の地層から見つかっている(64)。ワラセア内で最大かつ最古の島であるスラウェシ島からも、石器とメガファウナの死骸でできた堆積物が発見されており、その時期は20万年前までは遡る(65)。これら東南アジアの島々にある痕跡は、ホモ属が海を渡った最古の記録と言っていいだろう。

 西に目を転じると、時期はずっと下るが地中海にネアンデルタール人が海を渡ったと思われる証拠がいくつかある。特にエーゲ海にはそうした遺跡が多いようで、例えば大陸と接続したことがないクレタ島では13万~10万年前の地層から石器などが発見されているし(66)、ナクソス島では25万年前まで遡ることができそうな石器が見つかっている(67)。アドリア海に面するイオニア諸島のケファロニア島やザキュントス島には11万~3万5000年前の遺跡があり(68)、これらの島に到達するには5~12キロの海峡を渡らねばならなかった。これらの遺跡で発見される石器は中期旧石器時代のものと見られており、そのため島の遺跡もネアンデルタール人との関連が深いという(69)。

 もちろんこうした一連の証拠は、後にホモ・サピエンスが残したと思われる渡海の痕跡に比べると、数も少ないし渡ったと思われる距離も短い。それでも海を越える能力の有無がホモ・サピエンスと他のホモ属の違いであったとの主張を否定できるだけの材料は揃っているように見える。むしろ注目すべきなのはホモ・サピエンスと他のホモ属による渡海の性格に、何か違いがあったかどうかだろう。

 ホモ・サピエンス以前のホモ属による渡海が意図的なものだったか、それとも受動的に文字通り流されただけなのか、という点には議論がある。考古学者のディラン・ギャフニーは、例えば嵐に巻き込まれて浮遊物につかまって流されるような非意図的な渡海と、新たな居住地に移住するための戦略的な渡海、そして両者の中間にあたるものが存在していたのではと指摘(70)。ワラセアや地中海における古い時代の渡海について、どのカテゴリーに属していたと考えられるか分析している。

 ワラセアでの古い渡海は距離が30キロ以内と短く、海を渡ったホモ属が戻って来た様子がないこと、そして島に渡った後のホモ属が大陸に暮らしていたころと同じ陸上動物を主に狩猟し、海産物をあまり利用していなかった(71)といった特徴がある。どうやら当時のホモ・エレクトゥスらは事故で運悪くフローレス島やルソン島に流され、そこから戻れなくなったようだ。彼らが近くの他の島に進出した様子がなく、また島の生態系に合わせるように体のサイズを縮小した点も、彼らが非意図的に流されたためにその後は島からほとんど動けなかったことを裏付けている。海を越えて島にたどり着くことができたのがワラセアだったのは、この地域が赤道直下にあって水温が高かったため。他の地域でも同様に流されたホモ属がいた可能性はあるが、彼らは次の島にたどり着く前に寒さで死亡していたのかもしれない。

 地中海で見られたネアンデルタール人による渡海は、ワラセアのホモ・エレクトゥスよりは「意図的」だったように見える。彼らは季節ごとに、時折島に渡ってリソースを手に入れ、その後で本土へと戻っていたようだ。柄を着けた石器を用い(72)、接着剤としてタールを使い(73)、そして上にも紹介したように紐を製作していた彼らが、筏のようなものを作った可能性はホモ・エレクトゥスよりは高い。だが彼らは戦略的に海を越えて新天地へと生息域を広げたわけではなく、その渡海は沿岸部での活動に慣れた採食者による冒険的な活動範囲の拡大にとどまるものだった。

 全体として、行動の現代性がホモ・サピエンスの登場とともにいきなり生まれたというダイアモンドの言う「大飛躍」があったと考える説は、今では流行らなくなっている。むしろ最近では渡海の例でも述べたように、現代性の「有無」ではなくその「程度の差」に注目した議論の方が主流だ。後から見ればちょっとした程度の差にしか思えないものが、実際には長い時間を経て大きな違いを生み出すことになった、という理屈だ。



50 Jared Diamond, Guns, Germs and Steel (1997), Chapter 1

51 篠田 (2009), pp132-134

52 Eudald Carbonell and Marina Mosquera, The emergence of a symbolic behaviour: the sepulchral pit of Sima de los Huesos, Sierra de Atapuerca, Burgos, Spain (2006)

53 Richard Klein, Three Distinct Human Populations

54 Mercedes Conde-Valverde et al., Neanderthals and Homo sapiens had similar auditory and speech capacities (2021)

55 Jean-Luc Heath, Neanderthal craft: an assessment of evidence for crafting activities within Neanderthal societies with a focus on clothing (2021), Figure 4.3, 5.1

56 Ian Gilligan, The Prehistoric Development of Clothing: Archaeological Implications of a Thermal Model (2010)

57 Heath (2021), Figure 5.3

58 B. L. Hardy et al., Direct evidence of Neanderthal fibre technology and its cognitive and behavioral implications (2020)

59 Danielle Torrent, Lice study dates first clothing at 170,000 years(https://www.floridamuseum.ufl.edu/science/lice-study-dates-first-clothing-at-170000-years/、2024年3月3日確認)

60 Mark Collard et al., Faunal evidence for a difference in clothing use between Neanderthals and early modern humans in Europe (2016)

61 Peter Bellwood, First Islanders: Prehistory and Human Migration in Island Southeast Asia (2017), pp15

62 Iain Davidson and William Noble, Why the First Colonisation of the Australian Region Is the Earliest Evidence of Modern Human Behaviour (1992)

63 Adam Brumm et al., Hominins on Flores, Indonesia, by one million years ago (2010)

64 T. Ingicco et al., Earliest known hominin activity in the Philippines by 709 thousand years ago (2018)

65 Gerrit D. van den Bergh et al., Earliest hominin occupation of Sulawesi, Indonesia (2016)

66 Curtis Runnels et al., Lower Palaeolithic artifacts from Plakias, Crete: Implications for Hominin Dispersals (2015)

67 Tristan Carter et al., The Stélida Naxos Archaeological Project: New data on the Middle Palaeolithic and Mesolithic Cyclades (2014)

68 George Ferentinos et al., Early seafaring activity in the southern Ionian Islands, Mediterranean Sea (2012)

69 Christina Papoulia, Seaward dispersals to the NE Mediterranean islands in the Pleistocene. The lithic evidence in retrospect (2017)

70 Dylan Gafney, Pleistocene Water Crossings and Adaptive Flexibility Within the Homo Genus (2020), pp301-302

71 Gafney (2020), pp279-280

72 Hartmut Thieme, The Lower Palaeolithic Art of Hunting: The Case of Schöningen 13 II-4, Lower Saxony, Germany (2004)

73 Paul Peter Anthony Mazza et al., A new Palaeolithic discovery: tar-hafted stone tools in a European Mid-Pleistocene bone-bearing bed (2006)

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