ボズラップの罠

 そうした考えの一つが、ネアンデルタール人の絶滅を巡る最近の議論にも表れている。ホモ・サピエンスが生き残りネアンデルタール人が絶滅したのは、単に前者の方が数が多かったから、という説がその一例だ。

 たとえばあるシミュレーションでは、今から4万~3万年前にかけてネアンデルタール人が絶滅に追い込まれるシミュレーションを行ううえで、開始時点(10万年前)の人口を東アフリカのホモ・サピエンス20万人に対して欧州のネアンデルタール人を7万人と想定。また人口増加率についてもホモ・サピエンスが年0.12%、ネアンデルタール人は0.021%と両者の間に大きな差をつけて計算している(74)。この研究では両者が本格的に接触を始めた5万年ほど前からホモ・サピエンスとの競争によりネアンデルタール人の数が大きく落ち込む一方、ホモ・サピエンスは人口を増やして更新世末期には400万人近くまで達するという結果が導かれている(75)。

 両者の直接的な競争よりも環境の影響が大きいとする研究もある。特に環境面で中型の草食動物(体重20~300キロ)が多かった地域ではネアンデルタール人が長く生き残ってホモ・サピエンスと一時期共存していたのに対し、少ない地域ではネアンデルタール人が先に姿を消してしまい、時間を置いて後からホモ・サピエンスがそうした地域に進出してきたという内容だ(76)。この研究でもネアンデルタール人とホモ・サピエンスの人口の差や出生率などの適応度の違いに前者の絶滅の理由があるという話を紹介している。

 ネアンデルタール人の人口規模が話題に上るようになった理由の一つは、人口を増やすのが困難な「ボズラップの罠」に彼らが嵌っていたという説があるからだ(77)。更新世の激しい気候変動のためにネアンデルタール人の人口動態は頻繁にボトルネックを経験していた。人口を養うためのリソースを環境から引き出すにはイノベーションの進展が必要だが、一方でイノベーションは人口とともに増えるため、人口の少ないネアンデルタール人はいつまでもイノベーションが進められず、限られたリソースしか引き出せない状態にとどまっていたという。

 逆に言うと、ホモ・サピエンスはその罠から抜け出すことに成功したとも考えられる。ネアンデルタール人など他のホモ属が持っていた行動の現代性では人口はゆっくりとしか増えず、それに対し現代性の度合いでわずかに上回っていたホモ・サピエンスは、そのわずかな差のおかげで罠から脱せるだけの人口増加率を達成できた、のかもしれない。いやそれどころか、罠から脱した後も彼らの人口は増え続け、その人口圧に押されるように新天地を求めた結果、ホモ・サピエンスは過去のホモ属が足を踏み入れたことのない場所にまで生息域を広げたとも考えられる。

 ホモ・サピエンスはどうやって他のホモ属より高い人口増加率を達成できるだけの環境適応を成し遂げたのだろうか。それは、ホモ属の脳を肥大化させ生息域を広める役目を担った動物食という強みに縛られるのではなく、むしろそれを見直し動物を主に食べるスペシャリストからより多様なものを食べるジェネラリストへと進化したことにあるようだ。

 更新世が始まった258万年前、陸上動物の平均的な体重は500キロほどもあった。だが更新世が終わるころになるとその数値は数十キロ(南北アメリカやオーストラリアでは数キロ)まで落ち込んだという研究がある(78)。先に低下したのは実はアフリカ大陸で、12万5000年前にはユーラシアや南北アメリカに比べ半分ほどと(79)、大陸のサイズから期待できる大きさに比べ随分と小さくなっていた。だがそれから時間が経つにつれて他の大陸でも同様の現象が起きた。おそらく大型動物の絶滅が相次いだ現象、いわゆる「第四紀の大量絶滅」がそれをもたらした。

 この絶滅を引き起こした有力な理由の1つと言われているのがヒトだ(80)。特に主犯と見られているのはホモ・サピエンスだが、それ以外にも100万年ほど前からアフリカでゾウなど長鼻目の多様性が低下していた件について、ホモ・エレクトゥスが動物食にシフトしたことに原因があるとする研究もある(81)。一方で気候変動が理由だという説もあり、例えばケニアのオロルゲサイリエ盆地で30万年以上前に起きた哺乳類分類群の大幅な変化と大型草食動物の減少は気候の変化がもたらしたという(82)。

 どちらが原因かという議論は今も続いているが(83)、理由が何であれホモ属にとっての主要な食糧源であった大型草食動物が、時とともに手に入れにくくなっていったのは事実だろう。アフリカのホモ・サピエンスが彼ら以前にアフリカに住んでいたホモ・ハイデルベルゲンシスらに比べて体のサイズが小さくなった(84)のを見ても、彼らが真っ先に食糧難に見舞われた可能性は高い。そこでホモ・サピエンスが採用したのが、より柔軟な生存戦略だ。1つは動物だけでなく植物を再び食糧源としてより多く利用するようになったことで、例えば植物加工に向いた石器は後期旧石器時代には南アジア(85)や欧州(86)で姿を見せ始めている。

 他にも過去4万年の間にヒトのゲノム変化が顕著に増加したという研究(87)を踏まえ、更新世末期に植物食を増やした可能性を指摘する向きもある。ヒトが脳を肥大化させるうえで必要なDHA(ドコサヘキサエン酸)を植物由来の脂肪酸から生成する効率をわずかに増やすゲノムの変化が8万5000年前にアフリカで起きたこと(88)から、食糧に占める植物の割合が増えたと見る説もある。およそ3万年前からヒトの脳サイズが縮小していったのも、植物食の増加という栄養的な条件によってもたらされたものかもしれない(89)。

 もう1つの選択肢が、狩猟の効率が良くない小型の動物を狙うことだ。上で紹介した、欧州の中でも中型の草食動物の多い地域でネアンデルタール人が長く生き延びたという研究では、ホモ・サピエンスの進出が早かった地域と獲物との関係も調べている。それによるとネアンデルタール人が姿を消した時期と有意な相関を持っていたのは中型草食動物の環境収容力だけだったが、ホモ・サピエンスの現れた時期は他に小型草食動物、そして自然植生の純一次生産力とも有意に相関していた(90)。ネアンデルタール人が大きなサイズの動物のみに依存していたのに対し、ホモ・サピエンスは植物に加えて体重20キロ未満の小型動物も獲物としていたためと解釈できるデータだ。

 小型の獲物を効率よく狩ることができる道具、すなわち弓矢の使用をホモ・サピエンスが始めたとする研究も(91)、こうした推測を裏付ける根拠となっている。現時点で最も古い弓矢の証拠とされているのは南アフリカのシブドゥ洞窟から発見された骨角器の鏃で、今から6万2000年ほど前のものと推測されている(92)。その後、ホモ・サピエンスがアフリカを出たことでこの道具は他地域にも広まり、フランス南部のマンドリン洞窟からは5万4000年前のものと見られる石製の鏃が(93)、またスリランカのファヒエン・レナ洞窟からは4万8000年前の骨製の鏃が(94)それぞれ発見されている。

 このうちマンドリン洞窟で見つかった石器が鏃であると推定されたのは、石器を使った弓矢の実験で確認できる衝撃による損傷と似た傷が残されていたことが理由。このマクロフラクチャー分析と呼ばれる手法は佐野勝弘が日本の後期旧石器時代の石器について調べる際に使った方法であり(95)、また南イタリアで発見された4万5000~4万年前の石器が鏃かどうかを判別する際にも使われている(96)。

 弓矢などの兵器に使われたと見られる石器は、例えばレヴァントにあるホモ・サピエンスの遺跡からは見つかる一方、同地域のネアンデルタール人の遺跡には見当たらない(97)。マンダリン洞窟にはネアンデルタール人の痕跡もあるが、弓矢を持ち込んだのはホモ・サピエンスであってネアンデルタール人にその技術は知られていなかったと研究者は見ている。弓矢を作って使いこなすホモ・サピエンスの方が高い狩猟能力を持ち、ひいてはそうした能力を生かしてより高い人口増加率を誇っていた可能性はありそうだ。

 弓矢はあくまで一例に過ぎないだろう。ホモ・サピエンスはそれ以外にも、例えば東南アジア地域の島嶼部などで積極的に海産物を利用していた。小さな島に流れ着いても陸上動物を主に食糧源とし続けた結果、体格まで小さくなったホモ・フローレシエンシスらとは異なり、後にやって来たホモ・サピエンスの遺跡から見つかった海生無脊椎動物(貝など)の遺物は、出土物全体の10%を超えるほどだったという(98)。彼らが他のホモ属よりも多様なリソースを利用できる能力を備えていた様子がうかがえる。

 こうした特徴は、個別に見れば小さな差かもしれないが、それらが組み合わさることで他のホモ属では超えることができなかった閾値を突破する力になったのかもしれない。かつてホモ属が捕食者への道を切り開くために、体格の変化や毛皮の喪失など数多くの条件を達成しなければならなかったのと同じだ。ノーベル賞学者のペーボは、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の差について「大きな集団を形成したり互いの世界観に影響を及ぼし合うことを可能にしている」社会性こそが重要だったのではとの見方を示しており(99)、だとすると個々のホモ・サピエンスの能力向上よりもそれを集団でどう使いこなすかの方が重要だったとも考えられる。


 ジェネラリストへと進化したホモ・サピエンスは他のホモ属が陥っていた「ボズラップの罠」を抜け出し、ホモ属の生息域を抑え込んでいた閾値を突破した。その結果、それまで180万年にわたってアフリカとユーラシア南部から脱することができなかったヒトは、今から6万5000年ほど前にはオーストラリアに進出。3万年前には寒冷なベーリンジアにも居住するようになり(100)、最も遅くに到達したと見られる南アメリカでも、最近の放射性炭素年代測定を使った研究によると1万5000年前にはヒトが生息するようになっていた(101)。閾値を突破した彼らは、たった5万年でそれまで地表の4~5割にとどまっていた生息域を約9割にまで拡大したわけだ。

 ただしホモ・サピエンスの進撃ペースはここで鈍った。最後に残った大陸である南極は現代人にとっても定住ができない土地であり、後は小さな島嶼を少しずつ攻略していくしかなかったのが理由。有限な世界での成長が描くSカーブの後半部が、ここでもまた姿を見せた格好だ。

 実際、ホモ・サピエンスの頭上には再びリソースの限界がのしかかることになる。上にも述べた第四紀の大量絶滅は、彼らがホモ属として初めて進出したオーストラリアや南北アメリカでも発生。いやむしろホモ属が昔からいたアフリカやユーラシア南部よりも高い大型動物の絶滅率を記録した(102)。逆にずっと昔からホモ属の恐ろしさを遺伝子レベルまで刻み込まれていたアフリカの動物たちは、この章の冒頭の実験でも紹介したように、極めて高い警戒感を持つことで絶滅を免れることができた。皮肉なことに、今ではアフリカこそが最も多くの大型動物が残る大陸となっている。

 ホモ属の生息域拡大に伴って絶滅に見舞われたのは獲物となった草食動物だけではない。既に150万年前からアフリカ東部では肉食動物の種の多様性が急激に落ち込んでおり(103)、その主要な原因はホモ属だったとの研究も存在する(104)。基本的には同じリソース(主に大型の草食獣)を巡る争いでホモ属との競争に敗れたのが理由だと思われるが、時にはホモ属が直接に肉食動物を狩ることもあったようだ(105)。超・捕食者としてのホモ属が地表の生態系を大きく変えてしまったことがうかがえる。

 ところがそうやって生息域を広げる一方、ホモ・サピエンスは単に獲物を狩るだけではない、独特な関係を他の生物と結び始めていた。この動きを通じ、ヒトは新しい画期をもたらすイノベーションへとさらに歩みを進めていくことになる。



74 Axel Timmermann, Quantifying the potential causes of Neanderthal extinction: Abrupt climate change versus competition and interbreeding (2020)

75 最終氷期極大期のホモ・サピエンス人口については、計算法によって210万人強から830万人ほどという推計値がある; Joanna R. Gautney and Trenton W. Holliday, New estimations of habitable land area and human population size at the Last Glacial Maximum (2015)

76 Marco Vidal-Cordasco et al., Neanderthal coexistence with Homo sapiens in Europe was affected by herbivore carrying capacity (2023)

77 エスター・ボズラップはマルサスとは逆に人口圧が高まると農業の集約化が進むという楽観的な理論を唱えた経済学者で、ここでは人口圧が高まらないために生産技術の高度化も進まないという意味で「ボズラップの罠」という言葉が使われている; Jean-Pierre Bocquet-Appel and Anna Degioanni, Neanderthal Demographic Estimates (2013)

78 Felisa A. Smith et al., Body size downgrading of mammals over the late Quaternary (2018), Fig. 3

79 Smith et al. (2018), Table S1

80 Juraj Bergman et al., Worldwide Late Pleistocene and Early Holocene population declines in extant megafauna are associated with Homo sapiens expansion rather than climate change (2023); Christopher Sandom et al., Global late Quaternary megafauna extinctions linked to humans, not climate change (2014)

81 Yadvinder Malhi et al., Megafauna and ecosystem function from the Pleistocene to the Anthropocene (2016)

82 この研究によると気候変動前に住んでいた哺乳類の分類群30のうち、変動後も引き続きこの地に生息していたものはたった7種にとどまり、代わって新たな16種の哺乳類分類群がこの盆地に姿を現すようになったという。具体的にはレッキゾウや、ウマ科の動物など絶滅した種がこの時期に姿を消し、代わってスプリングボックや齧歯類などがこの盆地に生息するようになった; Richard Potts et al., Environmental dynamics during the onset of the Middle Stone Age in eastern Africa (2018)

83 Paul L. Koch and Anthony D. Barnosky, Late Quaternary Extinctions: State of the Debate (2006)

84 Steven E. Churchill et al., Body Size in African Middle Pleistocene Homo (2012)

85 Ofer Bar-Yosef, The Upper Paleolithic Revolution (2002)

86 Ksenia Stepanova, Upper Palaeolithic grinding stones from Eastern European sites: An overview (2020)

87 John Hawks et al., Recent acceleration of human adaptive evolution (2007)

88 Rasika A. Mathias et al., Adaptive Evolution of the FADS Gene Cluster within Africa (2012)

89 Hawks, Selection for smaller brains in Holocene human evolution (2011)

90 Vidal-Cordasco et al. (2023), Fig. 5

91 Giuseppe Carignani, On the Origin of Technologies: The Invention and Evolution of the Bow-and-Arrow (2016), pp320 92 Lucinda Backwell et al., The antiquity of bow-and-arrow technology: evidence from Middle Stone Age layers at Sibudu Cave (2018)

93 Laure Metz et al., Bow-and-arrow, technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France (2023)

94 Michelle C. Langley et al., Bows and arrows and complex symbolic displays 48,000 years ago in the South Asian tropics (2020)

95 Katsuhiro Sano, Evidence for the use of the bow-and-arrow technology by the first modern humans in the Japanese islands (2016)

96 Katsuhiro Sano et al., The earliest evidence for mechanically delivered projectile weapons in Europe (2019)

97 John J. Shea and Matthew L. Sisk, Complex Projectile Technology and Homo sapiens Dispersal into Western Eurasia (2010)

98 Thomas Sutikna et al., The spatio-temporal distribution of archaeological and faunal finds at Liang Bua (Flores, Indonesia) in light of the revised chronology for Homo floresiensis (2018)

99 アダム・ピョーレ, 最新の研究で解明進む、ネアンデルタール人の新事実──そして我々のこと(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/01/post-100637_1.php、2024年3月8日確認)

100 John F Hoffecker et al., Beringia and the global dispersal of modern humans (2016)

101 Luciano Prates et al., Rapid radiation of humans in South America after the last glacial maximum: A radiocarbon-based study (2020)

102 Koch and Barnosky (2006), Table 2。新大陸に加えてユーラシア北部もかなりの絶滅を経験した一方、サブサハラ・アフリカとアジア南部への影響は少なかったとする研究もある; Anthony John Stuart, Late Quaternary megafaunal extinctions on the continents: a short review (2015)

103 Margaret E. Lewis and Lars Werdelin, Patterns of change in the Plio-Pleistocene carnivorans of eastern Africa (2007)

104 Werdelin and Lewis, Temporal Change in Functional Richness and Evenness in the Eastern African Plio-Pleistocene Carnivoran Guild (2013)

105 30万年少し前のスペインの地層からはヒトの獲物になったと見られるライオンの骨が発見されている; Ruth Blasco et al., The hunted hunter: the capture of a lion (Panthera leo fossilis) at the Gran Dolina site, Sierra de Atapuerca, Spain (2010)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る