第6章 100人のエネルギー奴隷
現代的経済成長
北宋の詩人である蘇軾は、石炭を題材にした詩を作っている。その詩の序文によれば、元豊元年12月(1079年1月)に徐州の西南にある白土鎮で初めて石炭が手に入り、それで鉄を鍛えて刀剣を作ってみたところ、サイの皮を突き破るほどの鋭利なものができたそうだ。彼は詩の中で石炭を宝や黒い琥珀になぞらえ、この石炭のおかげで南の山にある栗林は一息つくことができ、北の山から苦労して掘削する必要もなくなる、と記している(01)。
ある研究者はこの詩の中に、高炉を使った製鉄作業の描写もあると解釈している(02)。そうした読みが正しいのかどうかは分からないが、蘇軾の詩に出てくる石炭が、単に暖を取るだけでなく金属加工にも使われていたことは明らかだ。この研究者は、それ以前は数の少なかった石炭関連の記録が、宋代以降に急増することも指摘。例えば南宋の莊季裕が記した鶏肋編では、蘇軾の詩に触れた後で「かつて開封府では数百万の家が石炭に頼っており、誰も薪を燃やさなかった」と記している(03)。
この時期に中国で大量の石炭が使用され、また多くの鉄が精錬されていたとの主張は以前から存在した。それによると北宋における1078年の鉄の生産量は年7万5000トンから15万トンもあり、これは1640年のイングランドとウエールズにおける生産量の2.5~5倍に達していたのみならず、18世紀初頭の欧州全体の生産量(14万5000トンから18万トン)に近いレベルにあったという(04)。この鉄は貨幣や農具の材料、さらに鉄製の兵器のために使われたそうだ。
大量の製鉄は大量の木炭を必要とした。そのため11世紀前半の華北では深刻な木材不足が生じ、それが石炭の利用増につながったと言われている。実際、この時代には製鉄のため石炭を使ったという明白な文献記録も存在しており(05)、放射性炭素年代測定でも宋や元の時代に石炭あるいはコークスを木炭と混合して高炉に使用したことが判明している(06)。石炭の生産量まで行くといろいろと議論はあるが、宋代がこのように工業生産の大きく伸びた時代であったとの見解は多い。
この経済的発展を支えたのは何だろうか。有名なのはチャンパ米のように収穫量の多いコメの新品種がもたらした余剰生産が寄与した、という説だ(07)。一方で社会経済的な環境から人々が農業外の生業にシフトしたことが理由だとの説もある。そうした環境は皮肉なことに宋が政治的軍事的に弱体であったからこそ生じたものだという。北宋は建国初期に遼や西夏といった国に敗北し、多くの歳幣を収めることを強いられた。これらの貢納品は穀物のような食糧ではなく、銀や絹で納めることになったため、宋はそのための資金を手に入れる方に重点を置いた経済運営を強いられた。結果、宋の政府は金属、織物、茶、塩など様々な商業産品をかき集めるようになり、また交易にも力を入れたため商業が盛んになり、それが経済成長をもたらしたという見方だ(08)。
原因が何であれ、北宋経済が当時としては異例なほどの成長を見せたのは確か。北宋と明、清のGDP推計を行った研究によると、北宋期の成長率は年平均0.88%と明(0.25%)、清(0.36%)のいずれも大きく上回っており、紀元1090年時点での1人当たりGDP(1990年ドル換算)は中国が878ドルだったのに対し、当時のイングランドは754に過ぎず、広大な中国の方が1人当たりの豊かさで上回っていた。この推計値に従うならイングランドが中国に追いついたのは1400年になってからであり、中国の中でも経済的に豊かな先進地が欧州と差を付けられ始めたのは18世紀に入ってからとなる(09)。
もちろん細かいところには異論もある。例えば上に紹介した鉄の生産量については計算方法が間違っているという指摘があり、その場合の推計値は3万5000~4万トンという数字になる(10)。もちろんこの数字でもなおかなり高い水準なのは事実。ある推計と比較するなら18世紀半ばの英国よりは多く、スウェーデンと同水準か少し低いくらいの数字になる(11)。中国の方が人口が多いとはいえ、欧州より500年以上も前にこれだけ高い生産力を誇っていたのはやはり驚くべきことに見える。
そのためか、中には宋代の中国がクズネッツの言う「現代的な経済成長」(12)、つまり構造的な変化(工業化、都市化など)を伴う1人当たり生産力と人口の双方での持続的な向上を達成していたと主張する研究者もいる(13)。この研究者はさらに宋代の経済について、英国で18世紀後半から19世紀前半にかけて進んだ第一次産業革命と同じ性格のものだったという見方まで提示。産業革命の定義について見直すべきではないかというところまで踏み込んでいる。
さすがにここまで述べている研究者は多くはないが、宋代の経済が当時としてはかなり発展していたとする指摘は多い。例えばある研究によると、宋では11世紀後半には税収の3分の2を農業以外への課税が占めるところまで経済が変貌。貨幣化、間接税、税徴収の集権化と専門化を通じ、北宋は世界史初の「持続可能な課税国家」になったという(ただし国家が課税できたのは都市部に限られていたそうで、農村での課税は地方エリートに委託していた)。さらに12世紀に入ると信用経済も発展し、1200年頃には兌換制の約束手形の総量が年間の税収を超え、宋は原始的な財政国家にシフトした(14)。
宋が「現代経済」を発展させたことについては他の研究でも指摘されている。科学に基づく生産工場や法律に基づく資本市場などは存在していなかったものの、生産の専門化、工業化、都市化、商業化、貨幣化、そして信用制度の利用拡大といった性格を彼らの経済は持ち合わせていた。紙幣の利用、農業生産の急増と商業化といった傾向は同時期の欧州諸都市には見られず、そこから宋代中国こそが世界で最初の現代的経済を達成したとの結論を出しているほどだ(15)。
ただしこうした評価があるのは宋代中国だけではない。例えば古代ローマについても現代的な経済成長を成し遂げていたとする指摘がある。ローマでは人口と1人当たり所得の双方が伸び、貧しい者たちでも消費財市場にアクセスすることができた。地中海(ローマ人の言う我らの海)の海賊退治が進んだ結果、輸送コストの低下を通じて交易が広まり、財産権の尊重や共通通貨制度もあって17世紀や18世紀になるまで達成されなかったような金融仲介機能がローマの銀行と商業ネットワークによって提供されていた、などがその主張内容だ(16)。
別の研究者はローマ経済について、生産と消費の総額及び1人当たりの額で紀元前3世紀かその少し後から上向きとなり、紀元前1世紀から紀元1世紀に目覚ましいピークに達したと記している(17)。彼が示したデータを見ると、ローマ南方50キロのところから出土した陶器の欠片、あるいは地中海世界で広く使われていたアンフォラの欠片について1人当たりの数を時代別に見ると、前者は紀元前1世紀の後半まで、後者は2世紀末あたりまで急激に伸びている様子がうかがえる。
ローマと産業革命の共通点としてよく取り上げられるのは、紀元1世紀にヘロンがギリシア語で記した文献の中に出てくる「ヘロンの蒸気機関」だ(18)。蒸気圧を使って球体を回転させるこの装置は世界初の蒸気機関とされている。実用性のあるものとして作られた様子はないが、それでも産業革命を支えたと言われる技術が既にこの時代に生まれていたことは事実。ヘロンはそれ以外にもコインを投入すると聖水が出てくる世界初と言われる自動販売機を発明したほか、これまた世界で最初の風力機関である風力を使ったオルガンも生み出した(19)。
もちろんこちらの主張についても異論を唱える研究者はいる。例えばローマの成長は市場メカニズムを中心とした自立的戦略だけでなく、軍事的征服による略奪行動も組み合わせたハイブリッドなものだったとの指摘もある(20)。それでもローマが、あるいは宋代中国が、農業社会としては例外的に高い、現代的な経済成長に近い発展を達成していたのはおそらく確かだろう。実際、これらの社会が歴史的に見てもかなり発展していたという主張をエネルギーの観点から行っているのが歴史家のイアン・モリスだ。
彼が歴史分析に際して用いたのが社会発展指数と呼ばれるものだ。これはエネルギー獲得量、組織化、戦争遂行能力、情報テクノロジーの4指標を統合したもので、最初の2つはそれぞれ1日1人当たりのエネルギー獲得量(キロカロリー)、及び都市のサイズを代理変数として活用。戦争遂行能力については戦争ゲームの手法を使って数値を推計し、情報テクノロジーについては識字率や計算能力に加えて情報伝達速度や距離に影響を及ぼす技術を入れた推計を行っている(21)。中でもここで特に注目したいのがエネルギー獲得量だ。
産業革命はある意味エネルギー革命だったとする見方は多い。農業社会においてエネルギーは植物の光合成の年間サイクルに依存しており、結果として光合成が生み出すエネルギー総量によって経済成長が制約されていた。だが産業革命以降は化石燃料の使用が広まってエネルギー消費量が大幅に増加。それに伴い経済的な生産量も増えていった(22)。実際に英国では1620年頃か、もしかしたらもう少し前には既に石炭が熱源としてバイオマス燃料を上回るようになり、1700年には75%、1800年には90%にまで高まっていったという(23)。エネルギー獲得量からヒトの画期を推し量ることは十分に可能だろう。
分かりやすいのが、エネルギー利用の豊富な現代を象徴する「エネルギー奴隷」という概念だ。ヒトの労力に取って代わる機械や道路など、ヒト以外のインフラの製造や運用に使われる1人当たりエネルギー量を指し示すものだが、先進国ではそのエネルギーはヒト100~200人分に相当すると言われている(24)。産業革命を経て現代的な経済成長の恩恵を受けている我々は、100人もの奴隷を自由に使えた古代の王侯貴族と同じ程度の贅沢を味わっている、と考えればいい。
モリスはエネルギー獲得量を含む社会発展指数の計算に際し、特に肥沃な三日月に文明の淵源を持つ西洋と、中国に淵源がある東洋に着目し、データを集めた。期間は更新世末期にあたる紀元前1万4000年から紀元2000年までを対象としており、一定期間ごとに双方で最も発展していた中核地域の発展度を計測。具体的には西洋であれば最初はオリエント、続いて地中海地域、さらに西欧を経由して北米へと中核がシフトしており、東洋は黄河流域から黄河と長江双方、そして日本を含む地域へと移ったという(25)。
このデータを見ると、西洋における1人1日当たりエネルギー獲得量は、英国で産業革命が始まる前の紀元1700年時点で3万2000キロカロリーとなっている。この水準よりもエネルギー獲得量が上に突き抜ければ本格的な産業革命のスタートと考えることができそうだが、実は近い数字を記録した例が英国以外にもある。具体的には西洋の紀元1年と100年、つまりローマの全盛期がそれぞれ3万1000キロカロリー、東洋の紀元1200年、つまり宋代中国が3万500キロカロリーとなっているほか、英国経済が離陸する直前の1700年には清代中国も3万3000キロカロリーと西洋に匹敵する数字を出している(26)。
こうした事例を並べてみる限り、どうやらエネルギー獲得量が増えてもそれだけで産業革命に至るわけではないことが分かる。ローマや宋代中国のように、その後で再び低迷に見舞われる例があるからだ。ではそうした事例と、産業革命期の英国とを分けた理由は、果たしてどこにあったのだろうか。
01 蘇詩補註, 巻17
02 Donald B. Wagner, Blast Furnaces in Song–Yuan China (2001), pp51-52
03 鶏肋編中巻。もちろん数百万というのは誇張表現だろう; 包偉民, 意象と現実: 宋代都市等級試論 (2019), pp116
04 Robert Hartwell, A Revolution in the Chinese Iron and Coal Industries During the Northern Sung, 960-1126 A.D. (1962), pp155-158
05 続資治通鑑長編, 巻164
06 Wagner (2001), pp58。一説によると木炭の比率が3割、石炭が7割だった
07 Ping-Ti Ho, Early-Ripening Rice in Chinese History (1956)
08 Kent G. Deng, Demystifying growth and development in North Song China, 960–1127 (2013)
09 Stephen Broadberry et al., China, Europe and the Great Divergence: A Study in Historical National Accounting, 980-1850 (2017), Table 6, Figure 13
10 吉田光邦, 宋代の鐵について (1966), pp155
11 Jan Luiten van Zanden, A Survey of the European Economy, 1500-1800 (2005), Table 4.5
12 Simon Kuznets, Modern Economic Growth. Rate, Structure, and Spread (1966)
13 Ronald A. Edwards, Redefining Industrial Revolution: Song China and England (2013)
14 William Guanglin Liu, The making of a fiscal state in Song China, 960-1279 (2015)
15 Billy So and Sufumi So, Song China: The First Modern Economy? (2022)
16 Kyle Harper, The Fate of Rome: Climate, Disease, and the End of an Empire (2017)
17 Willem M. Jongman, Re-constructing the Roman economy (2014)
18 Herons von Alexandria, Herons von Alexandria Druckwerke und Automatentheater (1899), pp230-231
19 Dennis G. Shepherd, Historical Development of the Windmill (1990), Figure 1.1 20 Luigi Oddo, Revisiting Roman Economic Growth: Predatory Policies, Self-Sustaining Strategies, and the Limits of Neo Institutional Economics (2023)
21 Ian Morris, Social Development (2010)
22 E. A Wrigley, Energy and the English Industrial Revolution (2013)
23 バーツラフ・シュミル, エネルギーの人類史 下巻 (2019), pp21
24 Mario Giampietro et al., Energy Analysis for a Sustainable Future: Multi-scale Integrated Analysis of Societal and Ecosystem Metabolism (2013), pp113
25 Ian Morris (2010), Table 1
26 Ian Morris (2010), Table 2, Table 5
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