騎兵軍事革命

 かくしてヒトは第4の遷移を成し遂げたのだが、国家や都市の急成長が起きたのはこの時だけではなかった。ターゲペラのグラフを見るとわかる通り、紀元前500年からちょうど紀元の変わり目あたりまで2度目の帝国領土の急成長期があり、そこからまた一定の範囲での動きが紀元1600年まで続いた。ターゲペラがフェイズ2と呼ぶこの局面とほぼ同じ流れは都市人口でも見られる。第2章ではホモ・エレクトゥスの脳肥大化の後でホモ・ハイデルベルゲンシス以降に2度目の脳肥大化が起きたことを紹介したが、あの時と同様、国家への遷移の際にも「二段ロケット」が打ち上げられていたのだ。

 何が起きたのか。ダイアモンドが文明に大きな影響を及ぼしたものとして言及していた「ユーラシアの家畜」(第4章)が、実は国家のようなヒトの社会にもインパクトをもたらしていた。手近にどのような家畜が存在していたかは、どのような社会を作り上げるかを規定するほどの意味を持っていたと思われる。

 農業開始からずっと後になるまで家畜を持たなかったニューギニアで国家のような複雑な社会が生まれなかったことは指摘済みだ。だが家畜があればどこでも似たような社会の進化が見られたかというと、そんなことはない。わかりやすい事例がメソアメリカだ。欧州人と接触した時点でアステカ帝国の面積は13万5000平方キロと(89)、彼らより4000年ほど前(紀元前2400年)に存在していたエジプト古王国の40万平方キロ(90)というサイズにすら届いていなかった。

 アステカをはじめとしたメソアメリカ文明の大きな特徴は、家畜化されたメガファウナの不在だ。第四紀の絶滅などでそもそもメガファウナの種類が少なかったアメリカ大陸では家畜化に向いた動物が少なく(91)、南アメリカ大陸に生息していたリャマとアルパカしか家畜化されなかった(第4章)。メソアメリカではユーラシアから連れてこられたイヌを除くと、あとはシチメンチョウやバリケンなどの家禽類のみが家畜化された(92)。家畜種の少なさもあってか、アステカの平民たちは祭りなど特定の時を除いてほとんど肉を食する機会がなかったという。

 だがメソアメリカにとって何よりマイナスだったのは、食糧としての家畜ではなく「荷役用」の家畜、つまり駄獣の不在にあったという研究が存在する。経済史学者のアンドレアス・リンクが唱えたもので、背中に背負わせて荷運びをする駄獣は陸上の長距離交易路の発展を促し、それを通じた経済活動の活発化が情報処理能力の向上や分業化、ひいては社会階層の分化をもたらしたとする主張で、そうした初期国家における違いは現代の経済格差にまでつながっている、という内容だ(93)。

 駄獣として多くの荷を運べるのはメガファウナの中でも体格の大きな動物に限られる。ヤギやヒツジ、ブタ、アルパカといった、あまり大きくない家畜では難しい。この研究ではウシ科のウシ、ヤク、ガヤル、バリウシ、スイギュウ、ラクダ科のヒトコブラクダ、フタコブラクダ、リャマ、そして奇蹄類のウマ、ロバを駄獣とし、それらの野生種が生きていた地域が持つ特徴を色々と紹介している。例えば駄獣とともに生きていた民族では民話の中に平均して2.61個の交易に関連したモチーフが見られるのに対し、そうでない民族は平均0.70個にとどまる。

 単にモチーフがあるだけでなく、実際の古代交易路との関係も重要だ。例えばエジプトと中央アフリカをつなぐヌビアの交易路は国家誕生前の紀元前4000年、あるいはさらにそれ以前から存在しており、金、ダチョウの羽根、象牙、黒檀、さらには奴隷などが取引されていた(94)。この交易路で最初に駄獣として使われたのはロバで、少し後にはラクダが利用されるようになった。他にもシルクロードや、アラビア半島とレヴァントをつなぐ香辛料の道、インカ道といった昔からの交易路を調べると、駄獣のいた地域はそうでない地域より31.5%近く(95)、逆に家畜化されていても駄獣にはならないイヌ、ヤギ、ヒツジ、ブタの野生種と交易路の間には統計的に有意な関係がない。

 社会の複雑性を示す都市との関係も同じだ。紀元400年以前に存在した都市との関係で言えば、駄獣のいる地域の方がそうでないところより32.1%近かった(96)。また数字を扱う能力、仕事の分業化、経済格差といった特徴についても同様の傾向が見られる。リンクは荷役用の動物が欧州とアジアに集中していることを指摘し、世界の他の地域に比べてこれらの地域が早いペースで発展してきた理由として駄獣の存在があるのではとの見方を示している。

 実際、駄獣の存在が国家のサイズに影響を及ぼしたと考えられる実例がインカ帝国だ。タワンティンスーユ(ケチュア語でのインカ帝国の名称)の面積は1532年時点で100万~150万平方キロもあったと言われている(97)。数字に幅があるのは帝国の権威がどこまで届いていたかについての解釈の違いが理由だが、それでも同時期のアステカの10倍前後に達していたのは間違いないだろう。人口も1200万人近くいた(98)インカが、駄獣を持たないメソアメリカを抑えて新世界で最大の帝国であったのは確かだ。

 ただし、そのサイズ感は旧世界で言えば「ロケットの一段目」に相当するものに過ぎなかった。紀元前1500年頃のエジプト新王国は既に152万平方キロの面積に達していたし、紀元前900年の西周(実態は邑制国家の連合体であったが)もほぼ100万平方キロのサイズを誇っていた(99)。つまりインカ帝国のサイズは、ターゲペラの言うフェイズ1の時期にアフロ・ユーラシアの諸国家が実現していた上限と同水準だと考えられる。どうやら駄獣の存在はロケットの二段目に点火するには力不足だったようだ。

 では何が国家サイズをもう一段大きくしたのだろうか。ピーター・ターチンらは鉄器と騎兵の存在に注目している。騎兵は古代の大量破壊兵器として遊牧民の脅威を増し、農耕社会はそれに対抗して大規模な軍隊の編成を迫られた。そしてその軍隊を支えるための複雑な行政システム作りのために人々が駆り出されるようになり、さらにはそうした取り組みを進めるため異質な人々を団結させたのが枢軸時代に生まれたイデオロギーであった、というのがターチンらの考えだ。実際、騎兵や鉄器が生まれた後にターゲペラのフェイズ2へと至る国家領域の急速な拡大が続き、300~400年後には領土面積300万平方キロを超えるような大帝国が生まれている(100)。

 ヒトがウマにまたがり始めたのは紀元前3200~2500年頃に栄えたヤムナヤ文化の時代だと見られる。まだ馬具が発明される以前、ヒトはウマの臀部に近いところに膝を曲げて座る「チェアシート」と呼ばれる乗馬スタイルを採用していたことが紀元前2100~1200年の図像から分かるが、その座り方がもたらす骨の病変などがヤムナヤ文化から発掘された人骨に見られる(101)。ただし病変があったのは調査した172体の人骨のうち24体のみで、乗馬はまだ一般的な技術ではなかったようだ。

 ウマが一般的な家畜ではなかったシュメール時代のメソポタミアで、主に使われていたのはロバだった(102)。しかし青銅器時代の終わり頃、紀元前第2千年紀の後半になるとウマをよりコントロールしやすくなる金属製のハミの使用が中東で広まり始め(103)、さらに紀元前第1千年紀に入るとウマに鞍を付けることが広まった。紀元前9世紀のレリーフにはキンメリア人が乗馬して戦っている姿が描かれているが、そのウマには鞍らしきものが装着されている(104)。鞍がある場合、ヒトはより安定した姿勢で長時間乗馬することが可能な「スプリットシート」と呼ばれる姿勢を取りやすくなり、その効果もあってこの頃から騎兵が実用的な兵器として使えるようになった。

 特に紀元前10~7世紀に中東で勢威を誇った新アッシリア帝国の遺跡からは、騎兵を描いたレリーフが多数発見されている。当初は2騎一組で1騎が馬上から弓を射る間にもう1騎が手綱を押さえるといった役割分担がなされていたようだが、時とともに騎兵は単独で行動するようになり、武装は弓矢を持つ軽騎兵と槍を構えた重騎兵とに分かれていった(105)。アッシリアが初めてオリエント世界を統一した帝国であることはよく知られている通りで、騎兵技術がそうした大国を作り上げる原動力になった可能性がある。実際にアッシリアの後にオリエントを再統一したアケメネス朝ペルシアは、世界で初めて300万平方キロを超える範囲まで領土を広げた帝国となった(106)。

 この時期には国家の面積だけでなく、軍事技術の普及でもSカーブが生じていた。アフロ・ユーラシアのコア10地域を対象にしたSeshatのデータ分析によると、短期間に胸当て、四肢の防護装備、騎兵などが広まった様子がうかがえる(107)。同様の急速な軍事技術の普及は他にも紀元前第4千年紀末期の青銅器、同2000年頃のチャリオット、そして紀元1500年頃の火薬でも見られる現象であり、ターチンらはこれを「4つの軍事革命」と呼んでいる。

 興味深いのは、この4つの軍事革命のうち2つにウマが関与していたことだ。駄獣も含め、家畜化に向いたメガファウナが生き延びていたことが国家の拡大に影響を及ぼしたわけで、もしヒトの存在がメガファウナの絶滅をもたらす要因だったとしたら、過去のヒトの行動が後の歴史に思わぬ形で影を落としていたことになる。このように過去の経緯が後の行動を規定している現象を経路依存性と呼ぶのだが(108)、ヒトの歴史にも当然そうした傾向が存在する。

 騎兵が広まっていた時代に同じように各地に伝播していったと見られるのが、道徳的な宗教だ。エジプトのようにより早いタイミングでそうした宗教が勃興した地域もあったが、多くは紀元前第1千年紀からその後にかけて、道徳的な教えを説く「枢軸宗教」の影響が強まっていった。タイミング的には社会の複雑性が増した後にそうした動きが強まっており(109)、ターチンによるとそうした宗教は各地で同時並行的に生まれたのではなく、エジプトからアケメネス朝ペルシアを経てユーラシア各地に広まったのだそうだ(110)。普遍的な道徳と平等主義、そして社会性という3つの特徴を持つ枢軸宗教は(111)国家のような巨大な社会を運営するうえで好都合だったのだろうが、エジプトで生まれた教えが広がったという点ではこれも経路依存的と言えそうだ。

 第4の画期以降、こうした経路依存性がヒトの歴史においてアフロ・ユーラシアを他の地域より先行させた。特に騎兵登場後はユーラシアステップとその近くにより大きな帝国が相次いで登場する要因となった。だがそうして生まれた帝国ベルト(112)は、それ自体が新たな経路となってさらに後の時代の道筋を決めてしまう。やがて訪れた第5の画期においても、経路依存性はやはり大きな影響を及ぼすことになった。



89 Michael E Smith and Maëlle Sergheraert, The Aztec Empire (2012), Figure 31.1, pp453

90 Rein Taagepera, Size and Duration of Empires: Growth-Decline Curves, 3000 to 600 B.C. (1978), Table 1

91 Andrew R. Wyatt, The Food and Cuisine of Precolumbian Mesoamerica (2002)

92 Andrew R. Wyatt (2002); Badini Confalonieri, The use and significance of animals in Aztec rituals (2009)

93 Andreas Link, Beasts of Burden, Trade, and Hierarchy: The Long Shadow of Domestication (2023)

94 Mutwakil A. Amin, Ancient Trade and Trade Routes between Egypt and the Sudan, 4000 to 700 B.C. (1970)

95 Andreas Link (2023), Table 1

96 Andreas Link (2023), Table 2

97 Mariusz Ziółkowski et al., Astronomical Observations at Intimachay (Machu Picchu): A New Approach to an Old Problem (2013), pp392

98 Jaime Castro et al., The optimal design of the retaining walls built by the Incas in their agricultural terraces (2019)

99 Thomas E. Currie et al., Duration of agriculture and distance from the steppe predict the evolution of large-scale human societies in Afro-Eurasia (2020), Appendix 1

100 Peter Turchin and Sergey Gavrilets (2021), Figure 3, Table 2

101 Martin Trautmann et al., First bioanthropological evidence for Yamnaya horsemanship (2023), Fig. 5, Fig. S2

102 ロバがメインだったシュメールにウマがもたらされるようになったのは紀元前第3千年紀末期のウル第3王朝期で、その際には「異国の〈ロバ〉」の名で呼ばれていた; 前川和也, 前3千年紀メソポタミア、シリアのイエロバとノロバ:再考 (2006)

103 M.A. Littauer and J.H. Crouwel, The Earliest Evidence for Metal Bridle Parts (2002)

104 Sergey I. Lukyashko, Horse Ammunition. From the History of a Saddle (2019), Fig. 5; T. Sulimirski, Scythian Antiquities in Western Asia (1954), pp190-191

105 Hanifi Biber and Esra Kaçmaz Levent, Cavalries In The Neo Assur Army (Pithaillu) (2021)

106 単に国家の領域を広げただけではなく、騎兵が階層性や中央集権化、さらに戦争そのものとも相関しているという研究もある; Motohiro Kumagai, Horses, Battles, and the State (2022)

107 Peter Turchin et al., Disentangling the evolutionary drivers of social complexity: A comprehensive test of hypotheses (2022), Figure S6

108 例えばキーボードのQWERTY配列などは、タイプライター時代の名残がいまだに続いているという点で経路依存性の一例とされている; Paul A. David, Clio and the Economics of QWERTY (1985)

109 Peter Turchin et al., Explaining the rise of moralizing religions: a test of competing hypotheses using the Seshat Databank (2023), Figure 1, Figure 2

110 Religion Is Different(https://peterturchin.com/religion-is-different/、2024年4月12日確認)

111 Daniel Hoyer and Jenny Reddish, Seshat History of the Axial Age (2019), pp36

112 ターチンによると紀元前3000年から紀元1800年までに存在した100万平方キロ以上の領土を持つ60の農業帝国のうち、90%以上がユーラシアのステップ地帯とそこに隣接する農業社会から生まれてきたという; Peter Turchin, A theory for the formation of large agrarian empires (2009), Figure 1。ウォルター・シャイデルはさらにデータをアップデートしたうえで、73の帝国のうち62が多かれ少なかれステップとその近辺から誕生したと指摘、また世界人口の8%以上を有する32の帝国のうち20の帝国はステップかその隣接地で、7つは比較的近いところで生まれたとしている; Walter Scheidel, Escape from Rome: The Failure of Empire and the Road to Prosperity (2019), pp271-272, Figure 8.4, Figure 8.5

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