争い合う農耕民
では一体、ヒトはどうやってこの変化を成し遂げたのだろうか。首長制から国家へと移行する際に必要な様々な技術を進歩させる動因の一つとなったのが競争だ、という説がある。領土拡大説と呼ばれるもので、近隣の首長制政治体との間での激しい競争の中では公職の専門化と分業化を進めた社会のみが支配域を広げる能力を持つ国家となれる。そして社会が国家へと進歩すると、周囲の首長制社会を飲み込んで急速にその領土を拡大する。その具体例がモンテ・アルバンだ。狭いオアハカ峡谷内で生き残り競争を繰り広げていた彼らは、国家につながる新たな仕組みを作り上げることでオアハカ峡谷のみならず周辺地域まで支配するようになった(69)。
競争自体はこれまでの各章で説明してきたように、過去の画期にも存在していた。ホモ属は他の捕食者とニッチを巡って争い、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人などとの競争に勝利した。農業が始まると農耕民がその数を増やし、狩猟採集民を圧迫していった。実際に欧州で最初の農耕民となった者たちは、遺伝的には主にアナトリアにいた農耕民の血を引いており、それ以前から欧州に住んでいた狩猟採集民のゲノムは少数の割合でしか持っていない(70)。代表例は中欧の初期農耕民文化である線帯文土器文化の人骨で、彼らのゲノムに占める狩猟採集民由来のものは5%にとどまる(71)。
そしてほとんど農耕民ばかりになった段階で、今度は彼ら同士の争いが始まった。例えばドイツのシェーネック=キリアンシュテッテンから発見された紀元前5000年頃の遺跡からは、鈍器や矢で殺害された26人の死体が見つかっている(72)。同じくドイツのタルハイムでは少なくとも34人分の人骨が見つかったが、その人口構成は先史時代のモデルに近い大人53%と子供47%で構成されていたため、おそらくは小さな集落の住民全員が殺されて埋められたのではないかと見られている(73)。
アフリカ以外のホモ・サピエンスのY染色体とミトコンドリアDNAを調べたところ、今から7000~5000年前にかけてY染色体の多様性が急減したという研究もある(74)。ミトコンドリアDNAの方にはそうした多様性の減少は見られないのだが、この理由について当時の社会が基本的に父方居住であり、また共同体間の争いが珍しくなかったことが原因だとする説明がある。父方居住が中心の社会では1つの共同体内にいる男性は基本親族ばかりとなり、Y染色体はほぼ似通ったものになるのに対し、女性は様々な共同体の出身者が集まるためミトコンドリアDNAはバリエーションが豊富になる。こうした共同体同士が戦争を行う場合、偏って分布するY染色体の方が絶滅しやすく、結果としてその多様性が減ったという理屈だ(75)。
農業の伝播からしばらくの間、欧州で観察された人口の大幅な増減も、農耕民間の暴力的紛争が原因だという指摘がある(76)。もちろん人口減のすべてが暴力によってもたらされたわけではないが、争いを避けるために防衛力の高い地域に人が集まるようになった結果として公衆衛生が悪化。一方でそうした避難所が近くにない地域は人が近寄らなくなった結果として耕作されなくなり、それが生産力の低下や栄養不良をもたらしたとの説だ。襲撃者を恐れて防衛拠点に人が集まる状況から、この説は「恐怖の風景」と呼ばれている(77)。
そして争いから身を守るべく寄り集まった人々の集団から、これまた社会の複雑性と密接に絡んでいる「都市」が生まれた。政治学者のアザー・ガットは、マヤでもギリシアでもメソポタミアでも、防衛こそが都市形成の動機であったと指摘。手工業や交易に基盤を置いた都市は実は少なく、大半の都市人口は農民で構成されており、彼らは町の中に住んで近隣の農地まで耕作に出かけていたのだと主張している(78)。いわばトリポリエの大規模集落がそのまま都市になったようなものだが、トリポリエの集落についても戦争に備えるために作られたのではないかとの説がある(79)。
世界最古の都市の一つと言われるエリコは、紀元前8000年頃のものと思われる城壁と塔の遺跡が有名だ。その城壁は高さ3.6メートル、厚みは基底部で1.8メートル、上部は1.1メートルに過ぎず、また円筒形の塔も高さは8.2メートル、基底部の直径9メートル、上部は7メートルと、後の時代の防御施設に比べると随分と地味なサイズなのは事実(80)。またエリコについては実態は都市というより大きな村だとの指摘もある(81)。それでも農業が始まって間もない時期から身を守るための取り組みが始まっていたのは間違いないだろう。
また国家の誕生に際して都市が一定の役割を果たした面もある。世界で最初に都市国家が栄えたメソポタミアでは、紀元前3200~2900年にウルクが城壁で囲まれた500ヘクタールの土地に4万人が住む都市となっていた(82)。始皇帝以降、2000年にわたって続いた大帝国の印象が強い中国も、実は二里頭文化の頃に都市国家が生まれ、戦国時代の半ばになって各国が領域内のすべてに及ぶよう支配権を強めるまでは都市が政治的に重要な役割を果たす邑制国家が続いたと言われている(83)。
都市の役割が限定的だったとされる初期国家もある。代表例はエジプトで、ここはエジプト王国が成立した時点で都市は行政や儀礼といった目的のためにしか使われることがなくなった。ただし、ナイル流域が統一される以前にはヒエラコンポリスのような城壁で自らを囲った都市も存在していたそうで(84)、もしこの時点で都市国家が成立していたのであればエジプトでも都市の役割は重要だったという結論になる可能性がある。
都市は常に戦争に備えて作られていたわけではないとの主張もある。わかりやすいのはハラッパなどインダス文明の都市で、文字が解読されていないために詳細は不明だが戦争を描いた美術品が残されていない点は他の初期文明に比べても特徴的だとされている(85)。またある研究者は、戦争が原因で都市が作られた地域(オアハカや南米のティワナク、ワリ)の存在を認めつつも、メソポタミアの都市化はエリートが組織化した織物、土器製作、金属加工、石器加工といった手工業の発展に伴って進んだとの説を主張している(86)。もしこの指摘が正しいのであれば、都市の発展には戦争以外のルートもあったことになる。
正直なところ、戦争のみが複雑な社会の発展を促す駆動力になったと主張するだけの決定的な証拠はおそらくない。それでも戦争を含む競争が一定の役割を果たしたことまでは否定できないだろう。それに都市の存在が国家の誕生と手を携えて進んできたように見えることもまた事実だ。例えば紀元前4000年からの都市人口の推移を対数グラフで示すと、国家の生まれた紀元前第4千年紀中頃から同第3千年紀の半ばすぎまでに急速な人口の増加があり、しかしその後は紀元前1000年頃まで横ばいが続くという現象が確認できる(87)。つまり都市人口もSカーブを描いていたことになる。
一方、国家については政治学者のレイン・ターゲペラが特定の時代における領土面積の上位3ヶ国を合計した数字をやはり対数グラフにまとめている(88)。こちらも紀元前第3千年紀の半ばすぎまでは面積増加が続き、その後いったん数字が落ち込んだ後で紀元前500年までは一定の範囲で上下を繰り返している。ターゲペラがフェイズ1と呼ぶこの期間は、ヒトの社会が国家へと移行した直後、しばらくは都市と国家の双方が比較的早いペースで成長し、やがて減速していったSカーブの後半部に相当すると見ていいだろう。
69 Charles S. Spencer, Territorial expansion and primary state formation (2010)
70 Alexey G. Nikitin et al., Interactions between earliest Linearbandkeramik farmers and central European hunter gatherers at the dawn of European Neolithization (2019)
71 篠田謙一 (2009), pp139
72 Christian Meyer et al., The massacre mass grave of Schöneck-Kilianstädten reveals new insights into collective violence in Early Neolithic Central Europe (2015)
73 Christian Meyer et al., Mass Graves of the LBK: Patterns and Peculiarities (2014), pp312-314
74 Monika Karmin et al., A recent bottleneck of Y chromosome diversity coincides with a global change in culture (2015)
75 Tian Chen Zeng et al., Cultural hitchhiking and competition between patrilineal kin groups explain the post-Neolithic Y-chromosome bottleneck (2018)
76 Dániel Kondor et al., Explaining population booms and busts in Mid-Holocene Europe (2023)
77 Dániel Kondor et al., Landscape of Fear: Indirect effects of conflict can account for large-scale population declines in non-state societies (2023)。なお農業社会の人口増減には土壌の劣化が原因だとする説もあるが、この研究者は土壌の回復は人口増よりもペースが速いとして土壌劣化が人口減をもたらしたとの考えには異論を呈している; Dániel Kondor and Peter Turchin, Soil fertility depletion is not a credible mechanism for population boom/bust cycles in agricultural societies (2022)
78 Azar Gat, Why City-States Existed? Riddles and Clues of Urbanisation and Fortifications (2002), pp136
79 John Chapman et al., The Origins of Trypillia Megasites (2019); Peter Turchin, The Puzzle of Neolithic Cycles: the Strange Rise and Collapse of Tripolye Mega-Settlements(https://peterturchin.com/the-puzzle-of-neolithic-cycles-the-strange-rise-and-collapse-of-tripolye-mega-settlements/、2024年4月5日確認)
80 O. Bar-Yosef, The Walls of Jericho: An Alternative Interpretation (1986), pp157
81 John Strange, The Palestinian City-States of the Bronze Age (2000), pp68
82 Aage Westenholz, The Sumerian City-State (2002), pp23
83 Robin D. S. Yates, The City-State in Ancient China (1997), pp88
84 Norman Yoffee, Myths of the Archaic State: Evolution of the Earliest Cities, States, and Civilizations (2005), pp47-48
85 Charles Gates, Ancient Cities: The archaeology of urban life in the Ancient Near East and Egypt, Greece, and Rome (2011), pp76
86 Gregory K. Dow and Clyde G. Reed, The Origins of City-States in Southern Mesopotamia (2018)
87 Andrey Korotayev, The World System Urbanization Dynamics: A quantitative analysis (2006), Diagram 7
88 Rein Taagepera, Size and duration of empires: Systematics of size (1978), Fig. 2
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