複雑な社会への遷移
では一体、農業社会はいつ、どこで首長制から国家へと遷移していったのだろうか。そしてその遷移をもたらした要因は何だったのか。
考古学の世界では国家を見分ける基準として、居住地の遺跡から推測される政治的階層が4層以上存在していることをしばしば条件に挙げている。上にも述べた通り、首長制であればこの階層は3層までにとどまる。それ以上の階層的社会を構築するには原始的な社会では困難であるという経験則が、こうした基準が採用される理由だろう。そして実際にそれに基づいて最初の国家が生まれた時期と地域についてまとめた研究を、歴史社会学者のデヴィッド・サンドフォードが行っている。それによると世界でも最古の国家は紀元前4000~3000年に生まれたウルクであり、同じくらい古いのが上エジプトにあるヒエラコンポリス(同3500~3100年)となる(55)。いずれも肥沃な三日月の一角だ。
これらに次いで古いのは、インダス文明のハラッパ遺跡(同2600~2000年)であり、その次が黄河中流域にある二里頭遺跡(同1900~1500年)だ。インダス河流域ではインダス文明より前に存在したメヘルガル遺跡から多くのオオムギと少量のコムギが遺物として発見されている。野生型の生息地が肥沃な三日月に限られているコムギの方はともかく、オオムギについてはメヘルガルで独自に栽培化された可能性が指摘されており(56)、コブウシの家畜化も含めインダスも農業の始まった土地と言えるかもしれない。中国が肥沃な三日月同様の農業の故地であることは第4章でも説明した通りだ。
新大陸における国家発祥の地とされているのは、南メキシコにあるオアハカ盆地のモンテ・アルバン(紀元前300~紀元200年)、中央メキシコのテオティワカン(紀元前100~1年)、ペルー北部にあるヴィル―(紀元前200~紀元200年)、ボリビア北部のティワナク(紀元300~600年)で、全体として時期は旧大陸よりも新しい。さらにオセアニアの事例としてハワイでの国家成立が紀元300~1800年となっている。なお政治的階層については大半が4層で、ハラッパ、モンテ・アルバン、ティワナクが5層、ハワイが6層だ(57)。
サンドフォードが紹介しているのは「厳密に自生的なプロセスと、組織的に似通った非国家社会間の相互作用」から誕生した国家に限られている。欧州や日本のように二次的に作られた国家、あるいはポウハタンのように他の国家社会に併合されたものは除かれているが、上で紹介したデータバンクSeshatが一次的地域と判断した場所と比べると、大きな違いはハラッパとハワイが入っているか否かだ。他地域から国家形成のノウハウを仕入れていたかどうかについての評価が異なるのがおそらくこの差の原因であり、そのあたりを慎重に考えるならゼロから国家が生まれたと確実に言えるのは肥沃な三日月、中国、メソアメリカ、アンデス近辺の4地域となる。
この4地域はいずれもかなり古い時期に農業を始めた場所だ。ということは農業を営んでいる期間が長い地域ほど国家が生まれやすいのだろうか。残念ながらニューギニアのようにそうはならなかった社会があるため、断言するのは困難。他にも欧州のローヌ・ラングドック地域、ラインラント=ヘッセン地域、ドイツ中部や南部のように、8000~7000年も前に農業を導入していながら国家を作る前にローマ帝国に併合されたり、紀元後になってようやく国家が生まれた地域も存在する(58)。あるいは国家へと移行したモンテ・アルバンと、そこに届かなかったカホキアを比較し、他の政治勢力との間で行われる競争の程度によって結果に差が出たと主張する研究者もいる(59)。
要するに今回の画期もまた、1つの条件を満たせば遷移が達成できるようなものではなく、いくつもの前提が満たされて初めてSカーブを上り始めることができるものだったように見えるのだ。実際、社会の複雑性は様々な要素が同時並行的に進化する形で高度化していくことが、これまたデータバンクSeshatのデータを使った研究から判明している。
データバンクSeshatは世界の様々な地域について、その地域を支配している政治体の人口や領土、宗教、都市、軍事技術など、様々な要素を100年ごとにまとめているデータベースだ。できるだけバランスよく情報を集めるため、当初は世界を10のエリア(アフリカ、欧州、中央ユーラシア、南西アジア、南アジア、東南アジア、東アジア、北アメリカ、南アメリカ、オセアニア)に分け、各エリアから複雑性の低い社会、中程度の社会、高い社会を1つずつ、計30の地域を対象にデータを集めた(60)。同一地域についても時系列を追ってその変化を調べることができるのが特徴で、最近は対象地域を大幅に増やしている。
各社会がどの程度複雑なのかを分析するうえで、ピーター・ターチンら研究者はこのデータベースにあるそれぞれの社会が持つ9種類の「複雑さ特性」、具体的には政治体人口、領土、首都人口、階層性、政府、マネー、インフラ、情報システム、文書を分析対象としている(61)。これらの変数を使った主成分分析を実施し、各特性の複雑性が相互にどれだけ関連を持っているかを調べたのだが、彼らは当初、特性のうち規模に関連するもの(政治体人口、領土、首都人口、階層性)は相互に強い関連を持つ一方、その他の特性の複雑性は規模の複雑性とは別の動きを見せると予想していた。
ところが実際に調べてみると9つの特性はすべて、互いに統計的に有意なかなりの相関を持つことが判明した(62)。つまり社会が複雑さを増す過程においては、9つの特性に表されるような幅広い条件が揃って進化していくのが通例であり、そうでない例はほとんど見当たらなかったわけだ。またこの研究で分析対象とした社会の複雑性を時代別に並べてみると、初期には低い複雑性の社会ばかりだったのが、時とともに社会が進化するにつれて複雑度の高い社会と低い社会に大きく分かれる傾向(二峰性)が見られた(63)。つまりこの分析からもクラスターの存在が浮かび上がっていた恰好だ。
さらに同じSeshatのデータを使ったシン・ジェウォンら別の研究グループは、単純な社会から複雑な社会へと進化する過程で、社会が「2つの閾値」を超えていたらしいことに気づいた。ターチンらが主成分分析の第1主成分軸(PC1)を見て、その寄与率の高さから9つの特性すべてが高い相関を持っている点を強調したのに対し、シンらは第2主成分軸(PC2)に着目。実は社会が複雑さを増すうえでは最初に「規模の閾値」、それから「情報の閾値」という2つの閾値を超えないと、安定度の高い複雑な社会を築くことができないと主張した(64)。
実際シンらの分析を見ると、複雑性の最も低い社会から最初に複雑性が増す段階では、政治体人口、領土、首都人口、階層性という社会の規模に関連する特性が大きく伸びる一方、政府、インフラ、筆記、文書、マネーという情報処理関連の特性は伸びが鈍い。ところがある点(閾値)からは規模の特性は複雑性の増加にほとんど寄与せず、情報処理関連のみが寄与する局面が訪れる。そして2つ目の閾値を超えたところで再び規模の特性が複雑性の増加に大きく寄与するようになり、より複雑な社会へと発展していく。彼らの分析を見ると、この2つ目の「情報の閾値」を超えることが複雑な社会を築くうえでの必須条件に見える。
シンらはこの研究を踏まえ、首長制でしばしば見られる社会の崩壊、つまり複雑性の退化とより単純な首長制へのシフトは「その政治体が十分な情報処理プロセスを発達させなかった」ことが原因ではないかと指摘している。この研究データによればPC1が-2.5になったところに規模の閾値が、-0.5に情報の閾値が存在しており、例えば紀元1200年のカホキアはPC1で-2.57と規模の閾値直前まで迫ったものの、PC2が低すぎてそこを超えることができなかった様子がうかがえる(65)。
もちろんSeshatのデータに基づく研究にも疑問を持つ向きはある(66)。それでもシンらの指摘が事実なら、より複雑な社会へと進化するためには何か特定の技術を発展させるだけではだめで、政府(行政用の建造物、兵士、士官、聖職者、官僚、判事、官吏登用試験、裁判システム)、インフラ(道路、橋、運河、港湾)、筆記(キープ、象形文字、音節文字)、文書(暦、聖典、歴史、フィクション)、マネー(トークン、硬貨、紙幣)といった多様な分野それぞれで技術やノウハウを発展させなければならない。章の冒頭で述べたシュメール人の社会でも、楔形文字をはじめとした様々な情報処理技術が使われていたことを紹介したが、どうやらそれらはいずれも国家成立のために必要なものだったらしい。
そして、こうした複雑性の発展自体、実はロジスティック方程式に従うSカーブを描いていたという研究もある。そこではまず複雑性を示すPC1(0から1までの数値を取る)の分布から、低い複雑性の社会と高い複雑性の社会の閾値を0.5弱と設定。閾値を超えた23の社会がこの数値を超えたタイミングを0年としたうえで、その前後数千年分のPC1の変化をまとめて1つのグラフに落とし込んだ(67)。すると、個別の社会ではその前後に大きな変動を経験するところもあったが、全体としてはSカーブを描くように複雑度が上昇していることがわかったのだ。
さらにこの研究では、言語やイデオロギーの入れ替わり、大きな技術進歩といった文化的な断絶のない事例、あるいはそのあたりが変わらなくても制度が変わるような事例(例えばエジプト古王国が第一中間期に移行するなど)を除いた分析も行っている(68)。そしてこちらでもやはり複雑性の発展はSカーブを描いていた。うち急速な複雑性の発展にかかる時間は2500年ほどとなっているが、こちらの数字についてはデータが増えると変わってくる可能性はあるという。いずれにせよ国家が誕生する際にかなり急速な複雑性の発展が見られるのは間違いなく、第4の画期においてもヒトはSカーブを通り過ぎてきた様子が分かる。
55 David S. Sandeford, Organizational complexity and demographic scale in primary states (2018)
56 Kavita Gangal et al., The Near-Eastern Roots of the Neolithic in South Asia (2014)
57 Kavita Gangal et al. (2014), Table 1
58 Stephen Shennan et al., Regional population collapse followed initial agriculture booms in mid-Holocene Europe (2013), Figure 3。この研究で示されているように欧州では農業開始後も何度も人口の大幅な増加や減少に見舞われており、安定した成長が常に存在したわけではない
59 Elsa M. Redmond and Charles S. Spencer, Chiefdoms at the threshold: The competitive origins of the primary state (2012)
60 Peter Turchin et al., Seshat: The Global History Databank (2015), Table 2
61 Peter Turchin et al., Quantitative historical analysis uncovers a single dimension of complexity that structures global variation in human social organization (2017)
62 Peter Turchin et al. (2017), Fig. 2
63 Peter Turchin et al. (2017), Figure SI11
64 Jaeweon Shin et al., Scale and information-processing thresholds in Holocene social evolution (2020), Fig. 2
65 Jaeweon Shin et al. (2020), Supplementary Figure 10H
66 例えばインカの事例を調べた論文では、キープのような情報伝達方法についてSeshatのデータはその実際の効果を過小評価していると批判している; Steven A. Wernke, Explosive Expansion, Sociotechnical Diversity, and Fragile Sovereignty in the Domain of the Inka (2022)
67 Tobias Wand and Daniel Hoyer, The characteristic time scale of cultural evolution (2024), Fig. 1
68 Tobias Wand and Daniel Hoyer (2024), Fig. 2
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