第7章 ボトルネックを超えて

サステナブル革命?

 この「有限世界の方程式」の冒頭、題辞でドイツの修道院から発見された詩歌集「カルミナ・ブラーナ」の一節を紹介した。この詩では、満ち欠けを繰り返す月を移り気な存在の代表例として持ち出している。

 実は月の満ち欠けもまた、ロジスティック曲線として描くことが可能。月は新月の際にはほぼ真っ暗で、逆に満月になるとマイナス12.7等星の明るさに達する。これはマイナス1.46等星であるシリウスの3万倍の明るさになるそうだ。月の明るさは満月が近づくにつれて急速に増していき、しかしピークを過ぎると同じく急速に落ち込んでいく(01)。その変化が描くグラフは第1章で紹介した新型コロナウイルスの新規感染者数そっくりだ。つまり、新月からの月の明るさの累計をグラフにすれば、そこにはSカーブが現れる。

 ただし月の明るさの変化を移り気と呼ぶのは、あくまで名もなき詩人の言葉遊びでしかない。現実の月は新月を過ぎれば必ず再び満ちていくことが分かっている。Sカーブが一巡りすれば間を置かずに次のSカーブがやってくることが予測できるわけで、移り気どころか非常にかっちりとした法則性に従った変化だ。

 一方、ヒトの歴史におけるSカーブにはそこまで規則性があるようには見えない。中には第1章で紹介したビッグヒストリーの研究者のように、1850年からスタートした工業化への遷移の次に、今から50年ほど前にはサステナブルな遷移が始まっていると主張する向きもある(02)。この説が正しいのなら次なる成長はもうすぐやってくると考えてもよさそうだが、残念ながらこの説には具体的な論拠らしいものが見当たらないし、そもそもどのような成長がもたらされるかについて具体的な説明もない。

 もしかしたら再生可能エネルギーの増加などがサステナブルな成長の裏付けだと考えているのかもしれない。実際、20世紀の間は水力発電以外の再生可能エネルギーを使った発電はほとんどなかったが、2004年以降になると風力や太陽光、その他の再生可能エネルギーを使った発電がそれ以前よりもかなり急速に伸びてくるようになった(03)。興味深いのはこれらに現代的なバイオ燃料も含めた新しいタイプの再生可能エネルギーが一次エネルギー消費に占める割合が、2022年時点で7.02%に達したこと(04)。第二次産業革命の嚆矢となった1850年時点の石炭比率(7.30%)、あるいは大衆消費社会が米国で生まれた時期にあたる1930年時点の石油比率(8.75%)に迫る水準だ。足元でそうしたエネルギーの変革がまさに起きようとしている、と考えていいのだろうか。

 可能性はあるが断言するにはまだデータ不足、というのが正直なところだろう。そもそも20世紀前半における石油の利用増は、種類こそ代わったものの化石燃料頼りという点ではそれ以前と変わらず、転換点だとしても大きな変化ではなかった。石炭はそれ以前の伝統的バイオマス(薪や木炭など)に取って代わったという意味でより重要な違いと言えそうだが、1850年以降に伝統的バイオマスの消費量が絶対値で低下していった(05)のに対し、足元の化石燃料消費は新型コロナウイルス禍で経済が停滞した2020年を除き、いまだに増加を続けている(06)。本当にサステナブルな遷移が始まっている証拠とするには弱い。

 再生可能エネルギーへのシフトは必要だし可能だとも思われるが、それには多くの時間を要すると述べているのがバーツラフ・シュミルだ。彼が指摘する課題は、化石燃料と再生可能エネルギーが持つ出力密度の差。エネルギー密度の高い化石燃料は、その採掘や精製、さらにはそれを使った発電を行うスペースをあまり必要としない。シュミルの計算によると天然ガスが1平方メートル当たり200~2000ワット、石炭が100~1000ワットのエネルギー密度を誇っているのに対し、太陽光発電は4~9ワット、太陽熱発電は4~10ワット、風力発電は0.5~1.5ワットで、バイオマスは0.5~0.6ワットに過ぎない(07)。桁数で2~3桁くらいの差は普通に存在するのだ。

 この問題は工業化と、特に都市化が進展している現状においては、より深刻になる。都市に集積している建物、工場、輸送や通信ネットワークといったものを機能させるためには、出力密度の高いエネルギー、特に電気と液体燃料が欠かせない。一方、再生可能エネルギーは元が低い出力密度しか持ち合わせていないため、現在を大きく上回る数ギガワット規模のエネルギー貯蔵法が編み出されない限り、そうした都市の需要を満たせない恐れがあるのだ(08)。再生可能エネルギーに依存した社会を作り上げるには、おそらくインフラを含めエネルギーの流れを大幅に組み替えなければならず、そのためには2021年の世界GDPの10%に相当する金額を30年間投入し続ける必要がある(09)。実に膨大な費用だ。

 金額だけではなく大量の材料も用意しなければならない。風力発電の能力を増大させるためには2023年から2050年までにコンクリート30億トン、金属(大半は鉄)12億トンが必要で、現在ある14億台の内燃機関を使った自動車を電気自動車に差し替えるためには9000万トンの銅を手に入れるほか、2020年の40倍に相当するリチウム、25倍のコバルトやニッケルなども調達しなければならない。そのためには大量の岩石を掘り返す必要があるし、消費するエネルギー源(おそらく化石燃料になる)もかなりの量にのぼるだろう(10)。大量の温室効果ガスが発生することになる。

 さらに、我々が化石燃料から手に入れているのはエネルギーだけではないという問題もある。アンモニアの合成、その他もろもろの肥料や農薬の中には、化石燃料を原料にしているものがある。プラスチックや冶金用のコークス、舗装資材である安価なアスファルトも、軒並み化石燃料が原材料だ(11)。化石燃料の使用をゼロにするのなら、こういった各種物資についての代替品を開発し、生産体制を整える必要がある。また航空機やコンテナ船、タンカーなどは現時点でも引き続き化石燃料におおむね頼っている状態で、そういったものについても代替手段を見つけなければならない。

 そもそも伝統的なバイオマスから化石燃料への移行自体、かなりの時間がかかった大事業であった。世界の98%が薪や木炭などに頼っていた紀元1800年当時から始まり、19世紀に様々な発明がなされたものの、1900年時点でもバイオマスは一次エネルギー消費の50%、1980年でも30%近くを占めていた。21世紀を迎えた時点になると、さすがにこの比率は世界で12%まで下がったものの、サブサハラ・アフリカではなお80%が伝統的バイオマスに依存している。「一次エネルギーの移行は数十年という時間がかかる難題」(12)というのがシュミルの見解であり、これは化石燃料から再生可能エネルギーへの移行にもおそらく当てはまる。

 もちろんシュミルの指摘が間違いで、実は既に大掛かりな移行が始まっている方が真実なのかもしれない。その場合は安心して次の新たな成長が訪れるのを待てばいいだろう。だがそう考えられるだけの確固とした論拠はない。サステナブルな画期なるものが到来していない場合、将来に待っているであろうものは過去と同じく、成長の減速から停滞へと至るSカーブ後半戦だ。農業に基盤を置いた国家が数千年にわたって続けてきたような、互いの生き残りをかけたゼロサムゲームを、また我々は迎えなければならないのか。

 そう考えたくなる気持ちもわかる。なにしろ第2章から第6章まで見てきたように、過去5回の画期はいずれも様々な条件をすべてクリアしない限り、決して飛躍へと至ることができなかった事例ばかりだった。何か1つの閾値さえ超えればいいのではなく、いくつもの要件を揃えてようやく18世紀の英国になれる。もし1つでも条件が整っていなければ、宋代中国や古代ローマのように飛躍の前に成長が止まり、Sカーブは描けない。足りなかった条件がボトルネックと化してそれ以上の前進を妨げてしまうからで、そして何がボトルネックになっていたのかは、実際に飛躍を達成した後にならないと分からない。

 ならば期待するのをやめ、また次に運よく様々な条件が整うのを待つしかないのか。そうかもしれないが、それでは工夫がなさすぎる。せめて過去の画期においてどのような条件が整った際に移行が生じたのかを調べれば、そこから将来を推し量るうえで役に立つヒントが見つかるかもしれない。温故知新だ。



01 ウェザーニュース, 満月の明るさって、どのくらい?(https://weathernews.jp/s/topics/201809/200105/、2024年4月15日確認)

02 David John LePoire (2023), Figure 9, Table 3

03 Hannah Ritchie et al., Renewable Energy(https://ourworldindata.org/renewable-energy、2024年4月17日確認)

04 具体的には風力が3.07%、太陽光が1.93%、バイオ燃料が0.67%、その他再生可能エネルギーが1.35%となる; Hannah Ritchie and Pablo Rosado, Energy Mix(https://ourworldindata.org/energy-mix、2024年4月17日確認)

05  Global primary energy consumption by source(https://ourworldindata.org/grapher/global-energy-substitution、2024年4月17日確認)

06 Hannah Ritchie and Pablo Rosado, Fossil fuels(https://ourworldindata.org/fossil-fuels、2024年4月17日確認)

07 Vaclav Smil, Power Density Primer: Understanding the Spatial Dimension of the Unfolding Transition to Renewable Electricity Generation

08 Vaclav Smil, Energy Transitions: Global and National Perspectives (2016)

09 Vaclav Smil, Decarbonization Is Our Costliest Challenge (2022)

10 Vaclav Smil, It’s a Material World (2023)

11 バーツラフ・シュミル, 下巻 (2017), pp357-358

12 バーツラフ・シュミル, Numbers Don‘t Lie (2021), pp243-246

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