4つの要素

 ヒントになりそうなのが、完新世における社会の複雑性の向上が何によってもたらされたかを調べたピーター・ターチンらの研究だ。彼らはこれまたSeshatを使い、社会の複雑さをもたらす原因について述べている17の理論をデータで検証した(13)。それらの理論は大きく5つのグループに分けられるそうで、それぞれ農業が社会政治的な複雑性をもたらしたという説、巨大化し複雑さを増す社会を機能させるために国家は生まれたという機能(統合)仮説、社会の内部における階層間の争いが国家の成長につながったという内部紛争仮説、そうではなく異なる社会間の争いこそが原因だという外部紛争仮説、そして宗教が社会の統合に寄与したという説である。

 ターチンらはそれぞれの仮説に沿った代理変数を定めている。例えばカール・ウィットフォーゲルが唱えた「水力社会理論」。彼は東洋的な専制政治をもたらした要因が灌漑経済と国家によって集中管理される大型公共工事に由来すると考えており(14)、そこからターチンらはSeshatから集めた灌漑に関するデータをこの理論の変数に選んだ。そうやって17の理論についての代理変数を定めたうえで、今度は社会の複雑度を示す3つの応答変数、つまり人口や面積などの社会規模、軍事や居住地の階層化、政府の専門化度合いのそれぞれと照らし合わせ、お互いがどの程度相関しているかを調べた。

 その結果、大半の理論は社会の複雑性を示す3つの応答変数との間に統計的に有意な関係を持たなかった。例えば貯蔵しやすい穀物はエリートに私物化されやすく、それが階層性を持つ複雑な社会を作ったとの説がある(15)。だがSeshatの穀物関連のデータと複雑性との相関を見ても、規模や階層との間には相関は見られず、政府の専門化との間には負の相関はあったものの統計的に有意ではなかった。あるいは道徳的な神への信仰が存在する社会の方がグループ内の秩序を維持しやすく、複雑化しやすいとの考えもある(16)。こちらについてターチンらは別の論文で神の道徳性を示す指数を算出しており(17)、それを使って同様に調べたところ規模との間に有意ではない負の相関があったほかには相関が見られなかったという。

 Seshatのデータから統計的に有意な相関を示した理論は、結局のところ4つしかなかった(18)。1つ目は、これまでも紹介してきたジャレド・ダイアモンドなどが唱えている、農業による食糧生産が複雑な社会をもたらしたという説(19)。実際に単位面積当たりの収穫量と比較したところ、規模の応答指数とは5%水準で、階層と専門化とは1%水準で有意だとの結果が出てきた。2つ目は農業の開始時期が早い方が複雑な社会ができるという説(20)。こちらについては規模と階層で0.1%水準の有意となったが、専門化については正の相関は見られたものの有意な水準ではなかった。

 3つ目は騎兵や鉄器のような軍事技術の進化(軍事革命)が社会の複雑性を高めたという説で、こちらは驚くべきことに3つの応答変数すべてにおいて100万分の1水準で有意だった。騎兵についてはターチン自身が以前からそうした主張をしており(21)、鉄器については他の研究者から重要性を指摘する見解が出ていた(22)。最後は戦争の強度だが、実はSeshatでも併合や略奪、国外追放、虐殺といった戦争強度を示すデータは十分に揃っていないそうで、代わりにそうしたデータとの相関が高い戦争特性(金属器利用、投擲武器と白兵武器、鎧の向上、輸送動物、要塞)をまとめた代理変数を使っている(23)。こちらは階層と専門化で1%水準の有意を示しているが、規模については有意でない正の相関だった。

 全体として社会政治的な複雑性には農業の生産性、農業の開始時期、軍事革命、戦争の強度それぞれから因果の矢印が伸びているが、それ以外にも軍事革命と農業の生産性から戦争の強度へも矢印が伸びているし、社会の複雑性がまた農業の生産性にも影響を与えている(24)。実際にこれら4要素は国家の在り様に影響を及ぼしており、例えば農業の開始時期から面積が10万平方キロを超える国家の登場までの期間は2000年をピークとした山型の分布を示しているし、紀元前第1千年紀に始まった鉄器や騎兵の利用と社会の規模を比べると騎兵などを使い始めた後に一段と規模が大きくなっている傾向が見て取れる(25)。

 ではこの研究から何が分かるのだろうか。この結論をそのまま現代に適用しても、次にやってくる画期を想像するのは無理だ。現代経済において既に農業は他の産業よりずっと小さな比率しか占めなくなっているし、鉄器や騎兵が大きな意味を持ったのもはるか昔の話。逆にアウストラロピテクスからホモ属が進化してきた時点では、どれ一つとしてこうした要素がSカーブの原因になったようには見えない。そもそもSeshatのデータは信じられるのか、ターチンらによる代理変数の選び方は適切なのかなど(26)、いくらでもツッコミどころはあるだろう。

 それでもこれだけ幅広い理論についてデータを使った研究を行っている点を無視してしまうのはもったいない。また4要素についても額面通りに受け取るのではなく、もう少し幅広い概念のうち完新世に当てはまる一例を示したものと考えるなら、ヒトの歴史全体に適用することもできそうだ。農業生産性は農業に限らない経済生産性を、農業の開始時期はそうした生産体制に基づく社会ができてからの経路依存性を、軍事革命は軍事に限らず技術全般を、そして戦争の強度は物理的な争いだけでなくあらゆる種類の競争の強度を示していると考えれば、他の時代にも似たような傾向は見つかりそうに思える。

 例えば生産性。アウストラロピテクスからホモ属へ移行した際に脳を大きくしたのは、繊維質の多い植物からエネルギー密度の高い動物へと主要な食糧を変えたことに要因があった。ホモ・サピエンスは小型の動物や植物、さらには海産物など、他のホモ属よりも幅広い食糧源を活用することでより高いエネルギー獲得能力を手に入れた。もちろん農耕民は狩猟採集生活よりずっと高い単位面積当たりの生産性を手に入れることで彼らに取って代わった。

 国家の成立は業務の専門化、分業化を進めてより効率的な生産を可能にしたし、加えて広い範囲を統一した政治支配の下に置くことで市場をより大きくした。第5章で述べた恐怖の風景をなくすだけでも、国家が生産性にプラスの影響を及ぼしたことは間違いないだろう。そして産業革命以降の社会になると、はるか古代の太陽エネルギー(すなわち化石燃料)まで使用することで(27)ヒト1人が多数のエネルギー(100人の奴隷)を配下に収めるようになった。現代の生産性がそれ以前を大幅に上回っていることは論を俟たない。

 技術面はどうだろうか。古い時代の技術として思い浮かべるのは石器だが、最古の石器はケニアで発見された今からおよそ330万年前のものであり(28)、それが事実ならホモ属の登場以前、アウストラロピテクスなどが使っていた可能性がある。また、同じくケニアで発見されたカバなどの食品加工に使用されたと見られる300万~260万年前のオルドワン石器の場合、一緒に発見されたのはホモ属ではなくパラントロプスの化石であった(29)。少なくとも道具だけを見た場合、ホモ属の躍進を石器の発明と結びつけるのは難しそうだ。

 だが考えてみれば当たり前の話だが、技術イコール道具ではない。実際にホモ属が発揮した強みは暑いアフリカの日中に動物を追いかけまわす持久狩猟の技術であり、その際に石器も使われた可能性は高いがそれが中心ではなかった。ホモ属やホモ・サピエンスの時代に画期をもたらすことになった技術は、むしろ技術というより生物学的進化に近いものだったかもしれない。ホモ属であれば持久走や身体を冷やす能力が、ホモ・サピエンスなら寒冷地や海を越えて移動できる道具を作り出す能力が重要だったのだろう。一方、ホモ・サピエンスの種族内で次々と画期が生まれていった農業以降の時代を見ると、これはまさに技術がもたらした変化と言える。栽培化や家畜化の技術がまず発揮され、文字やマネーといった情報処理技術が国家を生み出し、そして産業革命においては科学技術がその進展を支えた。

 進化と技術革新の間に類似する側面があるとしたら、それは「試行錯誤」だろう。進化はランダムに生じる突然変異と、その中からより適応度の高いものを選び出す自然選択の組み合わせによって進む(30)。ここで試行錯誤を行っている主役は遺伝子であり(31)、お試しが実施されるのは各世代につき1回だ。一方、どうやら新しもの好きだったホモ・サピエンスは新奇なものに取り組み(突然変異に相当する)、そしてその中からうまく行ったもの(自然選択に相当)を皆が真似て取り込んでいく(遺伝)。古くは弓矢の発明から、農業の広がり、国家の誕生と波及といった具合に、この試行錯誤は様々な画期を生み出した。そして最後にホモ・サピエンスは試行錯誤自体をいわばシステムとして組み込んだ科学的手法まで発明し、使いこなすようになった。

 競争はどうだろうか。ホモ属が動物食にシフトした時、彼らはオオカミのような頂点捕食者と、ブチハイエナのような対立を辞さないタイプのスカベンジャーの中間的な戦略を採用しており、その過程で形質置換(異なる場所に生息する2種が似たような形質を示している一方でそれらが同じ場所に生息する場合は形質が分化する現象)が起きたとの主張がある(32)。ホモ属が他の肉食動物との競争から何らかの影響を受けていたのはおそらく確かだろう。

 身体や脳が大きく、より栄養素の高い食糧を入手する必要があったホモ・エレクトゥス(33)になると、他の初期ホモ属が生息していたニッチに取って代わった可能性もあるという。ホモ・サピエンスも同様で、ホモ属の分化や絶滅においては気候変動だけでなく種間競争がより大きな影響を及ぼしていたとの研究も存在する(34)。ホモ・サピエンスにネアンデルタール人のゲノムが流れ込んでいる一方、見つかったネアンデルタール人化石のゲノムにホモ・サピエンスからの流入が見つからないことから、両種の間に全面的な戦争があり、ネアンデルタール人の男性が全滅して女性のみがホモ・サピエンスと交配したとの説もある。(35)。

 農業の始まりについては、競争というより気候変動といった環境の方が大きな影響を及ぼした可能性はある。だがひとたび農業が始まってしまうと、農耕民は高い土地収容力を生かして繁殖力を高め、狩猟採集民をどんどん辺境へ追いやっていった。日本で農業を導入した弥生人のゲノムが中心部で多く、東北や南九州などの辺境に縄文人のゲノムが多いという傾向が見られるのもその一例だろう(36)。そして第4章で指摘した通り、農耕民同士の競争もおそらく激しかった。

 国家の誕生が競争を背景にしたものであることは、モンテ・アルバンとカホキアの比較などからもおそらく間違いないだろう。そして産業革命をもたらしたのが、帝国を築いた中国やローマではなく、欧州という国際的にも国内的にも競争の激しい多極化した地域だった点は重要だ。

 最後に経路依存性だが、これが画期に与えた影響は一様ではなく、むしろそれ以前に成功をもたらした要因が却って新しい画期では変化を妨げた例もあった。ホモ属はエネルギー節約型の生存戦略という大型類人猿がたどってきた経路を敢えて外れた。ホモ・サピエンスはホモ属の脳を巨大化させた大型動物の狩猟に頼る戦略を変えた。農耕民は動物食中心から植物食の比重を大きく増やし、産業革命時には帝国ベルトから離れた辺境が変化の主導権を握った。

 もちろん、過去の経路があったからこそ次の画期につながった例もある。国家の成立は農業の歴史が古い地域で最初に生じたし、産業革命は国家の成立が遅かったアメリカ大陸ではなく、先行したユーラシアから始まった。そもそも遡ればホモ属が持久狩猟を始められたのも、アウストラロピテクスから引き継いだ直立二足歩行という効率の高い移動法を手にしていたからだ。

 いずれにせよここで取り上げた4つの要素は、ヒトが新たな画期へ進む際に揃えなければならない様々な条件の中でも重要度が高そうなものであるように見える。では現時点でこうした要素に当てはまりそうな条件としては何が考えられるだろうか。



13 Peter Turchin et al. (2022)

14 Karl S. Wittfogel, Oriental despotism: a comparative study of total power (1957)

15 ジェームズ・C・スコット, 反穀物の人類史 (2019)

16 Guy E. Swanson, The Birth of the Gods: The Origin of Primitive Beliefs (1960); アラ・ノレンザヤン, ビッグ・ゴッド:変容する宗教と協力・対立の心理学 (2022)

17 Peter Turchin et al., Explaining the rise of moralizing religions: a test of competing hypotheses using the Seshat Databank (2022)

18 Peter Turchin et al. (2022), Table 1

19 Jared Diamond (2002)

20 その研究によると、農業開始が1000年早い地域では317~430年早く国家が生まれるという; Oana Borcan et al., Transition to agriculture and first state presence: A global analysis (2021)

21 Peter Turchin, A theory for formation of large empires (2009)

22 Robert Drews, The End of the Bronze Age: Changes in Warfare and the Catastrophe Ca. 1200 B.C. (1993); Jangsuk Kim, Elite Strategies and the Spread of Technological Innovation: The Spread of Iron in the Bronze Age Societies of Denmark and Southern Korea (2001)

23 Peter Turchin et al. (2022), Figure S7。なおこの戦争特性についてはターチンらの別の研究で変数を算出している; Peter Turchin et al. (2021)

24 Peter Turchin et al. (2022), Fig. 2

25 Peter Turchin et al. (2022), Fig. 3, Fig. 4

26 例えばSeshatとは別のデータを使って国家の行使能力と産業化前の主要農産物を比べた結果、現代の国家行使能力が低い地域では生産性が高くても私物化の困難なイモ類などが栽培されていたとする研究もある; Joram Mayshar et al., The Origin of the State: Land Productivity or Appropriability? (2021)

27 バーツラフ・シュミル, 下巻 (2017), pp7-8

28 Sonia Harmand et al., 3.3-million-year-old stone tools from Lomekwi 3, West Turkana, Kenya (2015)

29 Thomas W. Plummer et al., Expanded geographic distribution and dietary strategies of the earliest Oldowan hominins and Paranthropus (2023)

30 T. Ryan Gregory, Understanding Natural Selection: Essential Concepts and Common Misconceptions (2009)

31 リチャード・ドーキンス, 利己的な遺伝子 (1992)

32 P. Jeffrey Brantingham, Hominid–Carnivore Coevolution and Invasion of the Predatory Guild (1998)

33 Susan C. Antón, Natural History of Homo erectus (2003)

34 Laura A. van Holstein and Robert A. Foley, Diversity-dependent speciation and extinction in hominins (2024)

35 Ludovic Slimak, The Naked Neanderthal: A New Understanding of the Human (2024)。ただしネアンデルタール人にホモ・サピエンスのゲノムが流入していなかったのは、両種の間に生まれた男児が不妊だった可能性もある

36 篠田謙一 (2009), 図6-1

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