科学の収穫逓減
未来を予測することは誰にもできない。やがて成長のない時代が訪れると断言することは神ならぬ身には不可能だろう。だが過去4回の画期においてそうであったように、今回の画期も急速な変化がやがてペースダウンし、緩やかな変化を経て停滞に至る可能性は十分にあり得る。何よりそう思わされるのが、足元で科学的な手順を通じた発見・発明の効率性が低下しているように見える点だ。
そうした傾向は、先進国では20世紀の時点で既に指摘されていた。複雑な社会の崩壊はその社会の持つ限界利益の低下(つまり収穫逓減)によってもたらされるという説を唱えた人類学者のジョゼフ・テインターがその一例。彼は投資コストに対してリターンが次第に減っていっている事例として、米国における人口当たりや技術労働者当たり、研究開発経費当たりの特許数の低下が1920年頃から生じている点や、1950年代以降に明確になってきた健康管理システムの生産性低下、1940年代以降に急増している高学歴者の教育費用増を紹介している(92)。特許数や教育といった分野は科学とも関連が深く、それだけにこうした分野の効率性低下は成長の種になるイノベーションの減少につながるリスクがあるように見える。
そして実際、こうした科学の発展が鈍っているのではないかと思わせる研究は、21世紀に入るとさらに増えてきている。その象徴的な事例と言えるのがムーアの法則だ。およそ2年ごとにCPUに搭載されるトランジスタの数が倍になるというこの法則は、1971年頃からずっと実際に実現されており、当初は2300個程度だったトランジスタの数は2010年代には実に26億個にまで増えた。まさに幾何級数的な成長といえるのだが、実は同じ成長率を達成するために投入された研究者の数は2014年には18倍にまで膨れ上がっている(93)。それだけ研究開発の効率は下がってしまっているわけだ。
米国による全要素生産性の成長率と研究開発に携わる研究者の数を比較した場合も話は同じで、2000年代の研究者数は1930年代の23倍に膨らんでいるが、研究自体の生産性は41分の1まで縮小している。企業の研究を見ても研究者の数が増えていることが多いのに対し、研究の生産性はむしろ低下気味だ。そう指摘する論文では他に農業や医療の生産性についても調べているが、研究者が増えている割に農業生産性あるいは平均余命の伸びは限定的であり、やはり研究の効率性は足元で低下している(94)。
科学研究に関連した冊子を使った分析もある。1つは科学技術史に関する書物(95)を使って1455年から1999年までを対象に調べたもので、驚くべきことにこの研究では1873年時点で既にイノベーションの速度はピークを迎えていたという。そこで使われたモデルによると、テクノロジーの経済的限界のうち90%は2018年、95%は2038年に達成される見通しとなっており、それが事実なら既に今の時点で成長をもたらす新たなイノベーション発見の余地はほとんどなくなっている(96)。
実際シュミルに言わせると、21世紀から振り返っても人類史における最大の技術的分水嶺は1867年から1914年の間だったそうで、その時期にこそ科学的な研究がピークを迎えていた可能性がある。何しろ1870年代にはダイナマイト、電話、写真が、「驚くべき1880年代」には発電所、電気モーター、蒸気タービン、蓄音機、自動車、アルミニウム、空気入りゴムタイヤ、プレストレスト・コンクリートが登場し、1900年以降には最初の飛行機、トラクター、無線信号、プラスチック、ネオン灯、組み立てラインといったものも生まれていた(97)。ほんの半世紀ほどの期間に相次いで現実化されたこれらの発明こそが生活水準の向上をもたらす高エネルギー社会の創設につながったわけで、それらこそがSカーブの原動力になったとの説には一理ある。
また科学関連の百科事典(98)、及び科学と発見に関する歴史本(99)を使った分析も行われている。そこでは、科学上の発見や発明に寄与した科学者たちが活動していた期間に「アイデアの流れ」が発生していたとみなし、人口100万人あたりでどのくらいそうしたアイデアの流れが生まれているかを研究生産性として算出した。面白いのは研究者の活動していた地域に合わせて米国、英国、大陸欧州のそれぞれでどの程度のアイデアの流れ、及び研究生産性が達成されていたかを調べている部分だ。
それを見るとアイデアの流れは1970年代以降、研究生産性は1950年代以降、長期低落傾向が続いている(100)。また地域別に見ると、大陸欧州は20世紀に入ってから既に研究生産性が下がっていた一方、米国はむしろ20世紀が生産性のピークだった。そして英国は18世紀末、19世紀後半、そして20世紀半ばと3回のピークを迎えており、各研究生産性上昇がそれぞれ第一次産業革命、技術革命(第二次産業革命)、そして電子技術革命をもたらした可能性がある(101)。
重要なのは、20世紀末から21世紀にかけて起きたと言われているデジタル革命が、実際には研究生産性の向上をまったく伴っていないように見えるところ。もちろん、限られた数の文献に載っているデータをもとに行った分析である以上、特に最新の実績が十分に反映されていないとの批判はあり得るが、研究者はそれを踏まえてもなお研究の生産性は低下していると分析。その原因として、大方の発見や発明は既に達成されてしまっているか、社会が豊かになった結果としてリスクを取った研究が減っているか、あるいは実体経済より金融技術で富を生み出す方に研究の力点がシフトしている可能性があると指摘している。
さらに20世紀後半以降、科学的な手法を使って過去の知識をひっくり返すような「創造的破壊」をもたらす研究が減ってきている、という説もある。20世紀半ばから2010年までに出た論文2500万本と特許390万件の引用元と被引用先について分析したこの研究では、それぞれの論文が過去の研究を強化するような内容であるか(例えば電子密度を計算するコーン・シャム方程式について記した論文)、あるいは既存の知識を破壊して科学と技術を新しい方向に推進するものか(例えばDNAの構造モデルを示したワトソンとクリックの論文)を示す指数を計算。それを使って創造的破壊をもたらす研究が減少傾向を続けていることを指摘した(102)。
特徴的なのはサイエンス誌やネイチャー誌のように最も評価の高い科学雑誌でもこの傾向が見られる点で、単に質の悪い研究が増えたために全体として創造的破壊をもたらす研究の割合が減っているように見えるわけではない。むしろ引用元の多様性が減り、自分自身の過去の研究を引用する割合が増え、さらに引用される論文が古くなっていることから(103)、研究者が新しく幅広い研究成果を吸収するだけの余力を失っている可能性が指摘されている。科学が進展し、知識があまりに多く積み重なったため、研究の最前線にたどり着くまでに学ばなければならないことが増えすぎ、結果として既存の研究に上乗せするだけで研究者が手いっぱいになっている可能性がある。
もし科学的な手順をもって見つけ出すことができる発見や発明、あるいは科学的研究がもたらす創造的破壊において、テインターの言う収穫逓減が起きているのだとしたら、それは科学的な試行錯誤によって成長を成し遂げてきた第5の画期にかなり大きな影響を及ぼすだろう。現代的な経済成長をもたらすうえではイノベーションが欠かせないのに、そのイノベーションを生み出すために必要なコストが時間とともにどんどん増えているのだ。過去と同じ数の創造的破壊論文を生み出すために、過去にないほど大量の論文をさらに増やし続けていかなければならないわけで(104)、これもまた研究の効率性が下がり続けていることを示している。
そしてこの収穫逓減にさらにマイナスの影響を及ぼしかねないのが人口動態だ。実は人口の多さは潜在的な発明者の数を増やすことで技術的な変化を加速するという説がある。ヒトの数が増えるほど、新たなアイデアを思いつくだけ十分に幸運もしくは賢明なヒトもその割合に応じて増えるとの考えで(105)、そうやって生じたイノベーションがさらに人口増加を加速するという正のフィードバックも生じ得る(106)。ネアンデルタール人ではなくホモ・サピエンスが生き延びた(第3章)のには、そういう要因もあったかもしれないが、人口減の時代がやってくると今度はホモ・サピエンスがネアンデルタール人と同じ立場に置かれる恐れも出てくる。
統一成長理論を唱える経済学者のオデッド・ガローは、1人当たりのGDPが増えるような経済成長は人的資本の質の向上によってもたらされたと指摘している。問題はそういう社会が到来すると、今度は社会の方が質の高い人材を求めるようになり、人々は子育てに際し子供の数を増やすのではなく質を高める方へと投資を行うようになること(107)。結果として少数の子供に多額の教育資金を注ぎ込む流れが強まり、まずは1人当たりGDPの高い先進国で、さらにはそれを追って経済成長を遂げた国々で、特殊合計出生率の低下が見られるようになる。結果として現代社会が質の高い人的資本を求め続ける限り、人口そのものはいずれ減少に転じる可能性が高い、という結論になる。
20世紀以降、研究者の数を増やすことで研究の効率性低下を何とか穴埋めしてきた人類だったが、21世紀の後半には急速に人口の伸びが鈍るSカーブ後半戦を迎える。一方で科学の収穫逓減が進み続けるのなら、研究者を増やすことができなくなった時点で新たに生み出されるイノベーションの量も減少へと転じることになる。その先に待っているのは、やはり停滞とゼロサムゲームの時代、に見える。
突破口はないのだろうか。産業革命以降の成長をもたらした第5の画期がやがて終わりを告げるのは仕方ないとしても、例えばそれに続く第6の画期がすぐに到来すれば、ヒトはまた新たなSカーブへと足を踏み入れ、再び成長を享受することができるはずだ。果たしてそれは可能なのか。次の画期のためには一体何が必要なのか。
92 Joseph A. Tainter (1988), Fig. 9-12
93 Nicholas Bloom et al., Are Ideas Getting Harder to Find? (2020), Figure 3, Table 1
94 Nicholas Bloom et al. (2020)
95 Bryan H. Bunch and Alexander Hellemans, The History of Science and Technology: A Browser's Guide to the Great Discoveries, Inventions, and the People who Made Them, from the Dawn of Time to Today (2004)
96 Jonathan Huebner, A possible declining trend for worldwide innovation (2005)
97 Vaclav Smil, Creating the Twentieth Century: Technical Innovations of 1867-1914 and Their Lasting Impact (2005)
98 Robert E. Krebs, Encyclopedia of Scientific Principles, Laws, and Theories (2008)
99 Isaac Asimov, Asimov's Chronology of Science & Discovery (1989)
100 Peter Cauwels and Didier Sornette, Are ‘flow of ideas’ and ‘research productivity’ in secular decline? (2022), Figure 2-3
101 Peter Cauwels and Didier Sornette (2022), Figure 4
102 Michael Park et al., Papers and patents are becoming less disruptive over time (2023), Fig. 2
103 Michael Park et al. (2023), Fig. 6
104 Michael Park et al. (2023), Fig. 4
105 Michael Kremer, Population Growth and Technological Change: One Million B.C. to 1990 (1993), pp685-686
106 Peter Turchin et al., Rise of the war machines: Charting the evolution of military technologies from the Neolithic to the Industrial Revolution (2021)
107 Oded Galor, Unified Growth Theory (2005)
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