Sカーブ後半戦
もちろんこの第5の画期にも過去の画期と同様、Sカーブが存在していた。代表例と言えるのが人口の推移。ヒトの人口が10億人を超えたのは19世紀の初頭であり、20億人に達したのは1928年に過ぎない。ところがそれから100年も経過しないうちに人口は80億人と4倍にまで急増している(68)。農業が始まった頃から紀元1700年までの人口成長率が年平均0.04%(100年だとおよそ4%)であったのと比べると、この1世紀における成長がどれほど凄まじいものであったかがわかるだろう。
もちろん経済力も同じだ。世界全体の実質GDPは1820年の推計値である1兆3600億ドルから100年後の1920年には4倍弱の5兆1500億ドルへ急増。しかし本当にその成長が加速したのはむしろ20世紀に入ってからであり、1970年には26兆300億ドルと50年でほぼ5倍に、2020年には126兆5100億ドルとやはり50年で5倍弱に膨らんでいる(69)。紀元1年の推計世界GDP(2064億ドル)から1500年(4865億ドル)まで約1500年かけて2.4倍にしか増えなかったのと比較しても、産業革命後の経済発展がいかに急加速しているかがうかがえる数字だ(70)。
そう、人口やGDPのデータを見る限り、成長が最も加速したのは20世紀に入ってからである。第一次産業革命が18世紀後半から、第二次産業革命が19世紀の後半から始まったことを考えると、これもまたSカーブに特有の、当初はゆっくりとした成長から次第にそれが加速していくという流れがあったと考えていいだろう。第1章で述べたイノベーションが広がる過程と同じであり、イノベーターが中心だった第一次産業革命、アーリーアダプターに広がった第二次産業革命を経て、20世紀に入ると変化が最も加速するアーリーマジョリティまで現代的経済成長が及んだと見られる。
もちろんその過程では、先行した国々が先に豊かさを達成し、経路依存性などが理由で出遅れた地域が昔のままの貧しさのためにとどめ置かれた時代があった。1800年当時、世界中の1日当たり実質所得は1ドル未満をピークとした正規分布を描いていたのが、1975年にはアジアやアフリカがほぼ同水準のままだったのに対して欧米が十数ドル付近に2つ目のピークを付けるようになったのが、その証拠だろう。しかし20世紀後半から21世紀にかけてはレイトマジョリティが次第に追いつきはじめており、2015年の分布を見ると5~10ドルの間をピークとした正規分布に再び近づきつつある(71)。
第5の画期では都市化も進んでいる。もちろん第5章で指摘した通り、都市人口の増大自体は国家が成立した第4の画期の時から進んでいた。それに対し足元での最大の特徴は、世界全体で見ても都市人口が農村部の人口を上回るところまで都市化が進んだ点(72)。もちろん国によって都市化が進んだタイミングは異なっており、例えば米国では20世紀前半、日本は同半ばに都市人口が過半数を超えたのに対し、中国でそこまで都市化が進んだのは21世紀に入ってから(73)。パプアニューギニアのように2023年時点になっても都市人口の割合が11.5%しかない地域も残っているが、世界的に見ればそうした国の数はかなり減少してきている(74)。
エネルギー面で見ても最近になって加速的な変化が生じている。1900年の一次エネルギー消費は1万2131テラワット時と、50年前(7791テラワット時)に比べて1.5倍ちょっとにしか増えていなかったが、1950年のこの数字は2万8564テラワット時と倍以上に急増、2000年には12万2857テラワット時と100年前の10倍以上に膨れ上がった(75)。薪のような伝統的なバイオマス燃料の利用はこの間もほとんど変わっていないが、19世紀後半に増え始めた石炭、20世紀の後半になって急増に転じた石油や天然ガスといった化石燃料の使用増がこの変化をもたらしている(76)。
バーツラフ・シュミルによると、こうした変化は原動力技術の進歩に合わせて次第に進んできたことになる。農業社会では原動力としてヒトや家畜のエネルギーに加え、水力の利用が行われていたが、18世紀には蒸気機関が登場してその利用が増加。19世紀には水力タービンや蒸気タービン、20世紀にはガスタービンといった具合に次々と新しい仕組みが登場した。何より大きいのは主に自動車に使われている内燃機関で、20世紀も半ばになるとこの内燃機関とタービンが原動力の大半を占めるようになり、かつて主力であったヒトと家畜の役割はほぼなくなっていった(77)。
もう一つ、Sカーブへの道をたどって急激に伸びていると思われるのが平均余命だ。1900年当時、世界の平均余命は32歳にとどまっており、アジアやアフリカでは20代後半の水準にあった。欧米や英連邦諸国を含むオセアニアではようやくこの数字が上昇し始めていたものの、水準的にはまだ40代。だが20世紀の前半には遅れていたアジアやアフリカでも平均余命の上昇が始まり、1950年には世界で46.5歳、2000年には66.5歳と100年前に比べて倍以上も長生きするようになった(78)。
さらにある意味、こうした豊かさの急上昇を最もよく象徴しているのが、栄養状態の改善だ。古いデータまで遡ることができる英国の場合、中世末期から19世紀半ばまで、1日1人当たり摂取カロリーは2000〜2500キロカロリーにとどまっていた。だが19世紀後半からこの数字は上向きに転じ、20世紀の後半に入るとコンスタントに3000キロカロリーを超えるようになっている(79)。一方、中国は1990年代に入ってようやく2500キロカロリーを恒常的に超えるようになり、3000キロカロリーを上回ったのは2010年以降だ。カロリー以外も同様で、世界の摂取たんぱく質は1961年の61.05グラムが2021年には90.20グラムに、脂質は47.20グラムが86.72グラムにそれぞれ増加している(80)。
こうした第5の画期における急成長をある意味まとめて把握できるのが、上でも紹介したイアン・モリスの社会発展指数。エネルギー獲得量、組織化、戦争遂行能力、情報テクノロジーのそれぞれ最大値を250、合計最大値1000となるこの社会発展指数を見ると、西洋の指数は産業革命前の紀元1700年時点で40.98に過ぎなかったのが、1800年には50.63、1900年には170.24、そして2000年には906.37と文字通り幾何級数的に増えている。東洋でもこの数字は45.29、49.78、71.09と増えて2000年には564.83と、西洋の後を追うように大幅に伸びた(81)。産業革命前と比べ、明らかに違うステージへと社会が発展してきたことが分かる。
ただしこれが本当にSカーブであるかどうかを確認するには、急増した部分だけ見ていても不十分だ。ロジスティック方程式が当てはまるのなら、どこかでリソースの制約からその増加ペースにブレーキがかかり、伸びが鈍るはず。そして上に紹介したいくつかのデータからも、実は増加ペースの減退が観測できる。
例えば人口。確かに世界人口自体はまだ増え続けているが、増加率で見るとピークだったのは1962年と63年の年率2.2%増で、2023年には増加率は0.9%まで低下していた。その後も人口増加率は下がり、世界人口は2088年の104億3000万人をピークに減少に転じるとの予想もある。あるいは人口が10億人増えるのにかかった時間を見る手もある。10億人から20億人になるのに120年かかっていたのが、30億人になるのは35年、40億人になるには14年とその期間はどんどん短くなっていた。だがそうした短縮傾向は足元では鈍っており、60億人、70億人、80億人に達するのにかかった時間はいずれも12年。さらに90億人に至るには今度は14年かかる見通しで、増加ペースの鈍化が次第に明らかになってきている(82)。
人口の伸びが鈍っている最大の理由は少子化にある。特に先に成長を遂げた先進国ではその傾向が強く、19世紀からデータがある英国、スウェーデン、ノルウェー、ルクセンブルクの特殊合計出生率を見ると、19世紀末には4人ほどの水準だったのが20世紀前半にいったん2人未満へと急減。同世紀中ごろに2~3人の範囲まで回復したが、後半からはまたも2人を割り込んでいる(83)。この流れは今後、他の国々にも広がっていく見通しで、2050年には世界204ヶ国・地域のうち4分の3、2100年には97%で特殊合計出生率が人口を維持できる水準(2.1人)を下回るとの予測もある(84)。
経済成長も1960年代以降、伸びが鈍っている。世界の1人当たりGDP成長率の推移を見ると、時期によって上下はあるものの、全体として1966年当時の3%台から2016年には1%台まで低下。OECD諸国に限れば1966年当時の4%前後が足元では1%程度まで低迷を余儀なくされており、労働生産性の伸びに至ってはGDPとほぼ同じ水準にあったのが足元では0.7%までとさらに大きな低下に見舞われている。長期的なデータを取れる英国に絞ると労働生産性のピークは1960年代で、足元は20世紀以降でも最低レベルまで落ち込んでいる状態だ(85)。
エネルギーも同様。1966年以降の一次エネルギー消費の伸び率推移を見ると、20世紀半ばには4%成長も珍しくなかったが、最近は2%を割り込む年の方が多くなっている(86)。こちらもまた先進国ほど停滞感が見えており、例えば米国のエネルギー消費の推移を見ると20世紀の間は右肩上がりを続けていたのが21世紀に入るとほぼ横ばいが続いているのが分かる(87)。
一方、都市化は21世紀に入っても着実に続く見通しだ。国連の予測によると2050年には都市に住む人口の割合が68%に達して全体の3分の2を超えるし(88)、OECDは2100年にその比率がおよそ85%になるとの見通しを示している(89)。もちろんこちらも上昇ペースは低下しているものの、そのテンポはゆっくりとしたもののようだ。平均余命については足元新型コロナウイルスの影響で低下しているが、これがどのくらい持続するかは見通せない。ただ1人当たりGDPが一定の水準を超えると平均余命の上昇率が鈍るという関係はあるようで(90)、だとすると貧困が減るほど平均余命の伸びも鈍りそうだ。
栄養面ではまだSカーブの急成長局面にいる国が多い。特に中所得国の上位グループでは1日1人当たりカロリーの伸びが加速しており、1981〜2001年までの増加率(11.7%)より2001〜2021年(15.7%)の方がペースが速まっている。一方、同期間の高所得国では伸びが7.6%から3.5%へと低下しており、一足先に豊かになった地域でSカーブ後半戦への移行が見られるようになってきた。特にG7は顕著で、平均値を見ると戦後すぐの1941年に2548キロカロリーだったのが2000年には3480キロカロリーまで増えたが、その後はほぼ横ばい水準をキープ。2021年の数値も3499キロカロリーにとどまっている(91)。
もしこうした実測データが世の中の実態を表しているのだとしたら、我々は産業革命がもたらした第5のSカーブの後半戦に差し掛かっていることになる。つまりこれからヒトを待ち構えているのは成長の鈍化とその先にある長い停滞の時代であり、利用できるリソースが増えない状態の下でゼロサムゲームが行われる社会、になるのだろうか。本当に成長の時代は終焉を迎えようとしているのか。
68 The world population has increased rapidly over the last few centuries(https://ourworldindata.org/population-growth?insight=the-world-population-has-increased-rapidly-over-the-last-few-centuries#key-insights、2024年4月14日確認)
69 Global GDP over the long run(https://ourworldindata.org/grapher/global-gdp-over-the-long-run、2024年4月15日確認)
70 古い時代のGDP推計については経済学者アンガス・マディソンの研究が有名であり、彼の死後もフローニンゲン大学がマディソン・プロジェクト・データベースの作成に取り組んでいる; https://www.rug.nl/ggdc/historicaldevelopment/maddison/releases/maddison-project-database-2020?lang=en(2024年4月15日確認)
71 Max Roser, The history of global economic inequality(https://ourworldindata.org/the-history-of-global-economic-inequality、2024年4月15日確認)
72 United Nations Population Fund, State of world population 2007 (2007), pp6
73 Jianguo Wu, A new frontier for landscape ecology and sustainability: introducing the world’s first atlas of urban agglomerations (2022), Fig. 1
74 Share of the population living in urbanized areas(https://ourworldindata.org/grapher/long-term-urban-population-region?tab=map、2024年4月15日確認)
75 Hannah Ritchie et al., Energy Production and Consumption(https://ourworldindata.org/energy-production-consumption、2024年4月15日確認)
76 Global primary energy consumption by source(https://ourworldindata.org/grapher/global-energy-consumption-source、2024年4月15日確認)
77 バーツラフ・シュミル (2017), 図7.4, 図7.5
78 Life expectancy at birth(https://ourworldindata.org/grapher/life-expectancy、2024年4月15日確認)
79 Ian Morris (2010), Table 11, Table 12
80 Daily supply of calories per person, 1270 to 2018(https://ourworldindata.org/grapher/daily-per-capita-caloric-supply、2024年4月16日確認)
81 Max Roser et al., Food Supply(https://ourworldindata.org/food-supply、2024年4月16日確認)
82 Max Roser and Hannah Ritchie, How has world population growth changed over time?(https://ourworldindata.org/population-growth-over-time、2024年4月15日確認)
83 Fertility rate: children per woman(https://ourworldindata.org/grapher/children-born-per-woman?tab=chart、2024年4月15日確認)
84 GBD 2021 Fertility and Forecasting Collaborators, Global fertility in 204 countries and territories, 1950–2021, with forecasts to 2100: a comprehensive demographic analysis for the Global Burden of Disease Study 2021 (2024), Figure 3
85 Tim Jackson, The Post-Growth Challenge — Secular Stagnation, Inequality and the Limits to Growth (2018), Figure 1, Figure 4-6
86 Annual change in primary energy consumption(https://ourworldindata.org/grapher/change-energy-consumption、2024年4月15日確認)
87 U.S. Energy Information Administration, Nonfossil fuel energy sources accounted for 21% of U.S. energy consumption in 2022(https://www.eia.gov/todayinenergy/detail.php?id=56980、2024年4月15日確認)
88 68% of the world population projected to live in urban areas by 2050, says UN(https://www.un.org/development/desa/en/news/population/2018-revision-of-world-urbanization-prospects.html、2024年4月15日確認)
89 OECD, The Metropolitan Century: Understanding Urbanisation and its Consequences (2015)
90 Carol Lee Graham et al., The Easterlin and Other Paradoxes: Why Both Sides of the Debate May Be Correct (2010), Figure 9.4
91 Food Supply(https://ourworldindata.org/food-supply、2024年4月16日確認)
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