停滞か、次の成長か

 このまま成長が鈍り続け、停滞が訪れた時、世界はどう変わるのだろうか。過去においてはそうした時代の方がむしろ長かった。チンパンジーの共通祖先と分岐してから脳の肥大化が本格化するまでおよそ500万年の間、我々の先祖は大型類人猿とそれほど変わらない生活をずっと続けていたのだろう。ホモ・エレクトゥスがユーラシア南部に広がってからホモ・サピエンスがその限界線を越えるまでの200万年近く、ホモ属の生息域はほぼ同じ範囲にとどまった。ホモ・サピエンスはメガファウナを次々と追い込みながらも、1万年ほど前になるまで農業という新たな生業にシフトすることがなかなかできなかった。

 国家が誕生し、そのノウハウが世界へ広まっていくまでの期間、各地の農耕民は部族単位や首長制社会単位で争い、余剰生産物の大半は人口増によって吸収される流れがずっと続いていた。産業革命以前の社会は農業に基盤を置いた国々がただひたすらに興亡を繰り返していただけで、しかもその大半は非常に権威主義的な制度運営を続けていた。支配の正統性は多くが伝統に由来し(55)、しばしば過去こそが優れた時代であって現在に近づくにつれてその価値が失われていったというイデオロギーが支配していた。そうした社会ではそもそも変化を望むこと自体が忌避されていた可能性がある。

 なぜそんな価値観が広がっていたのか。停滞の時代はSカーブの上昇が終わって横ばいに転じた時期だ。Sカーブで生み出された手法をいくら使ってもリソースの制約などで成長を達成できない状況、つまり限界利益がこれ以上伸びなくなっていると考えられる。そしてジョゼフ・テインターがそうした社会の事例として紹介しているのが、帝政ローマの末期である専制政と、古典期マヤ文明が崩壊した9世紀頃の社会だ。

 テインターによれば専制政ローマでは軍隊を賄い、巨大な帝国を維持するためだけに、住民からとにかく多額の税を搾り取る仕組みが作られたという。住民にとってはローマという複雑な社会が、いくら投資をしてもリターンがほとんど伸びない社会になってしまったわけで、むしろゲルマン諸王国のようにシンプルな社会の方がコスト面で合理的な社会になっていた。またマヤ文明の場合、6~7世紀頃が人口のピークだったにもかかわらず、記念碑的な建造物はむしろ7世紀末から8世紀半ばにかけて最も多くなっていたそうで、こちらでも専制政ローマと似た住民から絞り上げるシステムが存在していた可能性がある(56)。

 Sカーブを駆けのぼりつつある成長局面なら、多くのヒトが競争に参加し、よってたかって成長を現実化できる包括的制度の方が、効果的に変化を達成できるだろう。多極化という特徴を持っていた西欧が産業革命期に先行したのも、それが一因だと思われる。逆にSカーブを上り終わった後の停滞局面では、多極化した社会では競争が激しすぎ、逆に成長資源へのアクセスを制限するような収奪的制度の方が、社会の安定には向いている可能性がある。農業社会で最も先を進んでいた帝国ベルトで生まれた多くの帝国が収奪的で安定重視の制度を取っていたのも、成長のない世界ではそれがより適応的だったからだろう。

 だとすれば、画期が訪れない場合にやってくる世界では、再び収奪的制度が優位に立つのかもしれない。成長のないゼロサムの世界では他者から奪う能力が高い方が生き残りそうだし、奪う能力を高めるためには内部が多極化し互いに牽制し合う社会よりも、トップダウンで収奪できる社会の方が強くなるとも考えられる。それに収奪的制度が安定的に存在し得ることは、長い農業社会の歴史が証明している。もちろんかつてユーラシアに君臨した巨大帝国がまったく同じ形で復活することは考えにくいが、例えば枢軸宗教の代わりにイデオロギー化し信仰と化した世俗的啓蒙主義がそうした社会を正当化するのに使われるといったケースはあり得るかもしれない(57)。

 いずれにせよ、未来はまだ不確定だ。ただし、新たな飛躍のためのボトルネックが超えられない限り、今のSカーブがやがて停滞へとたどり着くことは避けられないだろう。そうなりたくなければ、我々は常に「もっと皿に多くを載せたい」という貪欲さを失わないようにしつつ、一方で新しいやり方を受け入れる柔軟性を保ち続ける必要がある。ここまでヒトを変えてきた過去の積み重ねがこれからどうなるかは、おそらくそれにかかっている。

 希望を持てそうな話がないわけではない。ネアンデルタール人をピークに縮小していると言われていた脳のサイズ(第3章)が、足元に来てまた増加に転じているという研究がある。あくまで米国でのデータに限るが、1930年代生まれに比べ1970年代生まれの脳は体積で6.6%、表面積で14.9%も増えている。おそらくは栄養状態の改善がもたらしたもので、脳の増大にともなって認知能力の向上、アルツハイマー症の発生率低下といった影響も出てきている(58)。

 もちろん脳の増大だけで次の画期がもたらされることが保証されるわけではないし、そもそも脳の大型化は認知能力の最大値を高めるのではなく最低値を引き上げているとの指摘もある。それでも新たな成長に向けて試行錯誤と続ける余地がまだ残されていると言うことはできそうだ。それも含め、未来は我々自身の肩にかかっている。



55 Max Weber, Economy and Society (1922)

56 Joseph Tainter (1988)

57 例えばあるフランスの哲学者は、社会正義やジェンダー平等などを唱える左派のWokeismについて、理性と寛容を拒否する宗教に似ていると指摘している; Jean-François Braunstein, La religion woke (2022)

58 Charles DeCarli et al., Trends in Intracranial and Cerebral Volumes of Framingham Heart Study Participants Born 1930 to 1970 (2024)

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