獲物を追って

 こうやって狩猟にふさわしい能力を手に入れたホモ属にはどのような変化が生じたのか。まずは当然の話だが、彼らは動物を獲物として狩り、それを食べるようになった。それもホモ・エレクトゥスの時にはかなり極端に動物食に偏っていた可能性がある。

 ホモ属より前の先祖はそうではなかった。哺乳類139種の食の内訳について調べた研究によると(38)、実は動物食や植物食のみにエネルギー源を頼っている種は少なく、およそ80%は雑食動物になる。ただし雑食動物のうち4分の3は食糧の70%を動物あるいは植物の一方からのみ得ており、動物と植物の両方をバランスよく食べる(狭義の)雑種は哺乳類全体の約20%しか占めていない(39)。ヒトに近い霊長類16種も全部雑食だが、バランスよく食べる狭義の雑種に当たるのは1種のみ。2種は動物食の比率が高い雑食、残る13種はすべて植物食の比率が高い雑種だ。我々の最も身近な親戚であるチンパンジーも、ウガンダでの調査によると食事の時間の64.5%は果実を、19.7%は樹木の葉を食べるのに費やしており(40)、植物食の割合が高い。

 だが300万年以上前、アウストラロピテクスの頃になると動物食の可能性をうかがわせる考古学的な証拠が出てくるようになり(41)、ホモ属の登場によってさらに動物食が加速した。その証拠は多岐にわたっており、古人類学者のミキ・ベン=ドールらによる研究では25の証拠についてメタアナリシスに取り組んだうえで、ホモ・エレクトゥスが活動していた前期旧石器時代(約200万年前)に動物食化が最も進んだと指摘している。ただしホモ・サピエンスが登場する中期新石器時代にはその動きが鈍り、8万5000年ほど前になると植物食への揺り戻しが発生した(42)。

 具体的にどんな証拠があるのか。例えば動物の体や脳のサイズは食糧のエネルギー密度と密接に関係しており、そこから体や脳が巨大化していったホモ属はエネルギー密度の高い食糧(特に脂肪)を摂取していたことが分かる。胃液の酸性度が高いのも動物食が中心の生物によく見られる特徴だし、繊維質を発酵させる機能を持つ結腸がチンパンジーより77%も短い一方、タンパク質や脂肪を吸収する小腸は逆に64%も長くなっている。ベン=ドールの研究の中にはリーバーマンらが指摘している持久狩猟についての言及もあるし、大型類人猿に比べて離乳期が遅いのも動物食のためと見られる。

 そういった生物学的な特徴以外にも、例えば考古学的に見て石器が肉の加工に使われた証拠が存在する。残された動物の骨には何かの道具で切られた痕が残っているし、ヒトが脂肪を手に入れるため大型の動物を好んで狩猟していた様子もある。古生物学からは陸生哺乳類の平均体重が最初にホモ属が誕生したアフリカでまず低下を始めたという研究が出ているし、同じくヒトとの関連が指摘される第四紀の大量絶滅では、特にヒトの狩猟の対象となりやすかった大型動物が大きな影響を受けたことが判明している。他にも動物学や民族誌からもヒトが動物食にシフトしたことを示す証拠が出ている。


 また、ヒトは単に駆けずり回って(エネルギーを消費して)脂肪とタンパク質を大量に入手しただけではない。それだけのコストを払って手に入れた食糧から、できるだけ効率よく大量のエネルギーを吸収するための工夫もこの時期に始まった。ハイコストに見合うだけのハイリターンを手に入れるためには、狩猟だけでは十分ではなかったのだろう。ヒトは、おそらく調理を始めた。

 ホモ属はその初期の頃からアウストラロピテクスなどと比べて歯と顎が小さかった(43)。どうやらホモ・エレクトゥスは咀嚼筋が減少し、最大咬合力が弱いという特徴を、彼らが登場した約200万年前から持っていたようだ。それをもたらしたのは繊維質の多い植物食から動物食へのシフトのおかげだと思われるが、それに加えて石器を使った簡単な調理(機械的な力を使った食材加工)も寄与していたと思われる。

 ある研究によると肉が食事の3分の1を占めるようになった場合、年間の咀嚼回数は200万回近く(13%)減少し、必要とされる総咀嚼力は15%減ったという。さらに石器を使って肉をスライスし、また固い塊茎をすりつぶせば、肉を細かい塊にかみ砕くヒトの能力は41%も向上し、咀嚼回数はさらに5%、咀嚼に必要な力は追加で12%も減ったそうだ(44)。単に動物食へと移行しただけでなく、ホモ属以前から使われている石器(45)を活用することで、ヒトはより効率よくエネルギーを入手できるようになったのだ。

 火を使った調理も効率的な消化を促進したと思われるが、こちらがいつ頃から始まったかについては昔から様々な意見があった。早い時期としては200万~170万年前との見方が存在する一方(46)、日常的に広範囲に使われるようになった証拠はもっと新しい12万5000年前のものになるとの指摘もある(47)。最近になって南アフリカの洞窟内でおよそ100万年前のものとされる植物などを燃やした痕跡が発見されており、ヒトが洞窟内でコントロールされた火を使っていた証拠だと言われている(48)。

 また、78万年前のイスラエルの遺跡から加熱した痕跡のある魚の骨も発掘されており、その頃までにはヒトが火を使った調理をするようになっていたとの主張も出てきている(49)。同じホモ・エレクトゥスでも、アフリカ産の初期のものより時期的には新しい中国で見つかったものの方が歯のサイズが縮小している(50)との指摘もある。石器だけでなく火も調理に使うようになって、一段と咀嚼力を減らせるようになったのかもしれない。

 さらには発酵の利用がエネルギーの摂取を容易にしたという説がある。繊維質の多い食糧(植物)を消化するには体内の微生物を使ってそれらを体内で発酵させる必要があり、そのために反芻動物は食べた植物を発酵させる巨大な反芻胃を発達させ、あるいはウマなどは長い結腸を持つようになった。消化器内での食物の滞留時間を長くすることで微生物が活動する時間を十分に与え、体内発酵を使ってエネルギーをより入手しやすくしているわけだ(51)。

 実際、植物食の比率が高い哺乳類では入手エネルギーに占める体内発酵の割合はかなり高い。反芻動物であるウシは72%、ヒツジは84%にも達しているし、そうでない動物でもブタは36%、ポニーは30%を占めている。これは類人猿でも同様で、ゴリラについては57%という推計値が存在する(52)。ところがヒトはこの比率が2~10%にとどまる。動物食がこの低い比率を可能にしたと見られるが、それに加えてヒトが「体外発酵」を活用するようになったのも一因だという。

 きっかけとなったのは、獲物を運んで隠すという行為だった。長い距離を運んで同じ場所(木のうろや地面のくぼみ、洞窟など)に蓄えるという行動を続けているうちに、再利用された保管場所で発酵を促す微生物生態系が安定的に存在するようになったのではないか、とこの説は唱えている。体外発酵された消化しやすい食糧を手に入れた結果、ヒトは発酵のために必要な体内の消化器を縮小し、余ったエネルギーを他の部分に、体の中でも最も燃費が悪いと言われる臓器に転用するようになった。そう、彼らは脳を肥大化させ始めたのだ(53)。



38 Silvia Pineda-Munoz and John Alroy, Dietary characterization of terrestrial mammals (2014)

39 Pineda-Munoz and Alroy (2014), Electronic Supplementary Material 1, Table 1

40 Nicholas E. Newton-Fishe, The diet of chimpanzees in the Budongo Forest Reserve, Uganda (1999)

41 Shannon P. McPherron et al., Evidence for stone-tool-assisted consumption of animal tissues before 3.39 million years ago at Dikika, Ethiopia (2010)

42 Miki Ben-Dor et al., The evolution of the human trophic level during the Pleistocene (2021)

43 Susan C. Antón, Early Homo: Who, When, and Where (2012)

44 Katherine D. Zink and Daniel E. Lieberman, Impact of meat and Lower Palaeolithic food processing techniques on chewing in humans (2016)

45 Sonia Harmand et al., 3.3-million-year-old stone tools from Lomekwi 3, West Turkana, Kenya (2015)

46 Steven R. James, Hominid Use of Fire in the Lower and Middle Pleistocene: A Review of the Evidence (1989)

47 Iain Davidson and William Noble, When Did Language Begin? (1993)

48 Francesco Berna, Microstratigraphic evidence of in situ fire in the Acheulean strata of Wonderwerk Cave, Northern Cape province, South Africa (2012)

49 Irit Zohar et al., Evidence for the cooking of fish 780,000 years ago at Gesher Benot Ya’aqov, Israel (2022)

50 Yousuke Kaifu, Advanced dental reduction in Javanese Homo erectus (2006)

51 坂田隆, ほ乳動物の食性と消化管の構造・機能 (1999), pp192

52 Katherine L. Bryant et al., Fermentation technology as a driver of human brain expansion (2023), Table 1

53 Katherine L. Bryant et al. (2023), Fig. 1; なおこの説では体外発酵が始まったのはホモ属より前のアウストラロピテクスの時代ではないかと推測している

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る