行きつ戻りつ
イヌの家畜化は最終氷期にまで遡ると言われているが、同様に植物についても栽培化の端緒につながる動きは更新世には始まっていた。イスラエルのケバラ洞窟からは今から6万~4万8000年前の4000近い種子が発掘されており、おそらく近くの地域から採集されたものと見られている。大半はマメだが、その中にはドングリやピスタチオといったナッツ類も含まれている(41)。後に農業の主役となるコムギやオオムギといったイネ科の種子は小さく、集めるのにも労力を要したため、当初ヒトはより大きなナッツ類を好んで集めていたのではと指摘する向きもある(42)。
時期がもう少し新しくなると、穀物を調理した証拠が出てくる。イスラエルのオハロII遺跡からは植物を磨り潰すために使われたと見られるでんぷんの痕跡がある石器が出土しており、今から2万3000年前のものと見られている(43)。この遺跡で見つかった植物の種類は140種にも及び、その中には野生のエンマーコムギ、オオムギ、オーツムギなども含まれていたそうだ(44)。ただしヒトがそうした植物を育てていたとしても、あくまで野生種の種を播いて収穫していただけ。この時点では品種改良まで進む栽培化には至っていなかったとの見方が一般的だ。
オハロII遺跡が含まれるレヴァント地方では、ちょうどベーリング・アレレード期への移行直前となる1万5000年前にナトゥーフ文化が生まれている。当時、おそらく食糧として消費された体重5キロ未満の動物に占める動きの遅い獲物(カメなど)の比率を使って狩猟への依存度を調べた研究によると、初期ナトゥーフ文化(1万3000年前まで)では狩猟依存度が低かったという結果が出ている。だがヤンガードリアス期に入った後期ナトゥーフ文化(1万3000~1万1500年前)になるとむしろ狩猟への依存が増えており、気候変動によって農耕へ進みつつあった文化がいったん狩猟採集へ戻った可能性が指摘されている(45)。
1万4400年前になるとパンのような食品も作られるようになっており、ヨルダンにあるシュバイカ1遺跡ではそうした食物の残骸が発見されている。ただし原料となったのは野生のヒトツブコムギやウキヤガラ属の塊茎だったそうで、穀物ベースの食糧が主食になっていたとまでは言えないようだ(46)。発掘される植物を調べると、時とともに穀物が主役になっていったのは確かだが、その移行には実に1万5000年もの時間を要したという(47)。
農業の本格開始以前から少しずつ進んでいたものとしては、定住生活も挙げられる。他ならぬナトゥーフ文化そのものが、農業開始の前から定住が行われていた事例として知られている(48)。この文化の遺跡からは石造りの建造物、大型の石臼などの資材、貯蔵坑、墓地、ハツカネズミやイエスズメなどの共生生物の存在、ガゼルの歯の分析から判明する狩猟の季節性、考古学的な堆積物の厚みなど、定住性を示す証拠がいくつも見つかっているそうだ(49)。
ナトゥーフだけではない。世界を見渡すと狩猟採集を生業としながらも一方で定住していたと見られる事例が、日本の縄文文化など数多く存在する。ある研究ではそうした事例を34件も紹介。特に海岸沿いの事例が多く見られるそうで、水産資源に頼る社会の場合は狩猟採集であっても定住できた事例が意外に多いようだ。この研究では農業が始まる前の社会を、現在の狩猟採集文化と似た「移動する平等な社会」と見るだけでは不十分であり、実際にはより大きく複雑で階層的な社会で暮らす狩猟採集民も存在する「多様な歴史モデル」の採用が必要だと主張している(50)。
狩猟採集社会と農耕社会が簡単に区別できるものではないことを示す象徴的な事例が、トルコのギョベクリ・テペ遺跡だろう。紀元前9500~8000年頃に建造されたこの遺跡(51)には、ヘビやキツネ、イノシシ、ツル、絶滅したウシの祖先種であるオーロックなど、多数の動物の姿を浮き彫りにした柱が残されている(52)。発掘にあたった研究者はシャーマンによる宗教儀式が行われた場所である可能性を指摘しているが、一方でこの遺跡はそういった寺院のようなものではなく住居であったとの主張も存在する(53)。
他にも境界線的な事例や証拠は多数存在する。狩猟採集社会から農業やそれに合わせた定住社会への変化が短期間で成し遂げられたものではなく、長い時間をかけて行きつ戻りつしながら進んだことは確かだろう。こうしたゆっくりとした変化はまさにSカーブの初期段階で見られるものであり、そして実際に農業が始まったところでその変化は急激な加速を見せる。
41 Efraim Lev et al., Mousterian vegetal food in Kebara Cave, Mt. Carmel (2005); Ehud Weiss et al., The broad spectrum revisited: Evidence from plant remains (2004), pp9553
42 臼田秀明, 知は地球を救う 3.作物の栽培化から遺伝子組み換え作物まで (2010), pp127
43 Dolores R. Piperno et al., Processing of wild cereal grains in the Upper Paleolithic revealed by starch grain analysis (2004); Dani Nadel et al., New evidence for the processing of wild cereal grains at ohalo II, a 23 000-yearold campsite on the shore of the sea of Galilee, Israel (2012)
44 Ainit Snir et al., The Origin of Cultivation and Proto-Weeds, Long Before Neolithic Farming (2015)
45 Natalie D. Munro, Small game, the Younger Dryas, and the transition to agriculture in the southern Levant (2003)
46 Amaia Arranz-Otaegui et al., Archaeobotanical evidence reveals the origins of bread 14,400 years ago in northeastern Jordan (2018)
47 Weiss et al., The broad spectrum revisited: Evidence from plant remains (2004)
48 Ofer Bar-Yosef and Anna Belfer-Cohen, The origins of sedentism and farming communities in the Levant (1989)
49 Brian Boyd, On ‘sedentism’ in the Later Epipalaeolithic (Natufian) Levant (2006)
50 Manvir Singh and Luke Glowacki, Human social organization during the Late Pleistocene: Beyond the nomadic-egalitarian model (2021), Table 1, Figure 3
51 Lee Clare, Göbekli Tepe, Turkey. A brief summary of research at a new World Heritage Site (2020)
52 Joris Peters and Klaus Schmidt, Animals in the symbolic world of Pre-Pottery Neolithic Göbekli Tepe, south-eastern Turkey: a preliminary assessment (2004)
53 Edward B Banning, So Fair a House: Göbekli Tepe and the Identification of Temples in the Pre-Pottery Neolithic of the Near East (2011)
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