2.狩り勝負

2-1



 ツェレンが嫁いで数日が経過した。クルムズの山に来てから、ツェレンはファーリアイの助言通りの生活をしていた。


 よく食べ、よく働き、よく眠る。


 草原と山では食事の内容が違った。草原と同じく、野菜や穀物も食べる。しかし、狼獣人は肉を好んで食べた。そのため、食事の内容は肉や魚、チーズなどの乳製品が多かった。

 ツェレンは食べ物の好き嫌いはほとんどなかったし、山の料理をすぐに気に入った。唯一気に入らなかったのは、シドゥルグが仕事を理由に食事の時間に顔を見せに来ないこと。おかげでツェレン一人で食事をしなくてはいけない。実家では家族で賑やかに食事をするのが当たり前だった。寂しくなってそのうちツェレンはファーリアイや女中を誘って食事を共にするようになった。


 年老いた女中が一人いて、家の仕事のほとんどは彼女が行なっていた。彼女に家のことを教わって掃除や雑用を手伝った。これは家でもしていたこととほとんど変わらなかった。実家では弟妹の面倒を見ながらの手伝いだったので、とても楽でテキパキとこなせた。それと同時に、自分の後ろをうろちょろしない弟妹がいないのは寂しく感じた。

 よく働く、というには少し足りないが、ツェレンはそうやって日中を過ごしていた。よく眠るの部分は、もともと寝つきがいい方なので問題ない。一人の寝台にも慣れてしまった。


***


 朝はエルマの小屋の掃除をする。新しい牧草と水を入れ、根藁の汚れた部分を交換する。屋敷の隅にあった動物小屋の隣に馬小屋があり、そこがエルマの新しい家になった。

 クルムズは馬が少ない。自分たちの足で移動するらしい。狼獣人は足腰が強く、素早く走ることもできるし、長距離を移動することもできる。そのため、荷物を運ばせたり農耕する馬はいるが、移動のためにはほとんど使われないそうだ。

 マヴィでは一人一頭自分用の馬がいるくらい生活必需品だったため、ツェレンには意外なことだった。


 ファーリアイと共にエルマの世話を終えて小屋を出ると、門前でシドゥルグと何人かが集まって何かを話しているところを見かけた。しばらく見ていると、彼らはそのまま門の向こうへ行き、どこかへ出かけて行った。


「どこへ行くのかな」

「これから狩りへ出かけるのだと思いますよ」

「狩りを?」


 ツェレンが振り返って聞くとファーリアイが頷いた。


「我々クルムズ一族にとって、狩りは大事な仕事の一つです。ですので、ああしてシドゥルグ様も狩りをされるのですよ」

「……ねぇ、ついて行ってはダメかな?」


 ツェレンは期待を込めた目でファーリアイに聞いた。ファーリアイの反応はあまり良いものではなく、苦笑を浮かべている。


「およしになった方がよいかと……。草原での狩りは分かりませんが、ここでの狩猟とは勝手が違います」

「大丈夫、私これでも弓矢を使わせたらちょっとしたものだったのよ。待ってて、用意するから」


 ファーリアイは不安そうにツェレンの背中を見送る。そんな目線にも気付かず、ツェレンは自室に戻り、自分の弓矢を手にして戻ってきた。草原で使っていた自分の弓矢だ。

 先ほどの言葉通り、ツェレンは草原で狩りをすることがあった。馬上でも獲物を仕留めることができるほどの腕前で、我ながら腕に自信があった。


 エルマを連れて行こうとすると、ファーリアイに止められた。馬にはいけないような山道を歩くこともあるため、クルムズの狩りに馬は連れていかないそうだ。徒歩で山に入るらしい。彼女の言う通り、エルマを置いて森の方へ入って行った。

 山の獣道を進みながら、ファーリアイがクルムズの狩りのことを教えてくれた。


「クルムズの狩りは馬も弓も使いません。草原での狩猟とはやはり違いますね」

「じゃあ、どうやって獲物を狩るの?」

「我々にはこの足がありますから」

「足で、獲物を追うの?」


 にわかに信じられない。獲物となる草食動物達は大抵すばやく、とても足で追うことはできない。しかし、ファーリアイはもちろんと示すように頷いた。


「狩りは己の力を示す場といいますか、クルムズ一族にとって力試しの場でもあります。できるかぎり己だけの力で獲物を追い、仕留めます。これがクルムズの狩りです」


 そのことを聞いて、ツェレンは俄然やる気が出てきた。もしここで自分の腕を見せれば、少しはシドゥルグも認めてくれるかもしれない。それを期待して進む。


 しばらく歩いていると、遠くから遠吠えが聞こえた。ツェレンが驚いて立ち止まると、ファーリアイがその遠吠えにじっと耳を傾けた。


「こちらです」


 ファーリアイが突然方向転換した。それと先ほどの遠吠えが何か関係があるのかは分からない。言う通りファーリアイの背中に続いた。しばらく道もない木の生い茂り、一面枯葉ばかりの丘を下る。しばらく下ると、前が開けて見えた。


「あちらを」


 ファーリアイが指を指し促した。そちらを見るとあっと声をあげそうになった。

 丘を下ったそこは木々が少ない高原になっていた。そこに一頭の雄のガゼルが駆けていく。それを数人の影が追いかける。

 その影の速さは驚くものだった。人の足とは比べようがない。

 狼獣人たちはツェレンよりもうんと軽装備だった。上半身は薄い胴着のみで、上着を脱いでいる。ここからでは、弓矢や剣などの武器が見当たらない。皆、片手に短い剣を持っていた。中には口に咥えている者もいる。

 彼らは狼のように吠えながらガゼルを追い立てる。遠くからでもよく分かる統制の取れた動き。ツェレンは少し草原の狩りに似ていると感じた。獲物を決められたところに追い立て、そこにもう一人が待ち伏せし、留めを指す。

 ここで留めを、そう思ったときに大きな影がガゼルに襲いかかった。その影が短剣をガゼルの首元に突き立てて、動きを封じさせた。ガゼルは何度ももがいて足を使って蹴り飛ばそうとするが、影はそれを離さない。やがて、ガゼルは息絶えた。


 その影──シドゥルグがぬっと立ち上がり、短剣を鞘に戻した。他の狼獣人がガゼルに寄って血抜きの用意をする。

 息をするのも忘れるほどの迫力に、ツェレンはただ「すごい」と感嘆の声を漏らすことしかできなかった。すると、こちらを振り返った。目が合う。


「おい! そんなところで何をしている」


 シドゥルグが怒鳴ってこちらに向かってくる。


「すごい、こんなに遠いのによく私がいるって分かったわね。聞こえてたのかしら」

「おそらく、聞こえていたのでしょう。狼獣人は耳がいいですから」


 なるほどと頷く。ということは秘密のお話もできなさそうだと、呑気に考えながらシドゥルグの元へ向かった。

 シドゥルグの機嫌はよくなかった。それとは対照的にツェレンは機嫌良く駆け寄った。


「なんでお前がここにいるんだ。……ファーリアイ、お前が連れてきたのか」


 その場に足を折って頭を下げるファーリアイにシドゥルグが聞く。


「はい、奥方様が狩りを見たいとおっしゃるのでお連れいたしました」

「今の、すごかったです! 皆、動きも統制が取れていて、言葉を発さなくてもお互いの動きが分かっているようでそれで……」


 ツェレンは興奮気味に話す。しかし、シドゥルグは容赦無く遮った。


「世辞はいい。とっとと帰れ」

「私にも、参加させてくれませんか!」


 ツェレンの頼みにシドゥルグはしばらく面食らい、笑った。嘲笑うようなもので、ツェレンは気分が悪くなり、口を尖らせる。


「お前が? どうやって仕留める? その弓矢で狩りをするのか?」

「バカにしないでください! あなた達のやり方ではありませんけど、私もちゃんと狩りをすることができます!」


 ツェレンは胸を張るように言う。しかし、それを小馬鹿にしたようにシドゥルグが「どうだか」と返した。


「俺にはお前が野鼠一匹捕まえられるとは思えないがな」

「あら、言いましたね。なら勝負しましょう!」

「勝負?」

「私とあなたで狩り勝負です。どちらが多く、大きな獲物を捕れるか!」


 ツェレンは半ばムキになっていた。自分を子供のように扱い、小馬鹿にするこの男を見返してやりたい。もはや妻がどうということをすっかり忘れてしまっていた。

 ツェレンの提案にハッと顔を上げたのはファーリアイだった。彼女は「お待ちください」と止めようとした。しかし、彼女の声をかき消すようにシドゥルグの後ろにいた男達がわっと湧いた。


「面白ぇ!」

「族長と奥方様の狩猟勝負だと!」

「こりゃ見ものだな!」

「……いいだろう、だが後で吠え面をかくなよ」


 シドゥルグはしばらく考えていたようだが、部下達に押されるように勝負を受けるようだった。ツェレンは悪態つく彼にフンと笑った。


「あなたこそ。その横暴な態度ができるのは今のうちなんだから」

「お待ちください、ツェレン様。どうか私の話を……」

「ファーリアイ、止めるな。好きにさせてやれ。……こいつには少し痛い目に遭ってもらう」


 ファーリアイは説得できず、自分の長であるシドゥルグに止めるなと言われればもう口出しはできない。耳を垂れさせ黙るしかなかった。


「制限時間は日没前までとする。それでいいな」

「ええ、それで構いません。見てなさいよ」


 ツェレンは苛立ちを抑え込むように言いながら林の方へ向かっていく。その後ろ姿をシドゥルグとファーリアイが見送る。


「ファーリアイはここで待っていろ」

「ですが、もし何かあったら」

「あいつの足なら他所の山にも行き着けないだろう。この辺りなら俺たちの庭のようなもんだ。迷子になってもたかが知れてる」


 冷たく言い放つシドゥルグに、ファーリアイは耳を垂れさせる。


 ……彼女は何も知らずに行ってしまった。そもそも、シドゥルグに狩猟で敵うわけがない。誰よりも力が強く、素早い彼が追いつけない獲物はいないのだから。

 それに、あの少女にこの山の狩りは難しいだろう。ファーリアイは不安そうにツェレンが向かった方に目を向けた。

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