6-2
ファーリアイに連れられて、村近くまでやってきた。道のない山中を大急ぎで歩いたため、ツェレンは何度も転びそうになったり、落ちている枝や植物の蔓に足を取られそうになった。ファーリアイはそんなツェレンを気遣いながら歩いてくれたものの、かなり急いでいるようだった。
見慣れたところまでやってくると、一緒に集落を出てきた狼獣人たちと出くわした。血相の悪いファーリアイとツェレンを見て、何事かとやってきた。
「どうした? ファーリアイ、何かあったのか?」
「トルガたちが山の中にいた。まだ近くにいる」
ファーリアイが早口で答えると、二人の狼獣人は表情をこわばらせた。
「本当か?」
「ちっ、あのやろう、族長のいない時を狙ってやってきたのか?」
「分からない。とにかく、放っておくわけにはいかない」
ファーリアイが何を考えているのか二人は分かったらしく、その場を足早に駆けて行った。きっと、トルガたちを追いに行ったのだろう。ファーリアイはツェレンを見て、安心させるように肩を撫でた。
「ツェレン様、そういうわけなので私はすぐトルガたちを追います。ひとまず、母の家へ」
「わ、分かった」
一体彼が何者なのか、ツェレンはまだ想像もつかない。しかし、こんなにもファーリアイたちが慌ただしくしているのはよくない人なのだろう。ファーリアイはツェレンの後ろにいた若い狼獣人たちを見た。
「お前たちはツェレン様と共に集落へ戻りなさい」
「まってください、ファーリアイさん! 俺たちも戦えます!」
「一緒に連れて行ってください!」
一人前と認められたばかりの若い狼獣人たちだ。意気込むように言うが、ファーリアイはきっぱりと「だめだ」と答えた。
「心強いが、ツェレン様をお守りすることを優先してほしい。それに、援護も欲しい。このことをジハン殿にお伝えして応援をよこしてもらいたい」
「……分かりました」
若い狼獣人は一不服そうな表情を見せたものの、意気込んで頷いた。
「頼んだぞ」
ファーリアイは一言いい、ちらりとツェレンを見下ろして微笑んだ。土を蹴る僅かな音がして、ファーリアイは木々の向こうへと走り去ってしまった。
「ツェレン様、行きましょう」
「うん……」
彼女の姿はもう見えないが、ツェレンはじっとその木々の向こうへと視線をやった。もう一度促されて集落へ急いだ。
***
狼獣人たちと集落へ戻り、セダの家へ向かった。セダは突然の来訪に驚き、ツェレンたちの様子がおかしいことにすぐ察知したようだった。
「何かあったのですか?」
「トルガが近くに現れたそうです」
狼獣人の一人が答えると、セダは表情をこわばらせた。口元を震わせ、声が出ないようだった。そのまま、戸の方へ倒れるようによろめいた。
「セダさん!」
「大丈夫、大丈夫ですから」
ツェレンは驚いて彼女を支える。セダは大丈夫だと繰り返すが、その表情では説得力がない。
「ああ……なんていうこと……」
セダはぼやくようにうめいた。
ツェレンは「あとは任せて」と狼獣人たちを送り出し、セダを椅子に座らせた。セダは椅子に座ると深くため息をついた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫。ちょっと驚いてしまっただけですから」
椅子に座ると少しは落ち着いたらしく、動揺はしていないようだった。それでも、セダの表情は暗く憂いている。
「あの、トルガという人は悪い人なのでしょうか?」
「……なんとご説明したらいいのか……ツェレン様はあの子にお会いしたのですか?」
あの子というのは、きっとトルガのことだと分かりツェレンは頷いた。するとセダは目を細めた。その表情はどこか複雑めいているように見えた。悲しそうでもあり、懐かしそうでもあり、嬉しそうでもある。
「……そうですね、ツェレン様も知っておいた方が良いでしょう。トルガ様は、シドゥルグ様のお兄様なのです」
セダの柔らかい声で言われたことは、ツェレンの胸を突き刺すような衝撃的なものだった。驚いて声も出なかった。
「私がファーリアイを産む一週間前に、シドゥルグ様とトルガ様のお母上が亡くなり、私が乳母に任じられたのです。それ以来、私はあの子たちを我が子のように育てました。皆、立派に育ってくれました。
特にトルガ様は抜きん出ておりました。利発で気高く、同じ年頃の子らの中では一番力も強く、誰よりも早く狩りを覚えられました。誰かの上に立つということを生まれながらに理解しておいででした。誰もが次期族長はトルガ様だろうと思っていました。しかし……前族長はシドゥルグ様を次期族長に指名されたのです」
「それはどうして?」
「今となってはもう知りようがありません。ですが、私から見てシドゥルグ様が持っていてトルガ様には持っていないものがあると感じておりました」
「それは?」
ツェレンは先を促すように聞く。セダは目を細め、窓の向こうを見ながら答える。
「他者を思いやる心です。トルガ様は確かにお強い方でした。ですが、弱き者に手を差し伸べることをいたしませんでした。狼獣人は他の獣人族よりも強い戦士の一族と自負しております。トルガ様はクルムズを本物の強き戦士の一族にすることを理想としておりました。彼の理想の一族の中に、力の弱い者は一人もいない。
我々は戦うことに長けておりますが、中には戦いや狩りを苦手としている者がいます。そういった者はそれぞれ得意なことを生業として、生活をしております。トルガ様の理想の一族には、弱き者たちは不要と日頃口にしておりました」
セダはそこで一息つき、息を吸った。その呼吸ひとつとっても、苦しそうに聞こえる。
「次期族長にシドゥルグ様が指名された時、トルガ様はひどくお怒りになり、錯乱されておりました。ご自身も誰もがトルガ様が族長になると信じておりましたから、混乱も仕方ないものだと思っておりました」
彼女の言葉が澱み始める。この先は言いづらいことがツェレンには分かった。
「……恐ろしいことに、トルガ様は叛逆なされました。裏で同じ理想を持つ仲間を集め、お父上に剣を向けたのです。……この時に、お父上は亡くなられてしまったのです」
あまりにもひどいことに、ツェレンは言葉が出なかった。あの人は、自分の父を殺した。自分の家族に剣を向けたことが信じられなかった。
「シドゥルグ様は懸命にトルガ様と戦われ、必死の戦いで勝利し、叛逆者たちを捕らえることに成功いたしました。その後、トルガ様とその仲間らは罪を問われ、この山から追放となったのです」
「……そんなことが」
「シドゥルグ様は心を痛まれておいででした。お父上を亡くしたうえに、実の兄上に剣を向けられたのですから。きっと、トルガ様に負い目を感じていたのでしょう。それからシドゥルグ様は懸命に族長として我らを率いてくださったのです」
「だから、私に安息を与えてほしいとおっしゃっていたのですね」
ツェレンの問いにセダは「そうです」と頷いた。
ツェレンはシドゥルグのことを思った。もし、自分も同じ立場だったら? きっと、悲しくて狂うしいだろう。もしかしたら、自分も死んでいたかもしれないし、兄弟を殺していたかもしれない。シドゥルグはずっとその重圧に耐え続けていたのだろう。
彼は、父や兄のことを思って泣いたのだろうか。
シドゥルグのことだから、その涙を誰にも見せなかったのかもしれない。そう思うとツェレンの胸は次第に苦しくなっていった。
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