6.族長殺し
6-1
その日、ツェレンはファーリアイと何人かの獣人たちと狩りへ出掛けた。シドゥルグは部下を連れて麓の集落へ出かける用事があり、早朝から出払っていた。
先日の騒動のことがあるので、シドゥルグに「面倒事は起こすなよ」と再三言われ、最後にツェレンは「しつこい!」と怒った。そんな怒りを尻目にシドゥルグは集落を出ていった。
ファーリアイから少し離れ、追跡をする。獲物を少しずつ追い込み、合図で一斉に狩りを仕掛ける。その合図を待ちながら追跡を続けていた。
ツェレンが歩くのは細い木々が生え並ぶ、視界の悪いところだった。地面はなだらかな山で、歩きやすくはあるが、木々が邪魔で何か獲物を射抜くのは難しいだろう。土を踏みながら先を歩き続けた。
その影は、細い木々に紛れて立っていた。その影の色も焦げ色で木の色に馴染んで、すぐ気づくことができなかった。ツェレンは立ち止まった。距離にして六サズ(約九メートル)ほど。体は随分大きく、背丈だけならシドゥルグと同じくらいだろうか。熊獣人よりも少し細い影だと感じた。
ツェレンはバハディルの言葉を思い出していた。不審な“はぐれ”らしき影の話。あれが、それなのだろうか。どうしようかと考えていると、その影がこちらをぐるりと振り返った。ツェレンの体に心臓を突くような緊張が走り、動きを止めた。
横顔から狼獣人の男だと分かる。毛並みは銀色のような灰色をしており、その顔の額から鼻筋あたりまでにかけて古い傷跡がある。
男がこちらを見た。その目は雨空の冷たい色をしているように見えた。しかし、よく見れば深い翡翠色をしていて、その目がツェレンの姿を射抜いた。
「……なぜここに“人”がいる?」
狼獣人は低く唸るように言い、こちらへ寄ってきた。ツェレンは逃げることもできず、蛇に睨まれた鼠のようにそこに立ちすくんでいた。やっとで動いた足が一歩後退した時にはすでに彼はツェレンの腕を取り、高く上げた。
「いたっ……」
その容赦のない痛みにツェレンは声を漏らす。しかし、男はそんなことを気にせずツェレンの顔を覗き込みじっと見る。その目が怖くてツェレンは目を逸らす。
そこで気づいた。男は一人だけではなかった。男の背後に何人か、狼獣人がツェレンを警戒するようににじり寄ってきた。
彼らも“はぐれ”だろうか。ツェレンは背中に冷や汗が流れていくのを感じた。腕を引き抜けば何をされるか分からないから抵抗もできなかった。
その時、ツェレンの背後から何かが駆けてくる足音が聞こえた。振り返れば、その場に鋭い声が響いた。
「その人を離しなさい、トルガ!!」
ファーリアイは自分の短剣を構え、牙を見せて吠えた。トルガと呼ばれ、ツェレンの腕を掴み上げた狼獣人はファーリアイを見るとにやりと笑った。
「ファーリアイ、久しぶりだというのにご挨拶だな。俺はクルムズの山に“人”がいるからてっきり、密偵か何かと」
「私が気の短い女だということを忘れたのか?」
ファーリアイは怒りを抑え込んだように唸った。トルガはそんな彼女を一瞥し、ツェレンの腕を離した。すかさずツェレンはファーリアイの元へ駆けた。彼女は片手でツェレンを抱きしめ迎えてくれた。
「お怪我は?」
「大丈夫」
「随分とその……“人”のお嬢ちゃんを大切にしたがるじゃないか。彼女は一体なんだ?」
トルガはゆっくりとこちらを訝しむように聞いた。表情は笑っているが、目は笑っていない。ファーリアイはツェレンを自分の後ろに隠し、短剣を下ろさない。
「お前に教える義理もない」
「おいおい、そりゃ酷いだろう。もし、その子に会った時……そう、俺の仲間なんかが会ったらどうなるか分からないぜ?」
トルガの言葉に、ファーリアイはしばらく黙り込み、睨み続ける。やがて口を開いた。
「……シドゥルグ様の奥方様だ」
その言葉にトルガは一瞬動揺したように目を見開いた。しかし、それはほんの一瞬で、次にはゲラゲラと笑い出した。その笑いに答えるように周囲の狼獣人たちも笑い出した。
「あいつ“人”のガキを嫁にしたのか、ははははは!! トチ狂ったのか? どうかしてやがる」
「何とでも言え、お前たちには関係のないことだ」
「……ああ、そうだ。もう俺たちには関係のないことだ」
トルガは口角を上げ笑う。その笑みが怖くてツェレンはファーリアイの上着をそっと掴んだ。ファーリアイは警戒を解こうとしないまま告げた。
「私はこれからお前たちのことを仲間に報告する。八つ裂きにされたくなければこの山を去れ!」
「ご忠告どうもありがとう、ファーリアイ。そうさせてもらおう。……おい、いくぞ」
トルガは仲間たちに短く告げ、その場を去ろうとする。背中を見せ、その場を離れていくことを確認したファーリアイはツェレンの肩に手をおいた。
「行きましょう」
「でも……」
「説明は後で。早く」
ファーリアイは急いでいるようだった。ツェレンは頷いてそれ以上何も言わなかった。ファーリアイに連れられてその場を去る。自分の足に集中して歩き続けた。
背中に視線を感じる。ツェレンは後ろを振り返らなかった。彼らがこちらを見ていることに気づいていた。
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