2-2



「──時間切れだな」


 薄い青色をしていた空は、赤色を帯び、陽も落ちて影が濃くなってきた。シドゥルグはその空を見上げて言った。


「引き上げるぞ」


 周囲の仲間たちに告げて片付けを指示する。自身も手にしていた短剣の汚れを簡単に拭って鞘に戻した。シドゥルグの周囲に、ツェレンの姿は無く、周辺にも彼女の気配を感じなかった。


 勝負あったな。声にはせず頭の中で呟く。ツェレンがいなくなった後、若い鹿を単独で狩った。まだツェレンは姿を見せない。この様子だと、あの子供の収穫はなさそうだ。


「シドゥルグ様」


 そっとファーリアイが声をかけてきた。彼女はこちらを伺うように続ける。


「なぜ、ツェレン様にそこまで冷たくなさるのですか」


 彼女の声に遠慮はなかった。その声音にシドゥルグを責めるような色がある。


「そんなつもりはねぇ、俺は平等だ。あいつもここにいるやつらも、同じように扱っている。たとえ、俺の妻だからと甘やかしたりはしない」

「彼女はまだここに来たばかりなのですよ。我々に馴染もうと必死なのです」

「だから優しく手取り足取り教えろと? それこそ子供のようだな。馴染みたいと言うのなら、自分でどうにかするんだな」

「あなたはあの子の夫なのですよ。夫が妻の重荷を少しでも軽くしないでどうするというのですか!」


 ファーリアイが牙を見せ吠えた。その怒鳴り声は辺りに響き渡り、その場の空気を一瞬にして凍らせた。後処理をしながらやりとりに耳を傾けていた男たちは動きを止め固まっている。声に驚いて、近くの木々に止まっていた鳥が驚いてバタバタと飛んで行く。その静寂にファーリアイははっとしたように表情を変えた。


「も、申し訳ございません。つい、興奮してしまって。……ですが、どうかもう少しだけツェレン様に歩み寄ってください。あの子は我々と何もかも違う。ただでさえ孤立しやすい立場にございます」

「……はぁ、わーったよ。ファーリアイ、お前は先に帰れ。俺が迎えにいく

「! はい、どうかよろしくお願いいたします」


 微笑みながらファーリアイは頭を下げる。気だるそうにシドゥルグはツェレンが消えて行った方へ足を向け、歩いた。


「ったく、なんで俺が……」


 シドゥルグは悪態をついて山を進む。ツェレンの行き先はなんとなく分かる。彼女の匂いを辿り、歩きやすい方へ足を進める。

 なぜ、そこまで冷たくするのか。

 シドゥルグは歩きながら、先ほどファーリアイに言われたことを思い返していた。


 マヴィとの同盟はクルムズにとってこれまでに無かった試みだった。近隣の山を縄張りにする一族や麓の村との交流は定期的に行われている。要請があれば物品と引き換えに略奪にやってきた集団と戦うこともある。しかし、離れた土地の、それも“人”の一族との同盟は初めてのことだ。

 マヴィの族長、ヴォルカンは話してみると一見温和そうだが聡い男だった。シドゥルグがあまり敵にしたくないと思う人間だ。

 マヴィの作った農具や武器、職人の持つ技術が手に入ればそれで良かったのだ。そこにヴォルカンが自分の娘まで差し出す。シドゥルグはそれを断ろうとした。

 この大陸では異種間での婚姻はそれほど珍しいものでもない。他人のことに何も思うところはない。しかし、自分が異種間の婚姻をするとなると話は別だ。


 獣人との婚姻を厭う“人”は少なくない。“人”の娘が獣人に嫁ぐのは何かしら企みがある時だ。今回のように同盟を組むための時もあれば、単純に金が必要だったり、理由は様々だ。娘は父親の決めたことに逆らうことはできない。中には、獣人に嫁ぐことを嫌がり出奔したり自害しようとする娘の話も聞く。


 俺たちは、そういうものなのだ。とシドゥルグは思う。しかし、それに対して悲しいとも辛いとも思わない。それほど“人”に興味がない。

 もし、マヴィの花嫁もそうやって心から嫌がっていたとしたら。それは不本意だ。お互いを信頼し合えないのなら、夫婦どちらも不幸なだけだ。自分を嫌っているくらいなら、適当な理由をつけて一族に返せばいい。そう思っていたのだ。


 いざ来た花嫁を見てシドゥルグは絶望した。

 被り物をとって見せたその顔にはまだあどけなさが残っていた。不安と希望に満ちたその大きな目がこちらを見たとき、堪らない気持ちになった。

 あの男は、こんな子供も利用すると言うのか。

 残酷なことをする。まだ世の中を知らなそうな子供を獣人に嫁がせるとは。判別のつかない子供ならば、さぞ嫌がったであろう。……そう勝手に想像していたのだ。


 だが、シドゥルグの考えは外れていた。花嫁は少しも悲観する様子がなかった。顔や身体は幼く見えるが、シドゥルグが思うほど彼女は子供ではなかった。さらに、良かれと思って寝屋を分けたつもりが、それをバカにしていると直接怒りにやってきた。これには呆気に取られた。


 言うことなすことは子供だが、獣人が夫になったことを厭うような様子は少しも感じられなかった。ファーリアイに都度報告させているが、短い間にファーリアイや女中とも打ち解けてしまったようだ。

 まだ、彼女が嫁いで三日ほど。言葉どころか顔もほとんど合わせていない。しかし、少しの間でも話してみると自分の調子が狂う。シドゥルグはそれも気に入らなかった。


 ──ああいう生意気なガキは、苦手だ。

 頭の中でそう唱える。まるで自分へ言い聞かせるように。

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