9.責任

9-1

 長い間ツェレンはトルガ達と旅をした。長い間、といっても十日ほどだが、それでもツェレンにとっては自分が生まれてこの歳になる時よりも長く感じた。それほど、辛く心を消耗した旅だった。


 トルガ達は決してツェレンに酷いことをしたわけではない。優しくしたわけでもない。食事や排泄などの間は拘束を解いてくれたが、それ以外は手首を縄で縛られていた。会話も最低限だったし、ツェレンも何か話しかけられても無言だった。長い拘束のために手首の皮は擦れて赤くなり、薄く血が滲み始めていた。それが辛いわけではない。斬られたルフィンや、トルガが死んだという人々のことを思うと、体の全身が重たく感じる。


 唯一の味方はエルマだけだった。ツェレンは頑なにエルマのそばを離れず、眠る時も彼のそばで眠った。

 シドゥルグは、ツェレンを信じてクルムズを頼むと言い残して去った。信頼されていることにツェレンは喜びを感じたし、彼の期待に応えたいと思っていた。


 しかし、想像していなかった事態に対応できず、被害を出してしまった挙句に自分の身柄を捕縛された。結果シドゥルグの期待を裏切ることになった。集落に住む人たちが殺されたことを、シドゥルグは悲しむだろうか、それともうまく対応することのできなかった自分を怒るだろうか。どちらにせよ、失望さえてしまうだろう。シドゥルグのふさわしい妻になりたかった。もうそれは叶わないのだろうか。


***


 草原地帯を越え、少しずつ草木が減り、やがて荒れた砂や岩の荒地へと景色は移り変わる。その荒地を進み続けると、大きな集落の影が見えて来る。赤茶色の岩山を切り崩し、穴を掘ったような建物がいくつも立ち並んでいる。その数はかなり多く、広い範囲に並んでいる。マヴィやクルムズよりも多くの人が住まう集落だということが一目でわかるほどだ。草木はほとんど生えていない。


 ここがサルの集落だろう。ツェレンもここへ来るのは初めてのことだった。

 その集落から二頭の馬が駆けて来た。馬上には兵士らしき男が一人ずつ乗っている。髭を蓄え、膨らんだ帽子を被っている。彼らが近寄って来てトルガ達の前で馬を止めた。トルガが一歩前に進んだ。


「ハカン殿に拝謁したい。マヴィの娘を連れて来たとお伝えしてくれ」


 トルガが勿体ぶったように言うと、男たちはツェレンの方をまじまじと見た。無遠慮な視線を受け、ツェレンは顔を下げたい気持ちになった。しかし、ここに来て沸々と怒りに似た反抗心を感じた。それを返すように睨み返せば男たちは顔を見合わせ、トルガに告げた。


「ついてまいれ」


***


 トルガは町に入る直前、ツェレンの縄を解いた。もうここまできたら逃げられないと踏んだのだろう。


 岩と土でできた町の中へ連れられ、たどり着いたのは左奥の崖に穴を掘った砦だった。硬そうな岩をどうやって削ったのかツェレンには分からないが。中は広く、美しい金の装飾が至る所に施されており、物語の王宮のようだと感じた。しかし、ここは敵の砦であることを忘れてはいけない。ツェレンは見るもの全てじっと見て観察した。サルの人々はツェレンを見てヒソヒソと何か話している。それが何を言っているのかツェレンには分からないが、ろくでも無いことだとその胡乱げな表情で分かる。


 砦の奥に謁見室のような部屋があり、ツェレンはそこに通された。その奥は祭壇のような階段があり、頂上には椅子が一つ。そこには男が座っていた。

 ふとましい体に、金の上着を羽織った髭の中年の男。──彼がハカンだろう。


 ツェレンはトルガに背中を押され、その場に座らされた。


「ハカン殿、マヴィの娘ツェレンをお連れいたしました」


 トルガもその横に跪いて、演技がかった声で彼に声をかける。ハカンはゆっくり立ち上がり、その階段をゆっくり降りて来る。


「おぉ、ツェレン殿。こうしてお会いするのは初めてですな。サルの族長、ハカンと申します。長旅お疲れ様でございました」


 ハカンは意外にもか細く優しげな声をツェレンにかけた。しかし、その言葉の節々に感じる嫌らしさにツェレンはゾッとした。彼はマヴィの草原を我が手にしようとしている男だ。そのわざとらしい声に苛立たしさも感じる。


「歓迎いたします。あなたを歓迎する宴の用意もしておりますよ」

「そんなもの必要ない」


 ツェレンははっきりと応えた。ツェレンの言葉にハカンは目を細めた。


「では、何をお望みで? できる限りあなたの望みを聞き入れましょう」


 虫唾が走る。ツェレンが今何を望んでいるか分かっていてこの男は聞いているのだ。


「だったらもうマヴィもクルムズにも手出ししないで。私がここに来たからと言って、マヴィの草原が手に入ると思ったら大間違いよ」

「何か思い違いをしているようですね。あなたはそこのトルガと取引をしてここへ来た。あなたはここへ来る代わりにクルムズを手出ししないと、取引をしたと聞いております。そこにマヴィは関係ないでしょう」

「ふざけないで!!」


 激昂したツェレンが立ち上がり、ハカンに飛びかからんとする勢いで向かおうとする。しかし、腕や足をトルガに抑えられてしまった。ハカンは一歩引いただけで表情を変えなかった。


「卑怯者! あんた達みんな最低よ!」

「おいおい、勘弁してくれよ。こうなったのはお前が決めたことだろう? 仮にも族長の妻であるお前が、何もかも俺たちのせいにしないでくれ」

「あなたがクルムズを襲ったのが原因でしょう!」


 怒るツェレンにトルガはため息をついてツェレンの体をその場に放り出した。簡単にツェレンは冷たい床に転び、苦々しくトルガを見上げ睨んだ。


「言っただろう? もうこの世の中は強いものが弱いものを狩る時代だ。それを奪ったって、弱いお前たちがどうこう文句を言える立場じゃあないんだよ」


 トルガの目は鋭利な刃物を直接喉元を突き立てられるような冷たいものだった。その目にゾッとさせられた。その目の形や色はシドゥルグにとてもよく似ていたからだ。


「悪いのは俺たちじゃない。あの場でこうするしか選択することしかできなかった弱いお前が悪いんだ。やれやれ、簡単な仕事だったよ、それにしても“人の女”というのは、こんなにも単純なものかね? 純粋すぎる。こんなんじゃ、喰われても文句は言えねぇぞ。なぁ? ツェレン」


 トルガはツェレンに問いかける。ツェレンは言葉を失った。嵌められた。トルガもハカンも、約束を守るつもりはないのだ。マヴィもクルムズも全て食い尽くそうとしているのだ。

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