3.季節

3-1

 ツェレンとシドゥルグが集落についたのは日がほとんど沈んで暗くなった頃だった。

 ツェレンはファーリアイに出迎えられ、直行風呂場へ連れて行かれた。彼女はすでに湯を沸かしていて、ツェレンの衣服を手早く脱がせて桶の中に引き入れ、泥を落としてくれた。

 一通り泥を落とし終えると、そのままファーリアイはツェレンの身体を洗ってくれた。


「でも、安心いたしました。私、ツェレン様が落ち込んで帰ってくるかもしれないと思っていましたから」


 帰ってきたツェレンは苦笑混じりにファーリアイに「ごめんなさい。心配かけて」と謝った。少しも落ち込んでいる様子はなく、また怪我もなく無事帰ってきたことにファーリアイは安心したようだった。


「平気よ。まだ私が嫁いで三日目だもの。まだまだこれから」


 ツェレンがファーリアイを振り返って言った。ファーリアイはそれを慈愛に満ちた目で微笑んだ。ツェレンも笑って応えるが、すぐに思い悩むような表情をする。


「でも……やっぱり今の私に何ができるのかな。私、ちゃんとクルムズのことをよく知りたい」

「クルムズのこと……そうだ、ツェレン様。私の実家へ参りませんか?」

「ファーリアイの?」


 ツェレンが聞き返すと彼女は頷いた。


「集落から少し離れたところに私の母と兄弟の住む家があります。都合を聞いて参りますので、よろしければ」

「ありがとう、じゃあ……ファーリアイのお母様が構わないとおっしゃってくれるなら」

「断りませんよ。母もきっとツェレン様に会いたがります」


 ファーリアイはそう断言した。ファーリアイは“人”のツェレンに優しく接してくれる。そんな人のお母様なら、嫌だとは言わないだろう。しかし、ファーリアイが断言するのは他に何か理由があるような気がした。


***


 ファーリアイが日にちを決め、数日後にツェレンは彼女の実家を訪ねるため出かけた。

 実は、集落をちゃんと歩くのは初めてだったりする。輿入れの時エルマに乗って移動はしたが、緊張していて集落をちゃんと見ていない。それ以来、ほとんどシドゥルグの屋敷の周辺でしか行動をしていなかった。

 改めてみるクルムズの集落はやはり草原とは違って面白かった。クルムズの家ほとんどが木でできている。マヴィはほとんどが泥の煉瓦の家か天幕の家が多い。柱などに彫り物をすることもあるが、こちらではそういった装飾はほとんどなさそうで質素な印象がある。家々の間に小さな畑があったりするが、マヴィほど多く野菜や穀物を育てているわけではなさそうだった。


 面白いのは集落の中央に広場があり、ファーリアイの話によるとそこで鍛錬などすることがあるそうだ。その広場には二人の若い狼獣人が棒で打ち合いの修練をしていた。ファーリアイに気づくと、二人は打ち合いをやめて彼女に声をかけた。


「ファーリアイさん」

「お疲れ、精が出るな」

「え、ええ……」


 二人はファーリアイに声をかけた後にツェレンの姿があることに気づき、どぎまぎと会釈した。ツェレンはそれに会釈を返して、先に歩き出したファーリアイの後を着いて歩いた。ちらりと後ろを振り返ると、二人ははっとして目を逸らした。


「皆、あなたに興味はあるのですが、どう接したらいいのか戸惑っているのですよ」


 ツェレンの不安を感じ取ったのか、ファーリアイが答えた。


「そうなの?」

「クルムズには滅多に“人”は来ませんからね。大丈夫、皆気のいい人ばかりですし、すぐツェレン様と仲良くなりますよ。私たちのように」


 ファーリアイの言葉にツェレンは胸が温かくなった。彼女は侍女ではあるが、ツェレンにとってはもう友達でもある。彼女の気遣いが嬉しかった。


 集落の外れの坂道を歩き続けると、丘の上に山小屋が見えた。そこがファーリアイの実家らしい。外観はこれまで見てきた建物とそれほど変わらない、積み上げられた岩と木の家だった。その裏手には動物小屋らしきものが見えた。

 家の前で三人ほど子供の狼獣人の姿が輪になって遊んでいる。こちらに気づくと、手を振って駆け寄ってきた。


「ファーリアイ姉ちゃん!」

 あっという間に近づいて、彼らはファーリアイに抱きついた。熱烈な歓迎にファーリアイは喜んで一番小さな男の子を抱き上げ、女の子たちに目線を向けた。


「おかえりなさい!」

「ただいま。みんないい子にしていたか?」

「してたよ。ねぇ?」

「うん、マヘルがおねしょしたこと以外は!」

「あ、言わないでって約束したのにぃ!」


 女の子二人がくすくすと笑うと、ファーリアイに抱き上げられた男の子がぐずる。それを宥めるようにファーリアイが頭を撫でる。


「こら、弟を揶揄うんじゃない。マヘルも、こんなことでいちいちぐずったりするな」

「姉さん、この方がツェレン様?」


 一番大きな女の子がツェレンをちらちらと見て伺い、ファーリアイは「そうだ」と言って、マヘルと呼ばれた男の子を降ろした。


「ツェレン様、妹と弟たちです。左からナズ、トゥアナ、マヘル。他にルフィンという弟もいるのですが、今は出かけているようで」


 トゥアナはツェレンの妹よりも少し年上だろうか。ナズとマヘルも弟と同じくらいの年頃の子だ。なんだか弟妹のことが懐かしく感じる。


「こんにちは」


 ツェレンが挨拶をすると、おずおずと子供たちは声をそろえて「こんにちは」と挨拶をしてくれた。一番大きな女の子のトゥアナはきちんと大陸の礼儀的な挨拶をしてくれた。


「大家族ね……」

「狼獣人は多産なのですよ。さ、どうぞ」


 ファーリアイに促されて山小屋の方へ登っていく。家の前に一人の女性の姿があった。子供たちの騒ぐ声に気づいて家から出てきたようだ。中年の狼獣人で、毛並みはファーリアイと同じ色合いをしている。彼女はツェレンに礼儀的なお辞儀をして歓迎してくれた。


「ようこそいらっしゃいました、ツェレン様」

「初めまして、お招きいただきありがとうございます」

「いえいえ、大歓迎です。私のことはセダとお呼びください」


 穏やかなゆったりとした声で話す狼獣人だった。きびきびと話すファーリアイとは少し違うが、顔は似ているとツェレンは思った。


「狭い家ですが、どうぞ中へ。お茶を淹れますから」

「ありがとうございます、おじゃまします」


 暖かく迎えられ、ツェレンは家の中へと入った。

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