3-2

 中は質素ながらもよく綺麗に手入れされていた。剥き出しのままの板間に机と人数分の椅子があり、平たい竈や台所なんかも奥の方に見える。

 セダがお茶を淹れてくれ、ツェレンは馳走になりながら彼女の話を聞いた。


「それにしても、あの子のところへこんなに可愛らしい奥様が来てくれるなんて。思っても見ませんでしたよ」

「……あの子?」


 それって、もしかして。と思うとファーリアイが教えてくれた。


「シドゥルグ様のことです。母は彼の乳母だったのですよ」

「え、じゃあ……」

「はい。つまりまぁ、私たちは乳母兄弟でして。幼い頃から兄弟のように共に育ったのです」

「そうなの!?」


 思わず驚きの声を上げる。母娘は顔を見合わせて笑った。


「子供の頃は私の方が力が強くて、狩り勝負も負けなかったのですよ」

「今では立派な族長ですけど、昔は大人しい子でした。私としては優しくいい子だと思っていましたが、お父様……前族長は臆病だとおっしゃってそれは大変厳しくされておりました。よくこの家に来ては、その物陰に隠れて涙を堪えておりました」


 セダは懐かしむような遠い目を竈の影に向けた。薪を置くような場所の奥に小さな隙間がある。ツェレンにはシドゥルグがそこで涙に堪えるところを想像できなかった。しかし、セダは懐かしんでおり、きっと彼女にはその光景が今でも見えるのだろう。


「それでも逞しく強く育ってくれました。……大きく変わったのは、お父上が亡くなって族長を継いだ時でしょうね」


 セダは悲しそうに顔を俯かせる。ファーリアイもセダのように悲しい表情を見せ、目線を茶の入った湯呑みに落とす。その俯いた表情を見ると、セダよりもファーリアイの方が悲しみが深いように感じた。


「この一族を導かなくてはいけない。お父上のように皆の手本となり強くなくてはならないと、あの子は懸命に働いています。でもね、時々思うのです。あの子は自分にも他人にも厳しすぎる。あまりにも自分を追い詰めすぎる。だから、あなたにはぜひあの子に安息を与えてほしいのです」

「私に……」


 セダは深く頷く。


「何も族長の妻だからといって特別何かをしなくてはならないと、責任を感じなくてもよいのです。当たり前のことを、あの子に必要だと思った時に手助けしてやってくれませんか?」


 彼女の憂う表情を見ると、マヴィの母のことを思い出した。母はいつもツェレンのことを心配していた。時々過保護だと思うこともあったが、それは彼女が自分のことを心から愛してくれているからだと知っている。母の心配する表情とセダの今の表情は同じだった。


「……はい。私もそうなれるように頑張りたいです。……でも私、まだまだ子供扱いされてしまって」

「大丈夫、いずれあなたの春も終わる時がきます」

「春を、終える?」


 どういう意味だろうか。分からず聞き返した。


「この辺りでは人生を春夏秋冬に例えることがあるのですよ。栄養を蓄え備える子供の春、蓄えた力を存分に奮って働く成人の夏、働いた結果が実る中年の秋、収穫を終え穏やかに終わりを迎える老年の冬」


 ファーリアイもそれに頷いた。ツェレンの春、つまり子供時代が終わる時が来るという意味だ。

 しかし、それはいつのことだろう。ツェレンは憂いた表情でため息をついた。


「それで言うと、私はまだまだ子供ってことなのね」


 そのつもりはなかったのに、子供がいじけたような言い方になってしまった。そんなツェレンをセダはくすくすと笑った。


「あっという間ですよ。春も夏も。今を大切にお過ごしください。次の季節に備えて」


 嫋やかな笑みを浮かべてセダが言う。優しい人だとツェレンは思った。自分の母は厳しく心配性なところもあったが、どこか雰囲気が似ている気がした。こうして話しているとホッとした。


 心を和ませていると、ふいに後ろを引っ張られた。振り返ると、ファーリアイの妹達がツェレンの帽子についた飾り紐を引っ張ってじっと見ている。さまざまな色の糸で編み込まれた美しい紐を見入るようだ。


「こら、お前たち!」


 ファーリアイが破裂したような勇ましい声で妹達を諌める。ツェレンはファーリアイを止めた。


「いいの、気にしないで。はい、どうぞ」


 ツェレンは自分の帽子を脱いで妹達に見せた。小さな歓声をあげて、彼女達は受け取った。


「とても綺麗なお帽子! 草原の人はみんなこんなに素敵なお着物を着ているの?」

「そうよ。こうして裾や襟に刺繍をするの。男の人はあまりしないけど、裏地なんかにしたりするわね」


 どうやら彼女達はツェレンの着ている服に興味を持っているようだった。

 ツェレンの一族では服を自分達で仕立てる。女性の服はさまざまな刺繍を施す習慣がある。そのため、ツェレンの着ているドレスもさまざまな形の刺繍を一面に施されており、目を惹きつけるものだった。一方、クルムズの一族は刺繍をする習慣はほとんどないらしく、質素な服装の者が多い。

 例え種族が違っても女の子なのだなと、ツェレンは微笑ましい気持ちになった。


「一つ一つの模様に意味があるの。これは健康や安全祈願の模様ね」


 ツェレンは自分の帯紐に施された花の刺繍を指差して言った。


「面白いですね。我々はどうも不器用で、刺繍をすることはほとんどありませんので」

「服を仕立てるのは?」

「もちろんありますが……そうやってお守りとして刺繍をする文化はあまりありませんね」

「石を繋げて装飾品を作ることはありますね」

「へぇ……」


 ツェレンはもう一度妹達を見る、彼女達は順番にツェレンの帽子を被ってみている。種族によって得意不得意があるのだな思っていると、あることを思いついた。


「……そうだ、あの私、シドゥルグ様に何か作って差し上げようと思うのですが」


 控えめに聞いてみると、セダは両手を合わせて笑みを返す。


「それはいい案ですね。きっと喜びます。ねぇ、ファーリアイ」

「ええ。だって、こんなに素敵な刺繍ですから。お喜びになると思いますよ」

「うん……」


 二人はそう言ってくれるが、どうもあのシドゥルグが喜ぶところが想像できない。それに刺繍されたものを身につけるのは女性が多い。本当にシドゥルグが喜んでくれるかどうかは半信半疑だった。


「あの、それで練習台と言ったら失礼かもしれないんですけど、この子達に何か作っても構わないですか?」

「え! ツェレン様、作ってくれるの!」


 それまで遊んでいた彼女たちはパッとツェレンの元に集まった。遊んでいてもこちらの話を聞いていたのだろう。思わぬ贈り物に彼女達は大はしゃぎだ。


「それはかまいませんが……大変ではありませんか?」

「大丈夫。服や大きな物は大変だけど、小さな物ならすぐ作れるから」

「ツェレン様のご負担でなければ、喜んで。お前たち、お礼を言いなさい」


 母に言われ、彼女達はぱっと姿勢を正し、声をそろえて「ありがとうございます!」と返事をしてくれた。その様子が可愛らしくてツェレンは笑った。


「良かった。じゃあ、早速どんな刺繍にするか一緒に考えましょう」

「私たちも一緒に?」

「いいの?」

「うん、どんなものがいいか私に教えて」


 じゃあ、私は……と二人は競うようにあれこれツェレンに言う。ツェレンは順番にね、と諌めようとしている。その賑やかしさをファーリアイとセダの親娘は微笑ましく見ていた。


「……あ、しまった」


 ふと、ツェレンが声を漏らす。


「どうかしましたか?」


「刺繍糸や材料は多少持ってきてるのだけど、足りるかどうか……」

「それなら買ってきてもらいましょう」

「買ってきてもらう?」

「何日かに一度、麓へ降りてまとめて買い物に行ってきてもらうのですよ。その時に一緒に頼んでみましょう」

「それはありがたいけど……誰が買ってきてくれるの?」


 ツェレンの問いにファーリアイはおかしそうに笑った。


***


「──刺繍糸?」


 シドゥルグは聞き返した。いつも頼まれるものではない品を買ってきてほしいと言われ、聞き間違えかと思ったがそんなこともないらしく、ファーリアイは頷いた。


「ええ、できるだけ多く、いろんな色のものを」

「そんなものどうするんだ?」

「奥方様が必要とされているので」


 簡潔に言われ、シドゥルグはその奥方様という少女の姿を頭に思い浮かべる。


「……あいつ、今度は何を企んでる?」

「何も企んでおりませんよ。そうやって疑うのはおやめくださいませ」


 ファーリアイは怪訝そうに答える。普段は恭しい態度で彼と接する彼女だが、時々こういう表情を遠慮なく向ける。その時だけ、二人がまだ族長と従者の関係になる以前に戻る。


「……なんか変なこと始めたら、お前が止めろよ」

「もちろんです」


 にこりと笑うファーリアイを今度はシドゥルグが怪訝そうに見た。

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