11-2
ヴォルカンは煙管を咥えながら無言で二人の押し問答を眺めていた。どちらかに加担するわけでも、止めるわけでもなくただ見ているだけ。
甘いひと時を過ごしたというのに、ツェレンとシドゥルグはもう喧嘩していた。そんな二人の間に居た堪れない様子で耳や尻尾を縮こませているのはファーリアイだ。
「絶対にダメ、許さない!」
「お前が許す許さないと決める問題じゃない。こいつは自分の仕事を全うできなかった。けじめはつけてもらう」
「だからって、罰なんて許さないわ! あなたが何と言おうと、私が許しません!」
頑固になって言うツェレンにシドゥルグがため息をつく。これで何度目だろうか。
「言っておくが、お前も言いつけを破ったのだからな。俺に指図できる立場だと思っているのか?」
「なら、私がファーリアイの分の罰も受けるわ! それでいいでしょう?」
「お、おやめください。私を庇う必要なんてないのですよ、ツェレン様」
戦場での威勢の良さはどこへやら、控えめに言うファーリアイにツェレンは首を振った。
「元はと言えば私が勝手に動いただけのことだから、これでいいの」
「お前が何と言おうと、俺の考えは変わらん!」
きっぱりと言い放つシドゥルグにぐっとツェレンは睨み上げた。そして、すっと深呼吸をしてもう一度見上げた。
「……分かりました。なら、私はクルムズへ帰りません」
「は? てめぇどういうつもりだ!?」
「ツェレン様!?」
「そのままの意味です。このままマヴィに残ります。どうぞ、一人でお帰りください」
「お前、自分が何を言ってるのか分かってんのか?」
ツェレンの言葉はマヴィとクルムズの同盟決裂を意味する。その原因が自分にあることにファーリアイは顔を青ざめさせていた。
「分かっていますとも。でも、こうでもしないとあなたはファーリアイを罰するというのでしょう? ファーリアイは私の従者でもありますが、なによりも大切な友人です。妻の友人を大切にしない夫なんて、私知らない」
ふん、とそっぽを向いて拗ねたような態度を見せるツェレン。彼女を睨みつけても目も合うこともない。シドゥルグは自分の義父をちらと見た。彼は知らぬ顔でもくもくと煙を吹かせるだけだ。……痴話喧嘩なら当人同士で解決しろ、と顔に書いてある。
深いため息のあとに言葉を続けた。
「……今回限りだ。ファーリアイの罰は不問とする。よく、このお転婆を守ってくれた。色々心労かけてすまなかったな」
「は、はい! ご厚情痛み入ります」
シドゥルグはツェレンを見る。これでいいんだろ、と言いたげに。ツェレンはにっこりと笑い返した。
「やっぱり、私の自慢の旦那様は話がわかるお人だわ」
「調子に乗るなよ。帰ったら覚悟しておけ」
逃げるようにシドゥルグは天幕を出て行った。友人の罰を庇うことができたツェレンは満足げに息を吐いた。そんな様子のツェレンにファーリアイは責めるように彼女を嗜める。
「ツェレン様、どうか寿命が縮みそうなことをおっしゃらないでくださいませ。本当にヒヤヒヤしましたよ。もし、あなたが本当にここに残ることになったらって……」
「まぁまぁ、結果よかったじゃない。ね、お父様」
「何も言わんよ」
ヴォルカンは強かな娘にただそう一言返しただけだった。
***
ファーリアイとツェレンが天幕を出ると、その賑やかな方へ目が入った。
そこでは、ツェレンの弟妹がシドゥルグを囲っている。彼は地面に座って彼らの好きなようにさせている。二人はきゃっきゃとはしゃいでシドゥルグの尻尾や耳なんかに触れている。「ふわふわ!」とそのしっぽに抱きついたり、質問攻めにしている。
「こら! へリン、アジュ! シドゥルグ様は怪我をしているのよ!」
ツェレンが慌てて駆け寄って、シドゥルグの膝の上に座っていた弟を抱き上げた。
「でも〜……もふもふ」
「でもじゃないの、アジュ。あなたもよ、へリン。人の体に無遠慮に触るだなんて失礼よ」
ツェレンの妹、へリンは悪いと思っていないのか素知らぬ顔だ。
「あら、シドゥルグ様は触って構わないっておっしゃってくれたのよ。どうせ姉様は帰ったらこのもふもふを独り占めできるでしょう? いいじゃない、今くらい私たちに譲っても! ……あ、もしかしてぇヤキモチ?」
へリンは揶揄うようににやりと笑った。するとツェレンは図星だったのか頬を赤くさせた。
「ち、違うわよ! こら、待ちなさい!」
へリンがはしゃぐような笑い声を上げ逃げていく。ツェレンがそれを追いかければすぐさま追いかけっこが始まった。幼いアジュも楽しそうにそれに混ざる。
取り残されたシドゥルグははぁと息を吐いてそれを見守った。
「相変わらずガキだな、あいつは」
独り言のつもりで呟いたが、近くにいたファーリアイがそれに反応するように返答する。
「そうでしょうか? 私には、もう立派な女性に見えます」
ファーリアイにそう言われ、シドゥルグはもう一度弟妹と遊ぶツェレンを見た。相変わらず背は低いし一見変わった様子はない。
しかし、初めて会った時感じたあどけなさはどこかへ消えてしまったように思えた。
「そうかもな」
「私たちも、ああしてクルムズの山を駆け回って遊んでいましたね。……覚えていますか?」
「……忘れたな」
そう呟くシドゥルグの目は優しく、何かを懐かしむように遠くを見つめていた。
ファーリアイはその目がどこか母を思い出させた。母も時折家事の手を止めてこうして遠くを見つめていることがある。
きっと、二人の見つめている先は同じところなのだろう。
***
ツェレンたち、クルムズの戦士たちはそれから数日マヴィに滞在し、山へ帰った。
戦士たちと共にツェレンはエルマの手綱を引いて歩いていく。エルマの怪我を慰るためできるだけ乗らないようにするつもりだった。しかし、エルマは久しぶりの故郷だからか、生き生きとツェレンについてくる。
ツェレンは後ろを振り返った。マヴィの草原はもう過ぎようとしている。故郷である集落はもう豆粒ほどにしか見えない。
故郷を去るのはやはり寂しいものがある。私はあと何度ここへ来られるだろうか。もしかしたら、指で数えるほどかもしれない。そう思いを馳せているときゅうと胸が苦しくなった。
「ツェレン、どうした?」
立ち止まったツェレンを訝しんだらしいシドゥルグが声をかけた。彼を見上げて、緩く笑い返す。
「いえ……春を惜しんでいました」
「そうか、もう春も終わるな。おかげで毛が抜ける」
シドゥルグの言葉におかしくなってツェレンは笑った。朝と比べて気温が上昇し、俄かに暑くなってきた。草原の緑もツェレンが嫁ぐ頃よりも一層濃くなっている。
「今年も暑くなりそうです」
「クルムズはまだ涼しくて過ごしやすいからこの辺りよりマシだ。ただ、冬は雪が降って地獄だがな」
「雪ですか? こちらではほとんど振ることがないから、楽しみです」
「お気楽なもんだな。まぁ、楽しみにしていろよ、いずれ嫌というほど見られる」
「ええ、今から楽しみです。クルムズの夏も秋も……まだ経験していませんから」
ツェレンはもう一度集落のある方を見る。別れをもう一度惜しんで、先に歩き出すシドゥルグの隣を歩く。
きっと、自分の春は今終えたのだろう。故郷の緑を見てそう思った。
生ぬるい初夏の風がツェレンの頬を撫でた。
春の弔い 涼山李々 @riri_suzuyama
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