第11話 ビオラはお嬢様

狩野が所属している野球部は無事地方大会を突破したらしい。


「これから練習で忙しいから、斉木と一緒に帰れない。寂しいかもしれないけどごめんよ」


「誰が寂しいって? 俺はダッシュで帰るから全然平気だけど」


「ビオラちゃんによろしく。朝練もあるし、あの笑顔に癒される時間がなくなるなんて悲しいよ」


「お前が寂しがってるんじゃん」


「だ・か・ら、ビオラちゃんの写メ送ってくれ。お守りにするから」


「魔よけの札の間違いじゃないのか」


「斉木さま、よろしくお願いいたします」


どうして俺が狩野の推し活を応援しなきゃならないんだ。

まあ、それで狩野が練習に没頭できるのなら、願いを聞かないこともないが。


終礼のチャイムが鳴ると、俺は速攻で自転車置き場まで走って自転車を押して校門を出る。

そこから自宅まで信号待ち以外は、全力で自転車をこぎまくって帰るのだ。しかも長い上り坂つきの特訓コース。

境内の一の鳥居について自転車を降りると、今日もヒグラシが鳴いていた。

カナカナカナカナ・・・・・

俺が鳥居をくぐると、突然、ヒグラシはピタッと鳴き止んだ。

珍しいこともあるものだと思いながら石段を登っていると、突然木々が揺れた。

また地震だ。最近、多いな。

ふと足元を見ると石段の上の方から水がちょろちょろと流れてくる。

いや、水と一緒に泡が流れている。

なんじゃこりゃ

石段の上の方を見ようと顔を上げると、今度は家から煙が出ているのを発見した。

家事だ!

俺は石段を二段飛びで駆けあがって、猛スピードで家の玄関までたどり着いた。


「爺ちゃん! 爺ちゃん! 大丈夫?」


煙は台所から玄関まで達していて、すでに視野を遮られた。


「ゴホッゴホッ・・・紫音か、おかえり」


「爺ちゃん、何やってんの! 早く逃げなきゃ!」


「大丈夫だ。ただのボヤだから。火はもう消えている」


「何があったの!?」


煙の中からビオラが、顔をすすだらけにして現れた。


「申し訳ございません。わたくしのせいなんです。わたくしがお鍋を焦がしました」


蒼という人は、消火活動でもしていたのか前髪が焦げた姿で現れた。


「親父、この家に煙感知器つけておいた方がいいぞ」


「そうだな。考えておく」


ビオラが鍋を焦がしたのが原因らしい。

鍋が発火し、すぐに消火できたからよかったものの、火事になったら大変なところだった。

では、あの泡の流れは一体何だったのだ。


「泡が石段まで流れていたけど、消火器とか使ったの?」


ビオラがうつむきながら説明し始めた。


「洗濯機に洗剤を入れる量を間違えました。わたくしが」


「間違えたって、どれくらい入れたの?」


「洗剤を全部・・・・」


「全部?」


「とてもいい香りがしましたもの。あまりすてきな香りでうっとりしてたら全部注ぎ入れました。

そしたら、洗濯機から泡がみるみる吹きだしてきまして・・・」


「家の床が泡風呂状態だった」


ビオラが言いにくそうな部分を蒼という人は、ズバッと言い切った。


「泡をみんなで掃除していたら、今度は何やら焦げ臭い。鍋を火にかけている事を忘れていてこの騒ぎだ」


「本当に申し訳ございません!」


蒼という人がビオラを断罪でもするように冷たく言い放つので、俺はビオラがちょっと気の毒になった。


「お嬢様だからしょうがないんじゃないの。家事なんか今までしたこともないんだろ」


本当はもっとかばってやりたがったが、こんな言い方しか俺はできない。

言われたビオラは耐えきれなくなったのか、玄関からそのまま外へ飛び出していってしまった。

モブ爺ちゃんが俺にむかって「追いかけなさい」と言ったが、俺は悪びれてすぐには追いかけなかった。


「紫音、今の言い方は悪い。ビオラはここを出たら行くところはないんだぞ」


確かに俺も悪いが、蒼という人だって随分と冷たい言い方をしていたじゃないか。

それなのに、俺? 俺が悪いの?


「出て行きたいのは俺も同じだよ」


そう言い放った瞬間、モブ爺ちゃんと蒼という人はハッとした顔をしたのがわかった。

けれども、俺も後には引けない。

結果的にビオラを追いかけた形にはなったが、俺は家を飛び出した。


さて、どうしたものか。

カナカナカナカナ・・・・・

ヒグラシの鳴く境内をウロウロしていたら、まるでビオラを追いかけているみたいじゃないか。

俺は今、自分の意思で家を出たんだ。だったら、行先は町だろう。

迷っていた足を一の鳥居の方に向けて石段を下りようとしたら、ヒグラシの声に交じって女の子が泣いている声が聞こえてきた。

泣き声のする方を振り向くと、磐座(いわくら)の後ろでしゃがんでいるビオラが見えた。

しょうがない、なぐさめるか。こういうシーンはあまり得意ではないが。


「こんなところで何してんだ」


「・・・・わたくしの勝手でしょ。ほっといてくださる?」


「うん、ほっといてもいいんだけど、それをしたらクロードに殴られるかもしれないし、ルイに噛みつかれるかもしれないから嫌だ」


「あーあ、クロードとルイは、お仕事をうまくやれているのかしら。

彼たちなら、この世界でうまくやっていけるでしょうね。

それに比べて、わたくしはこの通り何もできないの。もと居た世界に帰りたい・・・」


「それで、磐座にいたのか」


「ええ、いけません?」


「この世界でうまくやれるとか、あっちならうまくいくとかは関係ないと思うけど。場所のせいにしてるだけじゃん、それ」


「そんなつもりは・・・」


「俺はうまくやれる人間が偉いとも思わないし、うまくいくっていう判断が何なのかも疑問だね。

そんなあやふやなものにこだわるのって、浅はかだなと思うよ」


「だって・・・」


「俺は君が帰ろうが逃げようが、全然かまわない。単純に環境のせいにしていることを非難している。

まだ何も成し遂げてないのに、なんで人と比べて私は何もできないのって断言できるのか、俺は理解できないね」


「ひどいですわ! そこまで言われる?」


「まあ、気持ちはわからないわけではないよ。だって、俺もそうだから」


「え・・・・」


「俺も蒼という人が来てから、何か腹立つ。面白くない。でもさ、何かわからないけど壁の越え方さえわかれば何とかなるような気がしてるんだ。

今は、それを見つけるまでのゲームみたいなもの。そのうちスコアボード上がる。クオリティも上がる」


俺は偉そうに言いながらビオラの顔を見た。

流れる涙をすすだらけの手でこすったのか、目の周りがパンダみたいに真っ黒になっている。


「ハハハハハ、何だよその顔、パンダかよ」


「顔を見て笑うなんてひどいですわ!」


俺はビオラが顔を拭けるようにハンカチを渡した。


「しかも、よく見たら割烹着を着てたんだな。もっと可愛いエプロンとかあっただろ」


「え? 可愛いエプロンがありますの? あの家に」


「あるはずだよ。婆ちゃんがまだ使っていないやつが。誰だよ、ビオラに割烹着を着せたのは」


「蒼さんです」


「あの人、この家のタンスのどこに何が入っているか知らないしな」


「そんな感じでしたわ」


蒼という人が、オロオロしながらタンスの中を漁っている姿を想像したらおかしくて、俺とビオラはクスクス笑った。

そのとき、また地面が揺れた。


「きゃっ! 地震」


ビオラ俺は怖がって俺にしがみついた。


「大丈夫。すぐおさまる」


多分、揺れたのは十秒ほどだったと思うが、俺的には十分くらいに長く感じた。

ビオラの背中に手をまわしてそっと抱きしめている間、もしかしたら胸のドキドキが聞こえていたかもしれない。

地震はすぐにおさまり、ヒグラシが鳴き始めた。

カナカナカナカナ・・・・・

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