第28話 蒼さんの式神

 夜になっても涼しくはならず熱帯夜になっていた。

あまりに暑くて眠れないから、俺は下のキッチンに降りてきて、冷蔵庫から何か飲み物を出そうとする。

 ふと見ると、縁側で蒼さんがひとり座って月を眺めているのが目に留まった。

蒼さんも眠れないのかな。

甚平姿で縁側に腰かけているその背中は広い。

この肩幅なら魔王の衣装を着ていてもカッコよかったかもしれないな。

蒼さんが俺に気が付いた。


「あ、紫音も眠れないのか」


「う、うん・・・・何か飲む?」


「お前が大人だったらここでビールと言いたいところだが、

残念ながら未成年だしな、水でいいよ」


「わかった」


俺は二つグラスを用意して、蒼さん用にミネラルウォーターを、自分用に牛乳を注いで縁側まで持ってきた。


「お前、牛乳? 本当によく牛乳飲んでいるよな」


「育ち盛りなもんで」


蒼さんは、ふっと笑ってまた月を眺める。

夏の夜空には蠍座が天高く昇っていた。


「月を見るのが好きなの?」


「ハンナ・・・お前の母さんとよく月を眺めていたんだ。

世の中が変わっても月は変わらない。あの当時と同じ月だ」


蒼さんは母さんのことを思い出していたのか。

優しい時間が流れている中、鈴虫やコオロギの声しか聞こえない。

今ならモブ爺ちゃんに言われたことを聞いてみようかという気になった。


「俺が赤ん坊のころ、

夜泣きがひどかったって爺ちゃんが言ってたけど、本当?」


「ハハハハハ、夜泣きのしない赤ん坊なんているものか。

皆、夜泣きするものだ」


「だって、窓ガラスが割れたとか言ってたし」


「ああ、紫音はよく泣いたな。窓ガラスを割ったこともあったかな。

泣いて、泣いて、この境内の外の裏山まで響いて、

キツネもタヌキも逃げ出したほどだ。

それ以来、人里に獣が下りてくることはなくなった」


「本当?」


「嘘だ」


なんだよ、からかわれた。

蒼さんは笑いながら胡坐をかく。


「こっちにおいで」


月明りのせいか、暗がりの蒼さんはとても優しい。

素直に蒼さんの隣に座りたい気持ちがないわけではない。


「ガキじゃないんだから。

でも、そんなに言うならちょっとだけそこに行く。ちょっとだけだからな」


蒼さんの優しい笑顔に吸い寄せられるように、俺はすぐ隣に座ってやった。


「紫音、大きくなったな。母さんにそっくりだよ」


「蒼さん・・・術を使えるの?」


「たいした術ではないが、

・・・・そういえば、お前が赤ん坊の頃に大好きな術があったな。

よくそれであやしたものだ」


「見たい。どんなの?」


俺がせがむと、蒼さんは短い呪文を唱えた。

いつ現れたのか、蒼さんの右手に白い式神が呼び出され、ふわふわと翼をはためかせている。

紙でできた蝶だ。

蒼さんはそれをふわりと手放す。蝶は羽ばたきながら縁側から庭へ飛び回った。


「うわぁ! 蒼さんは式神を使えるんだ」


「こんなものは、術とは言わない。誰でもできるまやかしってやつだ」


蝶はひらひらと庭を一通り舞ったかと思うと、霧のように消えて無くなった。

どこへ消えたのだろうか。

あたりには虫の声、満天の星空、そして黒い雲が流れてきて満月を隠した。

そんな夢のような空間で俺はだんだんウトウトしていた。



「紫音、起きなさい」


蒼さんの声のような、女性の声のような、ふわふわした声が頭の中で聞こえる。


「未熟なものが術を使うと、自分に返ってくることがあるから気をつけなさい。」


「未熟なものって俺か? 俺が天気を操るのはよくないってこと?」


「雨や風などの自然エネルギーは必要なところに必要なだけ流れています。

それを無理やり変えると、エネルギーは流れるべき場所を失って滞ってしまいます。

やがて大きなツケが返ってきますよ。注意しなさい」


「蒼さんの声じゃないね。あなたは誰?」


「ハンナです」


「母さん? 母さんなの? 嫌だ、消えないで、ずっとここに居て」


「ずっとここに居るわ・・・・大丈夫、紫音」


母さんがさっきの式神の蝶のように消えてしまうような気がして、腕を伸ばして捕えようとする。



「大丈夫か、紫音。夢でも見ていたのか」


気が付くと俺は蒼さんに抱きかかえられて目を覚ました。


「母さんが、母さんが・・・・」


「母さん? ハンナの夢をみていたのか」


「うん、でも消えちゃったよ。式神の蝶みたいに」


蒼さんの腕にしがみついて俺は泣きそうなのを我慢した。

これ以上しゃべったら泣き声に変わりそうだし、そしたら窓ガラス割りそうだし。


「落ち着いたら、話してくれればいい。

今はもうしゃべるな。大丈夫、こうしていなさい」


蒼さんの腕の中は温かかった。


「蒼さんに負けないような神主になる」


「うん」


「穢れをたくさん祓って、人々をたくさん救いたい」


「楽しみだ」


俺はすでに涙声になってガキのようにわめいていたけど、蒼さんはただ穏やかに返してくれた。

初めて会ったときはとても変な奴だと思っていた。

だが、今は蒼さんの温かさに心が満たされていくのがわかる。

ずっと蒼さんと暮らしていけることが嬉しい。



翌朝、いつものように5時半に目覚ましが鳴る。

ゆうべ遅くまで起きていたせいで、いつもより眠くて重い瞼をこすりながら顔を洗いに下に降りると、テレビの音が聞こえてくる。

大型で強い台風が発生したと、声だけ聴いても気象予報士の真剣な表情が伝わってくる。


「これは、俺がやらかしたツケってやつか。

どうしよう、二日後には夏の例大祭なのに俺のせいで中止になるかも」


思わずつぶやいたおれの言葉に、とっくに起きていた蒼さんが反応した。


「ハンナはこれを警戒しろと言っていたんだな」


「うん、俺のせいだ」


「それは言うな」


蒼さんはテレビを見ていたモブ爺ちゃんのところまで行って相談しはじめた。


「親父、いろいろ準備しておいた方がいいな。

飛ばされそうなものは倉庫へ、それから、スーパーに買い出しに行っておくか」


「そうだな、天気が荒れる前に車を出して、ビオラちゃんと買い出しに行ってくれ」


モブ爺ちゃんが指示を出す。


「ルイは出勤か。老人たちを守る役目だからな。

行かないわけにいかないか、頼むぞ。

クロードは陣太鼓が濡れないように高いところへ運んでくれ。

それが終わったらいろいろ力仕事をしてもらう」


俺も何かしなくちゃいけない。


「紫音は、・・・紫音は、わたしと一緒に社を守れ」


「爺ちゃん、俺もっと何かできないかな」


「お前は、絶対に術を使うな。ここに居て社を守れ」


ちょっと物足りない気がしたが、社を守るのも立派な仕事だ。それに、全員外に出てしまったら連絡係がいなくなる。

モブ爺ちゃんの言う通りにこの社を守ろう。

蒼さんは車のカギを手にして、出かける前に仕事を頼んでくれた。


「紫音、ホームページだ。

ホームページで今日の参拝はお控えくださいと注意喚起してくれ」


「わかった。更新しとく」


俺は社務所のパソコンルームに向かった。

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