第8話 蒼という人

俺はトイレに行くふりをして、こっそり社務所を出て自宅にもどった。

異世界召喚の儀だけでも、精魂尽きているのに、歓迎会なんて勘弁してほしいものだ。

だいたいあの蒼という人が気に入らない。

今日いきなり現れたくせに、俺のポジションをすっかり奪いやがって。

モブ爺ちゃんが言っていた協力な助っ人とは、異世界で魔王をやっていた父親だったなんて、ラノベのネタにもならない。

俺は、さっさと私服に着替えて、冷蔵庫から牛乳を出して一気飲みした。

少し落ち着くと今日の疲れがどっと出て、俺はソファーに倒れこんだ。


「斉木、大丈夫か? お前はああいう食事会とか苦手だろ。コミュ障だもんな」


「人んちに勝手にあがってくるな。狩野」


「お前、口のまわりに白い髭が生えてるぞ。また牛乳一気飲みしたな。

無理するなよ。ビオラちゃんたちはこっちでなんとかするから」


「おい、何とかってなんだ。不純な動機で言ってるんじゃないだろうな」


「不純な動機ってどんなことだよ。姉ちゃんと俺が、ビオラちゃんたちの部屋の準備をしたりいろいろするってーの」


「ああ、そうか、悪かった。お願いする」


「なあ、蒼さんって、お前の父ちゃんか?」


「だから何だよ」


「蒼さんはこの家に部屋があるから準備しなくていいのか確認しただけだよ」


「そうかもな。俺は記憶にないけど、そうなんじゃない?」


「怒ってる? 今日の斉木ちょっと変だぞ」


「ごめん。俺ちょっと部屋で休みたい」


「そうしろ」


俺は狩野の言葉に甘えてリビングから2階に行こうとドアノブに手をかけた。


「おっと、その前に一つだけいいかな? 」


「古文書の秘密なんだけど、お前ひとりで抱えきれない秘密なら、俺を巻き込んでもいいぞ」


「ばーか、言うわけないだろ。門外不出だ」


古文書の秘密を明かすことはできないが、狩野には蒼という人は魔王だったくらいは打ち明けていいかなと思った。

いつか狩野には話そう。



ピピピ、ピピピ、ピピピ・・・・・

目覚まし時計のアラームを手探りで止める。

まだ眠い目で時計を見ると、時刻は午前5時。

ぼんやりと布団の中で、覚えている記憶を辿っていた。

勇者だとかバンパイヤ、鬼、魔王とか・・・・


「なんだか変な夢を見ちゃったなあ」


昨日は晩飯も食わず、パジャマにも着替えずにずっと眠ってしまったらしい。

階段を下りて洗面台で顔を洗う。歯を磨いているうちにだんだん昨日のことが思い出されてきた。


「あれは夢じゃないってこと?」


神主見習いの朝は早い。

急いで作務衣(さむえ)に着替え、社殿や境内の清掃から始める。

神様がいらっしゃる環境を常に清潔に保つために、365日清掃を欠かすことはない。

急いで箒を取りに行くと、境内ですでに掃除をしている人がいた。

長い髪を後ろで一本に縛り境内に落ちた葉っぱを掃除していたのは、蒼という人だった。

昨日の黒い洋装とは違い、きちんと神職の白衣に浅黄色の袴姿で、黙々と葉っぱを掃いている。

夢じゃなかった。


蒼という人は俺に気が付いて


「この辺は掃除したから、西側の参道を頼む」


「は、はい」


別にこの人に命令されて素直に返事したわけではない、反発するのもおかしいだろうと思ったのだ。

やがて、社務所から例の勇者たちが出てくる。


「おはようございます。蒼さん」


蒼という人のことを、魔王とはもう呼ばずに「蒼さん」呼んでいる。

しかも、真っ先にあの男に挨拶をしに行くのか、あいつらは。

勇者たちの中でも狩野がかわいいと言っていたビオラは、最初に蒼と言う人に話しかけていた。


「昨日はわざわざお部屋まで準備していただいて、ありがとうございます。」


「おかげさんで俺たちはぐっすりと眠れました」


「クロードなんかいびきかいてましたから、よっぽど落ち着いたんでしょう」


俺が爆睡している間にこいつらは和解したらしい。


「あれは、研修生が来た時用の部屋だからいいんだ」


静かに答える蒼という人のどこに魔王の影があるのだろう。ふつうのおじさんじゃないか。

ビオラが俺に気が付いて走ってきた。


「おはようございます、紫音さん」


ビオラの後ろにはもちろん、クロードとルイももれなくついてくる。


「昨日、お爺様がおっしゃっていましたの。今日は滝で禊祓い(みそぎはらい)というものをするんですって」


「え? そうなの? 俺、聞いていない」


ズーーン、 俺は今奈落の底に落とされた音を脳内で聞いた。

禊の厳しさを俺は知っている。

しかも、お爺ちゃんは俺の師匠だから、逃げることは許されないのだ。

詰んだ。


自宅に戻って、今度は急いで配膳をする。

研修生が来たときはいつも俺がやっている仕事だ。

朝食の配膳が終わると、全員席についた。

勇者たちには箸の横に、念の為スプーンとフォークが用意しておいた。


「この棒2本を使って食べるのですか?」


「ルイ、この国の風習に早く慣れましょう」


「なかなかいい国じゃないっすか。昨日の歓迎会で出た塩むすびとみそ汁がうまかったすね。俺はこの国のごはんが気に入った」


爺ちゃんはビオラたちの言葉を聞いて、笑顔で箸について教えはじめた。


「ここに置いてある箸の向こう側がいただく命、こちら側が人間界。この箸が食べ物と人間の結界になっておる。

箸を持ったら結界を解いて命をいただくのだよ」


勇者たちは「なるほど」と感心していた。

蒼という人だけは静かに目を閉じている。


「では、いただきます」


「いただきます」


皆、黙々と食事を摂っている途中で爺ちゃんが口を開いた。


「朝ご飯が済んだら禊に行く。禊は体が冷える。低体温症にならないようにしっかりと食べなさい」


もぐもぐもぐもぐ・・・・


ルイは禊を不安に思ったのか、クロードに小声で聞きだした。


「クロード、お前は禊って知ってるか? 体が冷えるとはどういうことだ?」


「俺が幼い頃親から聞いた話では、確か滝とか川とかで冷たい水を頭からかぶって身を清めることだったかと」


「それには、わたしも行くのか?」


「でしょうね。俺らは人間じゃないんだから、なおさら清める必要があると思うよ。ルイ、そう心配するな。たかが水浴び」


「万が一を考えて、わたくしがルイのために棺桶をお持ちしましょうか。いつ気を失っても大丈夫なように」


ビオラが助け舟を出した。


「はぁ~、良い仲間を持ってわたしは本当に幸せだ」


勇者たちが禊についておしゃべりしている間も、蒼という人は黙々とご飯を食べている。

ぴんと背筋を伸ばし箸の持ち方も完璧だ。

ザ・日本人。

この人が異世界で魔王だったなら、あっちでは何を食べていたのかな。


「生ハムとゴルゴンゾーラ、そしてワインを少々」


俺のほうを見て蒼という人は答えた。

へ? 俺の心が読まれている?


「そんなに見つめられると、お前の心の声が届く。うるさい。自分の食事に集中してくれ」


「す、すみません」


なんで俺は謝ってるんだ。

勝手にそっちが俺の心を読んだくせに。

心を読む術でも使っているのか、それとも持って生まれた力なのか、俺には見当もつかない。

蒼という人は、モブ爺ちゃんと同じく神通力がある人かもしれない。

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