第31話 台風の目の中へ
境内に出ると、雨嵐は滝のような雨を降らし楡の木の枝葉は、神主が振る「おおぬさ」のように揺れている。
雲のどこかで雷神が太鼓を叩いているのか、ゴロゴロと恐ろしい音が鳴っている。
「紫音、あなた一人でどこに行くの?」
「俺が台風の流れを変えてみる」
「あなた神様にでもなったつもり? 自然の摂理に人間が手を加えるのは危険だわ。紫音一人で何が出来るというのよ」
「危険は承知のうえで行くから、俺一人のほうがいい」
「なんで頼ってくれないの。なんでも一人で解決しようとして」
「俺は・・・俺が守りたいのは・・・いや、何でもない」
俺は雨の中を楡の木に向かって走った。
「待ちなさいよ!」
ビオラが制止する声が聞こえたが、構わずに右手を天に向けて高く上げる。
瞬間、稲妻が俺の体を貫く。
体中を電気が走り、細胞のひとつひとつがショックを受けて沸騰するような熱さだ。
痛みと熱さで思わず閉じた目をそっと開けると、足元に小さいビオラがいて俺を心配そうに見上げている。
「なんか、ビオラ小さくなったなぁ・・・」
「バカ! あんたが大きくなったのよ」
「へ? 俺が巨人に」
「違う! あんたは龍になったのよ」
ビオラに言われて自分の手を見てみると、手には鋭い爪、そして腕から体にかけては鱗におおわれている。
別に驚きはしない。
なぜなら、母さんが龍族で、異世界ではドラゴンの姿をしていたと聞いたときから、俺も変身するかもしれないと予測はしていた。
これなら空を飛べる。
この姿で台風まで飛んで行き、言霊の力で台風を消せるかもしれない。
そう思考を描いただけで体は宙を舞い、天高く昇って行った。
はるか下の方でもう聞こえるはずのないビオラの声が、俺の元に届く。
「絶対、生きて帰ってきなさいよ」
幾重にも重なる雨雲の層を抜けると、雲の上には星空が広がっていた。
しかし、台風の影響で風が強く、意図しない方向へ体が持っていかれそうになりながら、太平洋目指して飛び続けた。
テレビで見たことのある気象衛星写真のような台風が見えてきた。
しかし、かなりの強風で近づくこともままならない。
なんとかして近づく方法はないか・・・・
反時計回りに渦巻いているその流れに身を任せれば、やがて台風の目に入れるのではないか。
その方法で中に入ると決めた。
うまく渦の流れに乗れたようだ。
「消えてくれ!」
言霊を発したが、ゴーーーーーという強風にかき消されて、台風は消えるどころか弱まりもしない。
逆に龍になりたて新米の俺は、渦の中でもみくちゃにされた。
ここは洗濯機の中かよ。
台風の中心に近づくと風だけの渦になり、視界が開けてきた。
母さんが言っていた通り、地球にとって今必要だから発生しているものに向かって、何か操作しようというのは愚かな行為のように思えてきた。
そうだ、消すのじゃなくて進路を変えてくれればいいんだ。
「進路方向を東に90度変えろ!!」
風の音が変化した。
今のうちに台風の目から脱出しないと、このまま落下したら広い太平洋の真ん中に落ちることになる。
全身の力をこめて俺は上に上昇した。
以前、龍の背中に乗って大気圏ぎりぎりまで行ったことを思い出し、その感覚を再現してみる。
抜けたぞ。
あとは気流に乗って南から日本列島を目指せば帰れるかもしれない。
ビオラは俺のことをまだ心配して待っているだろうか。
だけど、力を使いすぎて俺の飛行は思うように進めない。
はじめて龍を見た時、白滝神社の楡の木で休んでいたっけなぁ。
あの木まで行けたら、生きて戻れるかもしれない。
頑張れ、俺。
台風が進路を変えてくれたおかげで、東の空が白み始めているのがわかった。
夜明けが近い。
白み始めた空の上から見下ろす日本の山々には、白い霧が下りている。
その山肌に沿って流れる霧は、まるで白い龍のようだ。
楡の木まで戻って休みたい。
母さん、俺を楡の木まで連れて行ってくれ。
意識が遠のく中、空を飛びながらそんなことを願っていた。
***
「この子の名前は紫音にしよう」
「シオン、素敵な名前ね。天にある神様の都をシオンと呼ぶのよ」
「そうか、それからもうひとつ。シオンの花の花言葉を知っているかい?」
「花言葉?」
「薄紫や白の小さな可憐な花でね。古くから日本人に愛されてきたキク科の花だ。
花言葉は、『あなたを忘れない』『遠くにある人を想う』『追憶』だよ」
「素敵だわ。わたしの事もずっと想ってくれたら嬉しい」
「何言ってんだ。ずっと一緒にいるんだよ、わたしたちと」
「そうね。ずっと一緒にいるのよね」
「そうだよ。ハンナはシオンのお母さんなんだから」
「あなただって、シオンのお父さんでしょ」
父さんと母さんが笑いながら、産まれたばかりの俺を見て話している。
俺は、母さんの胸に抱かれて温かい夢を見ていた。
紫音という名前は、父さんがつけてくれたんだ。
知らなかった。
***
「紫音、紫音!」
下の方から俺を呼ぶ声がする。
「キャー、蒼さんったら危ないですわ、木に登るなんて。梯子か何か、クロード持ってきてちょうだい」
「梯子を探しに行くより、蒼さん登った方が早いです。万が一のために俺が下で受け止めますから」
下の方が妙に騒がしい。
せっかく気持ちのいい夢を見ていたのに、ぶち壊しやがって・・・
「おい、大丈夫か紫音」
目を開けるとすぐ目の前に蒼さん顔があった。
さっきまで見ていた夢と同じように俺の顔を覗き込む。
「あ、・・・父さん」
「え? 今なんて」
「あぁ、おはよう」
周りを見渡すと、枝葉の間から青い空が見える。
その枝葉は境内にある楡の木だということがわかってきた。
「なんで、俺、こんなところで寝てんの!!!! こわっ。めっちゃ高いじゃん」
「今、何て言った」
「めっちゃ高いじゃん!!」
「その前」
「こわっ」
「その前だよ。おい、落ち着け。暴れるな。枝が折れたら落ちるぞ」
蒼さんは俺をしっかりつかんで、バランスを崩さないように抑え込んだ。
「大丈夫っすかー? 下には俺が待機してますんで安心して落ちてきてください」
「クロード、落ちてきてくださいって変だわよ」
バキッ
蒼さんと俺を支えていた枝が乾いた音を鳴らして折れた。
「うわぁ!」
蒼さんがおれを抱えたまま楡の木から落下したが、そこにはちょうどクッションになったものがあって、ちょうどその上に落下した。
そのクッションになったものはクロードだった。
「むぎゅっ、・・・なんとか受け止めましたぁ」
「いや、すまんがクロード、どう見てもお前つぶれているが」
「そう見えますかぁ。なら、そうなんでしょう」
ビオラがいきなり俺にしがみついてきて泣きだした。
「どんだけ心配かければ気がすむのよ。紫音ってば、紫音ってば、ほんとにバカ!」
「ちゃんと生きて帰ってきたんだから、いいだろ」
「あの時、もしかして聞こえていたの?」
あぁなんとなく、と付け加えようとしたが、それはやめといた。
「あの時ってなんでしょう。それと、お嬢様の足と蒼さんのお尻、申し訳ないけど早くどいてくれますか」
「あ、そうだった。すまんすまん」
蒼さんと俺はクロードの背中から慌てて降りたが、ビオラの足だけはクロードを踏み続けている。
「あの時なんて、言ってないわ。何かの聞き間違いよ」
「言ってましたよ」
「言ってないわ!」
ビオラの足はクロードの背中をさらに強く踏みつける。
「うっ! い、言ってません」
ビオラって怖い。
勇者の家系は嘘だと言っていたが、あながち嘘ではないような気がする。
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