第35話 竜笛

狩野は頭を搔きながら言う。


「やっべー、爆睡してたよ俺」


「ああ、イビキかいてたぞ」


「嘘!」


「嘘だ」


「なんだよ、どっきりさせんなよー。斉木は良く寝なかったな」


「うーーん、寝ていたような寝ていなかったような、幻覚を見ていた」


「何それ、あぶねーやつ?」


「お前が想像しているものとたぶん違う。時空間を飛び越えて胎内記憶ってやつを見ていたんだ」


「ふぇっ! そう来たか。それって生まれる前の記憶だろ」


「うーーん、生まれる前の前までずぅーーーっと遡ってた」


「・・・・斉木、大丈夫か? お前、疲れているんじゃないか? 俺が言うことじゃないかもしれないけど、ちゃんと寝ろ」


「だよな。やっぱり狩野もそう思うか。・・・俺、寝るわ」


と言って、俺はその場で気を失ったように眠りに落ちた。

遠くなる意識の向こうで狩野が驚いている声が聞こえる。


「おい、斉木、急にここで寝るな、ここで! おい、斉木―――!」



ピヨォーーーーーー


この音は竜笛だ。

さっきも聞いたが、また神楽が始まるのかな。

いや、違う他の楽器の音がしない。

竜笛だけがゆったりとながれるような美しいメロディーを奏でている。

誰が吹いているのだろう、雅楽を演奏できる人は氏子さんかな。

目を開けて音のする方を見ると、竜笛を吹いている男の背中が見えた。

あの背中は・・・・


「父さん?」


竜笛の音がピタッと止まる。


「今、なんか言ったか?」


「別に何も」


「・・・・そうか」


蒼さんは再び竜笛を吹き始める。

ここは社務所の二階の和室だった。

渡り廊下で寝落ちした俺を見て、狩野は蒼さんを呼びに行ったのだろう。

渡り廊下から俺を抱いて出るには、拝殿か神楽殿を通らなければならず、それだと大勢の人々が驚いてしまう。

そこで最も近い社務所の二階に運んだのだろう。


「竜笛を吹けるんだね。知らなかった」


「神職ならこれくらいできる」


「誰に教わったの?」


「大学で習った」


「いいなぁ。俺も習いたいなぁ」


「爺ちゃんは教えてくれなかったのか」


モブ爺ちゃんには、俺がまだ幼いころから武術や呪術を叩きこまれた。

「犬と一緒に散歩いくぞ」と言われて、喜んでついて行くと、村の広い野原で武術の鍛錬が始まる。

日が落ちるまで、ずっと武術の稽古だ。

神道の祝詞は意味不明のまま教え込まれたものだ。

神秘的な秘伝は、口伝といって、口で伝えられた。

忘れないように書き留めようとすると、「メモするな」と怒られる。

口伝は一回しか教えてくれない。内容を覚えられなければそれまで。

それが本当の門外不出の秘伝の教育方法だった。


「親父はあれで一生懸命なんだよ。わたしがいなかったから、余計に紫音の父親になるつもりで頑張ってたんだろう。

わたしが幼い頃も今の紫音と同じだ」


「あんな爺ちゃんのどこに惚れて婆ちゃんは結婚したんだろう」


「異世界で出会った二人だったが、親父は日本に帰ってきて、そのあとを追っかけてきたのがお袋だと聞いたが」


「え? 婆ちゃんは押しかけ女房なの?」


「ハハハ、そうだよ。ああ見えて親父はお袋には弱いんだ」


「だね。今もそうだよ」


蒼さんと俺は笑いあった。


「ところで、蒼さんはこんなところにいて大丈夫なの? 

神事のあとはいつも爺ちゃんたちは直会(なおらい)でお神酒とか飲んだりしてたよ」


「どうも食事会みたいなのは苦手でね。

あの場にいると、いつかみたいにマオリ族の踊りを見せてくれとか言われそうで」


「ハハハハハ・・・そんなこともあったね」


「正直、狩野君がわたしを呼びに来て助かったと思ったよ」


あの時、マオリ族の踊りをやりたがっていたのはクロードだった。

そういえば、クロードの陣太鼓はどうだったのか。

寝落ちして見ることができなかった。

ここの窓から境内の様子が見えるかもしれない。


「ねえ、そこの窓から境内の様子が見えるよね。今、どんな様子?」


俺は寝ていた布団から起き上がって窓へ行こうとしたが、足がふらついてその場で崩れてしまった。

蒼さんが慌てて俺を支えに来てくれる。


「まだ、無理してはいけない。境内ならさっきからわたしが見ていたから大丈夫だよ。

さっきは、ルイとクロードが陣太鼓を片付けていた。

ビオラはここの下でお守りを販売している。もう一度みてみようか?」


「そうなんだ。陣太鼓終わったかぁ。残念」


蒼さんはもう一度窓から下を覗く。


「あ」


「どうしたの」


「お袋が来た」


「婆ちゃんが? もう病院から戻ってきたの」


「たぶん、この部屋にくるのも時間の問題だ」


「俺、俺はどうすればいいの」


「寝てなさい。過労で倒れたとでも言っておくから」


婆ちゃんはきっと直会(なおらい)をしている大広間へまっすぐ向かうはずだ。

そこでは、氏子さんたちの歓迎を受けて引き留められるだろう。

そうすると、ここに来るまでにはもう少し時間がかかるかもしれない。

俺と蒼さんは息をひそめて和室でずっとその時にむけて心の準備をしていた。

まるで物の怪から身を隠すような気分だ。

階段の下の方で「リリさーん」と誰かが呼んでいるのが聞こえる。

近くまで来ているかもしれない。


「蒼、いるの?」


予想よりも早く俺たちは婆ちゃんに見つかってしまった。


「あんた、直会(なおらい)に参加しないでここで何してるのよ。ダメじゃないの氏子さんたちと親睦を深めなきゃ。

紫音は何寝てるの。あきれた!神職二人してなんてざまなの。モブさんが見たら嘆くわよ」


「お袋、落ち着いてくれ。紫音は過労で倒れたんだ。静かにしてくれないか」


「過労ですって? 紫音、あなたいつからそんな骨抜きになったのよ。モブさんはあなたを鍛えあげていたじゃないの」


「少しは心配してやれよ」


「心配してるわよ。心配だから言ってるじゃないの。なんで蒼までわたしを責めるの」


おっとっと、リリ婆ちゃんが泣き崩れた。


「婆ちゃん、俺は大丈夫だから。誰も婆ちゃんのこと責めてないよ」


「親父に何か言われたのか」


「勝手に旅に行きやがってと言われたの」


うん、勝手だと思うが・・・・


「だって、婆ちゃんの手紙読んだらそう思うよ。『わたくしは旅に出ます。探さないでください』って」


「お袋、そんな置手紙書いたのか。探さないでくださいは、お別れの意味になるんだよ」


「え? そうなの? 探してほしいから探さないでくださいって書くのよ。蒼は女心がわかっていないわね」


「じゃ、お袋は親父に探してほしかったとでも言うのか」


「当たり前じゃないの、それが待てど暮らせどモブさんは探しに来ない」


「爺ちゃんは文字通り、探してはいけないものだと思い込んでたよ」


「お袋もお袋だが、親父も親父だ。それで? どこまで探しに行けばよかったんだよ」


「異世界に決まってるじゃない」


俺と蒼さんは、リリ婆ちゃんが何のことをいっているのか一瞬わからなかった。


「婆ちゃん、聞くけど・・・世界旅行じゃないの?」


「異世界だって世界でしょう。異世界旅行に行ってたのよ」


確かに、異世界も世界で筋は通っているが、世界旅行と聞いて行先が異世界と発想できるやつはいないと思う。


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