第37話 異世界遊覧飛行

「ドラゴンの棲む霊峰はここよ」


母さんが雲の下に広がる山脈の一番高い地点を指さす。

気が付くと俺は人間の姿の母さんと一緒に雲の上にいた。

もしかして、俺は死んじまったのか?


「紫音、あなたは生きているわ。異世界をあなたに見せたくて連れてきただけよ」


「母さん! 俺は異世界に来たの? じゃ、雲から降りて歩いてみたい」


「それはまだダメよ。今はスクリーンに映った映像を見せることしかできないの」


理由は言わなかったが、母さんは異世界に降りることは出来ないと言った。


「母さんはドラゴンになったり龍になったりするの? それはどう違うの」


「どちらも自然エネルギー体で同じ。その国の空気の流れによって姿かたちが変わるだけよ」


「なるほど、でも母さんはここでドラゴンのまま亡くなったのだから、ドラゴンの姿を留めているかと思ってた」


「亡くなってから、魂は長い年月をかけて上の階級に上っていくものなの。

紫音が大きくなったから、母さんの魂も成長したと考えると分かりやすいでしょう。

今では龍神様の使いとしてあなたの神社でお仕事しているのよ」


俺が初めて窓の外に龍を見つけた時、あれはやっぱり母さんだったんだ。

それにしても、母さんが昔棲んでいたという霊峰は、岩山でごつごつしていて白瀧神社の裏山とはまるで違う。


「ここで、はじめてリリアンさんとモブさんに母さんは出会ったの」


「へえ、二人はここに何しに来たの」


「ある事情があって、母さんが飲み込んでしまったクリスタルを取り返しにきたの。

早い話がドラゴン討伐よ」


「討伐? 穏やかな話じゃないな。

クリスタルってなんだかわからないし、それを取り返してどうするの」


「モブさんはそれを使って日本に帰るつもりだったのよ。

でも、事情を知らない母さんは、襲いにきたのかと思って暴れちゃったの。

そこを、リリアンさんはのどに詰まったクリスタルを取り除いてくれて、

母さんは本当に助かったのよ」


「そのとき、爺ちゃんは何してたの」


「そうねえ、確か・・・

母さんの尻尾で飛ばされて、気絶してたわ」


「弱っ!」


「母さんはその時のお礼が言いたくて、

人間の姿になってあの神社に行ってすぐ戻るつもりだったんだけどね、

リリアンさん家族は、とても親切にしてくださったから気が付いたら何年も経ってたわ」


「そして、蒼さんと結婚したんだね」


母さんは、ぽっと顔を赤らめて恥ずかしそうにうなずく。

そこから先の話は、病院で蒼さんから聞いた通りだ。


「どうしてここの人間は、蒼さんを魔王に仕立て上げたんだろう」


「人間って愚かなものでね、いがみ合っている者同士に共通の敵が出来ると、

今度はその敵と戦うために仲良くなるものなの。

蒼さんはそれを知っていて、わざと憎まれ役を演じたのだと思うわ」


「じゃ、今は魔王がいなくなってまた争いが起きてるの?」


「新しい魔王が君臨してる。ほら、ごらんなさい。ここが魔王の宮殿よ」


雲の下には怪しくも立派な宮殿が建っている。

こういう悪者がいないと、人間は平和を作れないなんてなんて情けない動物なんだろう。


「じゃ、リリアンさんのご実家を見に行きましょうか」


「街を見られるの? すっごく見たい」


雲の下には、中世ヨーロッパ風の田舎風景が映った。

その中に金持ちそうなお屋敷が一軒建っている。


「ここがリリアンさんのご実家。

リリアンさんがいなくなってから、ここの伯爵は養子をもらって跡継ぎにしたらしいわ」


「すっげ! 伯爵の家! 俺が跡継ぎになってもいいよ。

こんな大きなお屋敷の令嬢と爺ちゃんはよく仲良くなれたものだ。

もしかして爺ちゃんは、異世界の冒険者だったとか?」


「そうよ。モブさんは朝早くにギルドで訓練を受けて、

それからクエストに行っていたというから、そうとう努力なさったと思うわ」


「へぇ、爺ちゃんらしいな」


「あと、もう一か所だけ、見せたい場所があるの」


田舎の街の上をずーっと移動して、さっきの伯爵邸よりも大きなお屋敷が見えてきた。


「ここは、ヴィスコンティ侯爵のお屋敷よ。つまり、ビオラさんの生まれた家」


「婆ちゃんの実家よりでかくないか? ビオラはここのお嬢様だったのか。

すっげぇ、恵まれているんだな」


「それが、いろいろ複雑でね。

あの子が異世界に戻ろうとしないのは、訳ありなのよ」


母さんの説明によると、この家にビオラの居場所はないらしい。

ビオラの祖父の代から、本妻以外に妾がたくさんいて、ヴィスコンティ侯爵は子沢山だったとか。

すると、醜い相続争いはつきもので、相手を陥れたり騙したりが日常茶飯事だったと。

ビオラは本家の血筋だったんだけど、腹違いの兄たちがたくさんいてビオラはいびり出された。

追い出されてからからというもの、彼女は冒険者登録をしてクエストをこなしながら食いつないでいたとのこと。

女の子が冒険者としてランクを上げていくのは並大抵のことじゃない。

彼女は努力をしてランクを上げていったと母さんは教えてくれた。

確かに、神社に来てからのビオラを見ていると、努力家なのはよくわかる。


「そんな過去があったのか。全然そんな暗い影は感じないけどな」


「ビオラちゃんは、斉木家に召喚されて初めて家庭の温かさというものを知ったのよ。

あの子を大切にしなさい。きっと紫音の助けになってくれるわ」


そういえば、婆ちゃんはビオラと会ったことがあるとか

意味不明のこと言ってたのを思い出した。


「ビオラ・ヴィスコンティとリリアンさんは異世界で血のつながりがあるのよ。

これについては、わたしよりもリリアンさんから聞いたらいいわ」


「え? 血のつながりって、親戚にあたるってこと」


「うん、まあそう言うことだけど、詳しくはリリアンさんから聞いてね」


何? 何? 気になる次回予告みたいな言い方はやめてほしい。


「さて、そろそろ戻りましょうか」


「え、もう戻るの? いやだ。もう少し母さんとこうして一緒にいたい」


「紫音・・・・・」


「帰っても母さんはずっとうちの神社にいてくれるの? 龍神様の使いなんでしょ?」


「そうね、紫音がちゃんと一人前の神主になればずっといられるでしょうね」


「ならなかったら?」


「龍神様は別の場所に移動なさいます。そうすれば、母さんも移動します」


「蒼さんがいても移動しちゃう?」


「・・・・龍神様の計らい次第ね。

紫音が龍族の子だからこそ、母さんはあそこにいられるのだということを忘れないように」


「蒼さんなら、式神で母さんを出せるじゃないか」


「式神は一時的なもの。それから、蒼さんではなく父さんだからね」


うっ、俺は言葉につまった。

それは痛いところを突かれた。

そうだ、話題を変えよう。

元の世界に戻る前に、ほかに何か聞くことはないだろうか。


「あ、あの水晶玉は母さんの宝珠であっているの?」


「母さんの宝珠よ。それなのに、紫音ったら代打でかっ飛ばすなんて言うから驚いたじゃないの」


「そんなこと言ったっけ」


「宝珠は蒼さんに持っていてほしいの。宝珠に宿るわたしのぬくもりを蒼さんになら伝わるはず」


死んでもなお夫を愛している妻を持って、蒼さんはなんて幸せ者なんだ。

比べるものではないと思うけど、

こんなに仲睦まじい両親の元に生まれてきたはずなのに、

その環境で育つことができなかった俺は、その寂しさを何で埋めればいいのだろう。


「あと最後にひとつだけ」


「なあに?」


「母さんって、いくつなの?」


「忘れたわ」


女性に年齢を聞くものではないと言葉では叱られなかったが、目は叱っていた。


「ごめんなさい、怒った? わざと聞いてみたんだ。

だって俺、母さんに叱られた記憶がないもの」


「紫音・・・・」


母さんは俺をそっと抱きしめて言った。


「こんなに大きくなって、わざと親を困らせることも覚えたのね。

ほんとにいけない子だこと。あまり母さんを困らせないで」


母さんの腕の中は温かい。

生まれてきたときの記憶がよみがえる。


「俺は母さんから生まれるって決めた瞬間からずっと、

母さんにも父さんにも会いたかったんだよ。

それなのに、すぐいなくなっちゃった。

今日もまた消えちゃうの。嫌だ、嫌だよそんなの。離れたくない」


「そんなに泣かないで。いい子だから」


母さんの腕の中で俺はまるで赤ん坊のように泣いた。

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