第16話 蒼さんと母さんの物語
まるで今帰ってきましたというような顔をして、俺は病室のドアを開けた。
「いやぁー、まいった、まいった。売店混んでいて遅くなっちゃった」
蒼さんが魔王と呼ばれていた話を盗み聞きしていたことは隠して、
「魔王の話はこれで終わりだ」のタイミングで登場してくる俺って、我ながら要領がいいと思う。
「コーヒーでいいか」
ビオラと蒼さんの分の缶コーヒーも買ってきたから、悪く思わないでほしい。
「ありがとう、紫音」
「お、ありがとな」
思わず「よっこらしょっ」と言いながら丸椅子に腰かけたら、蒼さんにあきれられてしまった。
「お前、年寄りか」
モブ爺ちゃんと暮らしているせいだろうか、高校生なのについじじくさい言葉がでてしまう。
「親父の影響だな。それはさておき、お前に話しておきたい大切な話がある」
またさっきの話を繰り返すのか。
まさか、聞いていましたとも言えないし、二度も聞く羽目になるなんて面倒くさいことになったなと思った。
「先日、お前から聞かれた話だが」
「え? 俺、何か聞きましたっけ」
「龍族って誰と聞いて来たじゃないか」
「そんなこと聞いたっけかなぁ」
「お前、モブ親父にそっくりだな。そのとぼけっぷり」
「おほめいただいて光栄です」
こんなやりとりを見ていたビオラは、にこやかに笑っていた。
「龍族でしたら、わたくしも知っていますわ。リゾット王国の霊峰に棲むという龍族でしょう」
「その龍族についての話だ」
ちょっと?俺が予想していたのと違うんですけど。
確かに地震があった日、俺はモブ爺ちゃんと蒼さんが困った顔をするのを見たくて、わざと「龍族って誰」と聞いた。
「紫音、お前は母さんのことをどこまで知っている」
「えっと、俺を産んで産後の肥立ちが悪くてすぐに亡くなったと。違うの?」
「微妙だなぁ。間違ってはいない。間違ってはいないが、お前を産んですぐに亡くなったわけではない」
「どういうこと?」
蒼さんは過去を振り返ろうと、病室の窓から見える青い葉っぱが茂る桜の木をみつめていた。
「白滝神社は昔から異世界との結界になっていることは、知っているだろう。
わたしのお袋、つまり紫音の婆ちゃんは異世界から来た人というのは知っているか。
わたしの親父が神様の手違いで異世界に転移してしまい、そこでお袋と巡り合ったそうだよ。」
「知らなかったよ、そんなこと。爺ちゃんが異世界に行ったことがあるなんて」
「親父は日本に戻ってくるためにドラゴンが飲み込んでしまったクリスタルを取り戻そうと、ドラゴンの棲む霊峰にお袋と一緒に登った。
最終的に、お袋がドラゴンの口からクリスタルを吐き出させて、二人は日本に帰ることができたのだが」
「凄い、婆ちゃん。でも、婆ちゃんが戦っている間に爺ちゃんは何をしていたの」
「はっきり言うと、気を失っていたと・・・」
「ダサい、ダサいぜ爺ちゃん」
「まあ、それは一旦置いといて。
わたしは子供の頃から不思議な力を持っていて、親父が行う術を大抵一回で覚えることができた。
わたしが高校三年のある日、親父に内緒で面白半分に異世界召喚の儀をやってみた。
すると、難なく成功して磐座の陰から一人の美しい女性が現れたんだ。
女性の髪は淡い水色で、瞳は深みのある緑だった」
「それは俺の母さんだったの?」
「緑色の瞳! それは龍族の特徴だわ」
「女性の名はハンナといった。昔お袋にのどに詰まったクリスタルを取ってもらい助けられたと言っていた」
「ん? それってドラゴンじゃないのか」
「龍族は、ただのドラゴンじゃないのよ。時に人間の姿になって霊峰から降り人間の街に来ることもあるのよ」
「わたしはハンナの言うことが信じられなくて、悪いまやかしにたぶらかされていると思った。
だが、ハンナがわたしのお袋に会って話をすると、お袋にはそれが本当だとわかったらしく、ハンナの手を取って歓迎したんだ。
ハンナは日本での生活するうえで必要なことを全てお袋から教わった。
巫女の仕事もこなしてくれた。
そんなハンナとわたしたち家族が一緒に生活しているうちに、数年が過ぎ、わたしとハンナはお互いに惹かれあうようになったんだ」
「素敵! モブ爺ちゃんも蒼さんも異世界の女性と恋におちたのね」
「昔ドラゴンだったって言うけど、母さんって、いったい何歳のときに蒼さんと知り合ったの?」
「実は・・・・年齢不詳、住所不定、無職だ」
「龍族は長寿で年も取らないと聞いたことがあるわ」
「わたしのお袋もそう言っていた。だから、もちろん長生きしてくれると思い込んでいた。
ところが、人間の姿で何年もここにいるだけでも体に負荷がかかるのに、
出産というおおきな仕事をしたハンナはかなり弱ってしまった」
蒼さんと母さんの物語は意外な展開へと続く。
*
それを見かねたお袋が、異世界にいったん戻って静養することを勧めてくれた。
ハンナは産んだばかりの紫音を置いて異世界に戻るわけにはいかないと、お袋の勧めを最初は断った。
しかし、このままではハンナの命の保証はできないのは誰の目にも明らかだった。
産まれたばかりの紫音はお袋が面倒をみるから、
元気な体になって帰ってくる約束を交わして異世界に一時的に戻ったんだ。
寂しくないと言ったら嘘になるが、ハンナと離れてしまっても、わたし達は夢で逢うことができたからなんとか連絡を取り合っていた。
そんなある日のこと。
異世界で人間たちが戦争を始め、龍族の住処である霊峰は崩され、川は汚染されていると連絡が入った。
わたしはハンナが心配で、親父に頼んで異世界に送ってもらった。
戦争で荒れ果てた霊峰に着くと、ハンナは人間の姿で洞窟の中に避難していた。
わたしはハンナのために何か滋養が高いものを食べさせようと、
キャンプ用の飯盒でみそ汁を作った。
川の水は使わないで、日本から持ってきたペットボトルの水を使った。
霊峰にある木の実も何もかも、食べられるものは草でも、愚かな人間たちにむしり取られていた。
兵士も飢餓と戦っていたのだろう。
わたしは煮立ったみそ汁を少しすくって味見をした。
熱くて舌を火傷してしまったが、いい味だった。
出来上がったみそ汁を少し椀に取り分けて、ハンナに与えた。
ふたりは焚火を囲い、久しぶりのつつましやかな食事をとった。
ハンナは目を細めて眠そうにウトウトし始めた。
すると、ハンナの口からつーっと赤いものが流れた。血だった。
わたしはぎょっとしハンナに駆け寄った。
『ハンナ?』
肩をつかみハンナが意識を失わないように揺すった。血はよけいに多く流れ出た。
『毒、川の・・・』
『まさか、水はペットボトルの水だ。それにわたしも口にしたが・・・』
『ここに来る途中で、どこかで休憩しましたか』
『ああ、森で一休みしたけど』
『森には飢えた兵士がたくさん潜んでいます。きっと、川の水とすり替えられた・・・・』
『そんな』
わたしの妻に与える水を誰かが川の水とすり替えられていたとは、気が付かなかった。
その水でわたしがみそ汁を作り、
わたしがハンナに毒を飲ませた。
『そんなはずはない。わたしも飲んだがピリピリするのは舌が火傷したせいだと思っていた』
『あなたには、・・・免疫があるのよ』
ハンナの体は次第にドラゴンに戻っていった。
『わたし、醜いでしょう。・・・・こんなわたしでごめんなさい』
『ハンナ、ドラゴンに戻ったって君はきれいだ。わたしの妻に変わりはない。・・・そうだ、何か薬を、なにか解毒になるものを・・・』
ドラゴンになったハンナの爪は鋭かったが、やさしくわたしを引き留めた。
『ひとりにしないで。最後まであなたの側で眠らせて。
それから、決して人間を恨まないでね。
あなたの持ってきた水で誰かが今日生きながらえることができたのですから』
『ハンナ!』
『あなたに会えて幸せでした・・・・』
ドラゴンに戻ったハンナの手は、わたしの膝の上に落ちた。
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