第9話 聖地巡礼しましょう!
日曜日。リシェリアはアリナと一緒に街に繰り出していた。目的は聖地巡礼だ。
どうしてこうなったのかというと、話は昨日のオタク談義の後まで遡る。
あの後、アリナに誘導されるがまま、『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の話題に熱中になっていたリシェリアは、ルーカスルートの解放をアリナに進めることをすっかり忘れていることに、夕方になってやっと気づいた、オタク談義を初めてからもう二時間も経過している。
そこでリシェリアはアリナに、どうにかゲームのストーリー通り行動してもらえるのか考えた末、脳から導き出したのが「聖地巡礼」という言葉。
リシェリアもアリナもオタクだ。あのスチル、こんなスチル、見たくない?
それなら、聖地巡礼しましょう!
そんな感じで、聖地巡礼と称してどうにかルーカスルートの解放を目論んでいた。
だけど当初の目論見通りとはいかず、ゲームと同じ景色が広がる光景を前に、すっかりリシェリアはテンションに浮かれていた。それは同じだった。
「ねえねえ、あのケーキ屋さんて、確か
「ええ、行くわよ、アリナ!」
お互い頷くと、二人は駆け出す。一応公爵令嬢だから護衛はいるけれど、二人の視界には入っていなかった。因みに昨日はあの後のオタク談義により、二人は呼び捨てとタメ語で話す仲になっている。
王太子の婚約者になってからは、リシェリアはほとんど首都で過ごしている。街中に出てきたことも少なくないが、こうしてはしゃぎまわるのは初めてだ。普段は馬車に揺られて通りながら街の景色を眺めて、ゲームと同じところや違うところを探してひとり感極まって拳を握り固めるだけ。こうして共通の知識を持った友達と共に駆け巡るのは、何よりも楽しいことだった。
四つ目に開放される攻略対象者、【魔塔の問題児】ルートでよく出てくる時計塔は、ウルミール王国首都の名スポットでもある。
この王国設立当時に建設された建物であり、この国で魔塔に次ぐ高さを誇っている。
時計塔の最上階まで上る。アリナと一緒に眼前に広がる景色を眺めていると、彼女がポツリと溢した。
「私が転生してきたのは入学式の一週間前でね、自分以外の体に慣れないのと、ゲームのヒロインになっちゃったから最初の一週間は悩んで悩んで……。そうしたらいつの間にか入学式になっているじゃない? だからこうして、のんびり街に出かけたのはリシェリアとが初めてだよ。ありがとう、聖地巡礼に誘ってくれて」
「私もだわ。オタク仲間と話したり、お出かけするのは楽しいものね。……本当に懐かしい」
二人で笑いあう。悪役令嬢に転生してから、まさかヒロインと仲良くなれるとは思っていなかった。まあ、いろいろと癖のあるヒロインだけれど、彼女がゲームのヒロインかどうかは置いておいても、アリナとは仲良くなれそうだ。
そう思ったとき、時計塔の鐘が十七時を告げる鐘を鳴らした。
「あ!」
そしてリシェリアは当初の目的を思い出した。
(もう夕方だ。確か、この鐘が鳴った後だった気がする……)
「アリナ、早く時計塔を降りましょう!」
「え、リシェリア、どうしたの?」
「いいからいいから」
リシェリアはアリナの腕を引きながら、慌てて時計塔を降りる。
この日のために、前から辺りをつけていた場所がある。
ルーカスがヒロインを見つけた通りは、確かこっちのほう――。
「あ」
馬車の通り道に黒い猫が寛いでいる。
そこに向かって、馬の蹄の音とともに、けたたましい馬車の車輪の音が聞こえてきた。
(……この後、だけれど……)
このままだと猫が轢かれてしまう。
息絶えた猫を抱いて泣いているヒロインを見たルーカスが、それに心を動かされて、彼のルートが解放されるのに。
このまま、轢かれるのを黙って見ていてもいいのだろうか?
リシェリアの風魔法なら黒猫を助けることは容易いだろう。
でも、このままだと。
唐突に、前世で死ぬ直前に見た光景がフラッシュバックする。
そういえば自分は、車に轢かれて死んだんだっけ……。
「リシェリア、猫がッ!」
アリナの悲鳴が聞こえた瞬間、リシェリアの体は動いていた。
馬車はもうすぐそこだ。だけど、この距離なら間に合う。
リシェリアは、ルーカスから逃げるために、風魔法で体を軽くして、素早く動く方法を中心に鍛えていた。それが功を奏したのかもしれない。
あきらかにスピード違反をしている馬車の前に躍り出て、リシェリアは黒猫を抱えると向かいの露店脇の樽に突っ込む形で停止した。
猫は無事だ。樽に突っ込む前に、なんとかクッション代わりの風を起こしていたのでリシェリアにも傷はない。樽は無傷とはいかなかったので後で弁償しなければいけないだろうけれど。
「リ、リシェリア!」
道の向こうから、馬車が来ていないことを確認してアリナが駆けてくる。
猫は無事よ! そう声を上げようとしたリシェリアは、右手を振り上げた状態で動きを停止する。
「……リシェリア、何をしているんだ」
ルーカスがそこに立っていたからだ。それも少し怒ったような顔をして。
「ルーカス、様……」
険しい顔をしたルーカスは、しゃがむと顔を近づけてくる。
思わず図書室での出来事を思い出して目をギュッと閉じたリシェリアだったけれど、予想した感触は訪れなかった。代わりに、頬に温もりを感じた。
「怪我は、ないよね」
「……は、はい」
恐るおそる目を開ける。至近距離にルーカスの顔があるのは変わらないけれど、彼はリシェリアの頬に手を当てて、ため息を吐いている。
「どうして馬車の前になんか飛び出して……それ、抱えているのはなんだ?」
「猫が、轢かれそうになっていまして」
「……猫? ……それで、君が怪我をしていたら、どうしたんだ?」
「大丈夫ですよ。私、風の魔法は得意ですので!」
「……はぁ。そういう問題じゃない……」
エメラルドの瞳は、いまにも泣きだしそうに歪んでいる。
「……おれは、君のことが一番、心配なんだ」
「え……」
「リシェリア、誰といるの?」
通りの向こうからやってきたアリナが、ルーカスの姿を見つけて、目を見開く。
「あ、ルーカス殿下だとは気づかずに、失礼しました」
「君は?」
「アリナと申します。リシェリア……じゃなくて、リシェリア様の友達の」
「そう……」
ルーカスは興味なさげにアリナに向けていた視線を、再びリシェリアに戻す。
「リシェリア。もう、今日みたいなことは、しないでくれ」
どうしてルーカスは、そんなにも悲しそうな瞳で、リシェリアを見つめているのだろうか。
それがわからず混乱していると、「わかった?」とルーカスに問いかけられる。
「……はい、わかりました」
リシェリアは、そう答えるので精いっぱいだった。
「あ、じゃあ私はもう行くねー。リシェリア、また明日学校で」
何かを察したのか、アリナはそそくさとその場を後にした。
ルーカスはまだリシェリアの頬に手を添えて、エメラルドの瞳を細くしている。
「……本当に、君は……いや、もう空も暗くなる。公爵邸まで送っていくよ」
やっと頬から手を離したルーカスが、リシェリアにその手を差し出してくる。
手を取ろうとした時、リシェリアの腕の中から黒猫が飛び降りて、路地裏の方に駆けて行ってしまった。
――後日、スピード違反をしていた馬車の持ち主が王宮に呼び出されて罪に問われたらしいが、それがリシェリアの耳に入ることはなかった。
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