第43話 デコピン
教室から出ていくクロエを見送ったアリナは、お化け屋敷に来てくれたリシェリアたちのことを思い出してふふっと笑みをこぼした。
(いやあ、リシェリアもいい叫び声を上げていたなぁ)
お化け役の醍醐味は、客の悲鳴をすぐ傍で聞けることだろう。
(できれば腕を引っ張って逃げるのではなく、抱き着いてくれたらもっと美味しかったのに)
そんなことを考えながら、教室から顔だけ出す。廊下には人気がなく、シオンがくる気配もない。
今回は保険を呼んであるし、遭遇してもどうにかなるかもしれないけれど、一歩を踏み出そうとして思いとどまった。
今回も、時戻りの後にシオンに護衛から外れてもらっている。シオンにダミアンの目を見ないように伝えてあるけれど、その忠告にどこまで効果があるかはわからない。
(寮に帰るためにはこの廊下を進まなきゃいけないけど……)
意を決すと廊下に出た。
そろりそろりと廊下を進んでいく。
曲がり角が見えてきた。前回はここでシオンに会ったのだ。
そろりと足を踏み出す。
時を戻ってきてから毎日のように中庭に行ってポプラの花を探したけれど、今回は手に入れることができなかった。
だから失敗は許されない。
(今回はシオンに会いませんように!)
「アリナさん? いま迎えに行こうとしたのですが、どちらに行かれるのですか?」
「で、でたぁああああ!!」
思わず叫んでしまった。
声を浴びたシオンは瞬きをして困ったような顔になる。その紫色の瞳には赤い陰りが……みえる。
(もう、どうしてあの人は遅いの!?)
事前の打ち合わせ通りなら、来ていてもおかしくはないのに。
そっと周囲の様子を確認しても、この時間の廊下は図ったかのように他の人の姿が見えない。
「新しい護衛騎士が体調を崩してしまい、変わりに私がきたのですが……。アリナさん、ひとつお訊ねしてもよろしいですか?」
いまはポプラの花もないし、シオンから逃げるのは不可能だろう。
祈るように手を組み合わせる。
「どうして私を護衛から外してしまったのですか? 私ではアリナさんの役には立たないのでしょうか」
思わず天井を仰いでしまう。
(終わったかもしれない)
「……? 先ほどから、どうされたのですか? 私の話、きちんと聞いてくれているのでしょうか」
シオンな顔が見れずに目を瞑って祈り続けている。前回はヴィクトルが来てくれたけれど、今回はさすがに現れないみたいだ。
(だからはやくきて、ケツァール!)
祈りが通じたのか、強い風が吹いた。
アリナはそっと目を開ける。
そこには悲しげな顔をしてアリナを見つめているシオンのほかに、背の高い風変りな髪の男がいた。
赤と緑のツートンからの鳥の尾羽のような髪の男は、アリナとシオンの間に立っている。
「よう、坊ちゃん。随分と重い陰を背負っているみたいじゃねぇか」
「……私のことを、坊ちゃんと呼ばないでください」
忌々し気にシオンがケツァールをにらみつける。
「坊ちゃんは甘いから、影響されやすいみたいだな」
「……どういう意味ですか?」
「この女――アリナに執着している理由はなんだ?」
「それは……。私のことを理解してくれるからです。……騎士なのに甘いものが好きでも構わないと言ってくれて、私が不甲斐ない男でもずっと傍で支えるとそう言ってくれたのです」
艶っぽい笑みと顔で語られた出来事に、アリナは身に覚えがなかった。
なぜならその出来事はアリナではなく、クラリッサとともに育まれたものだからだ。
「それは、本当に嬢ちゃんが相手だったのか?」
「なにをおっしゃっているのか、意味が良くわかりませんが」
ケツァールがシオンに近づくと、その額に指を伸ばした。
「よく思い出してみろ。おまえを想って傍にいてくれた人は、本当は誰だったんだ」
そして勢いよくデコピンをした。
うっと、痛みにシオンが呻く。
「……わ、私は……」
その瞳で影のような赤色が揺らめく。それが徐々に薄れて行くとともに、正気が戻ってきたのかシオンは「クラリッサ」とここにはいない少女の名前を呟いた
「……そう、でした。私が一緒にケーキ屋さんに行ったのは、クラリッサだったはず……。それなのに、私はアリナさんになんてことをしようと……」
デコピンで真っ赤に腫れている額を押さえながら、シオンが紫色の瞳を向けてくる。
ゴクリと喉の奥が鳴る。正気に戻ったように見えるけれど、もし違ったらどうしよう。そんな不安からケツァールのマントを握りしめた。
「申し訳ありません、アリナさん。あなたを傷つけるところでした」
操られていなければシオンは真面目な男なのだ。ゲームのバッドエンドではメンヘラ化するけれど、それまでに少しずつ自己肯定感を高めていけば彼はまともな攻略対象者になる。
アリナはそっとケツァールの横から顔を出しながら、もごもごと言葉を話した。
「少し怖かったんですよ。でも、今回だけは特別に許してあげます。――次は、ないですからね」
実際、今回はシオンには腕を掴まれたりしなかった。あれは時を戻る前の出来事だ。
それを覚えているのはアリナだけで、シオンは知りえないことだ。話題に出したところで彼には身に覚えのない罪。
だからそれを口に出して彼を糾弾することはできない。いくら操られていたとしても、あの時は本当に怖かったのだとしても――。
(……時戻りの代償は、ほとんどの人が時戻り前の出来事を知らないことだから)
アリナはシオンに向かって言う。
「クラリッサ様のことを大切にしてあげてくださいね」
「……はい。もちろんです」
「それと、保健室の先生にはくれぐれも気をつけるんですよ。シオン様は、影響されやすいんですから」
「……そう、ですね。わかりました」
シオンは何度も頭を下げると、今回は素直に引いてくれた。
消えて行く背中を見送ってから、アリナはほっとため息を吐く。
(どうにかなってよかったぁ)
これで今回は無事に芸術祭二日目に辿りつけそうだ。
そう安堵していると、ケツァールが振り向いた。ずっとマントを掴んだままだったことに気づいて、手を離す。
「それで、嬢ちゃん。あの坊ちゃんのことはどうにかしてやったのだから、そろそろ俺に本当のことを教えてくれないか? ――魔術師はどこにいる」
ケツァールの深い緑色の瞳は、まだアリナのことを疑っているようだった。
二度目の時戻りを使ったあの日、アリナはケツァールに取引を持ち掛けていた。
人を操る魔術師のことを教える代わりに、芸術祭一日目にシオンから護ってくれるように頼んだのだ。洗脳の魔法を解けるのは、この学園だとダミアン以外にケツァールぐらいだから。
(それにケツァールは魔法耐性があるから――)
「魔術師のこともそうだが、嬢ちゃんのことも気になっているんだぜ。……珍しい、魔法の匂いがするし、それにここ一週間から二週間ほど、なんか妙だったからな」
「……妙、ですか?」
「ああ、何やら同じ日を繰り返しているようなんだ」
知らずにアリナの喉がゴクリとなる。
「記憶が重なる出来事が何度かあった。最初は気のせいかと思ったが、一週間前に気づいたんだ」
ケツァールの深い緑色の瞳が細くなる。
「お嬢ちゃんだけが違う動きをしているみたいだってことに」
ゲームと同じ展開だった。ゲームでもケツァールは庭でくつろいでいる時に、中庭をたびたび訪れるヒロインの様子に興味を持つ。
そしてその興味というのが、時戻りの魔法の残滓だった。
「お嬢ちゃんは何者だ? ――おまえも、魔塔の魔術師なのか」
疑り深い彼には素直に話すのが一番だろう。
アリナは心に決めると、口を開くのだった。
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