第4章 芸術祭・本番編
第36話 間違い
「アリナさん!」
王立学園も二学期が始まると、芸術祭に向けて学園中がにわかに浮足立つ。
そんな中、昼休憩の時間に教室から出ると、アリナを呼び止める人物がいた。
クラリッサ・オルサ。オルサ伯爵家の令嬢であり、攻略対象者の一人であるシオン・アンぺルラの婚約者だ。
「クラリッサ様!」
「アリナさん、わたくしやったのだわ!」
穢れを知らない澄んだ碧い瞳がキラキラと輝いている。
クラリッサはアリナの手を両手で包み込むように握ると、嬉しそうにはにかむ。
「シオンとお出かけする約束をしたの」
「それはよかったですね!」
「ええ。最近アリナさんの護衛で忙しいから、お茶会とかも断られていたのよ。だけど今週末ならどうにか時間が取れるって……。シオン、わたくしとのお出かけ、楽しみだと言ってくれたの」
頬を染めながら言うクラリッサの様子は、恋する乙女そのものだ。
その姿を眺めるだけで、アリナは幸せを感じられる。ゲーム画面でも、クラリッサの恋する顔は見ているだけで癒されるものだった。
【わたくしは、シオンの傍にいてはいけないのよ……】
だからこそ、ゲームでクラリッサが身を引くシーンは、見ているこちらまでも悲しくなるものだった。
(絶対に、そんな顔させないんだから!)
アリナは改めて心に誓う握りこぶしを作る。
その為に、アリナは動いてきたつもりだ。
二学期に入ってからのシオンは、とてもしつこかった。
アリナの予定を根掘り葉掘り聞いてきたり、少しでも校舎や寮の外に出ようとしたら、どこから現れたのか背後にいる。正直、ストーカーなんじゃないかと思ったこともあった。
それと当時にクラリッサとシオンの関係を良好にするために動く必要もあった。
だからアリナは先日、学園から寮への帰りの道すがら、シオンに提案したのだ。
『たまにはクラリッサ様のために時間を使ってあげてください』
『ですが、私はあなたの護衛をしなければ……』
『そんなの四六時中必要というわけではないじゃないですか! 私は今週末の土曜日は寮から出ない予定ですので、その日はクラリッサ様とデートしてくださいよ!』
『ですが……』
と、真面目なシオンは食い下がったが、アリナは絶対に寮から出ないことと、その日は別の護衛の騎士を手配してもらうことをなかば無理矢理にシオンに約束させて、どうにか一日自由の時間をもぎ取った。
シオンは捨てられた子犬のような顔をしていたけれど、これもクラリッサ様のためだ。
というか二人の仲が良くならないと、シオンがメンヘラ化する確率が上がってしまう。そうなると、大変な思いをするのはヒロインであるアリナだ。
「クラリッサ様、あの券は持っていますか?」
「ええ、持っているのだわ」
「それは絶対に使ってくださいね。それから、シオン様は甘いものが……」
「知っているのだわ。わたくし、シオンとは幼馴染ですもの。でも、いまのシオンは自分から食べようとしないもの。だから、前にアリナさんに教えてもらったやり方を試してみたいと思っているの」
クラリッサが懐から出した券は、シオンルート攻略のキーカードになる「ケーキ食べ放題券」だった。
ゲームでは、この食べ放題券で誰かを誘うと、好感度に変動がある。
甘いものが苦手なルーカスを誘うと少し下がり、ヴィクトルは少し上がる。ケツァールは誘いに応じなかった覚えがある。そして、シオンを誘ってうまくデートを達成させると、好感度がぐんと上がる仕様だった。
さすがゲームの世界だからか、この券を入手するのは簡単だった。もともと獲得しやすいアイテムだというのもあるだろう。
「ケーキ食べ放題券」を入手するために必要なことは、学園の生徒を一人助けることだ。今回は、前に推し活をを勧めたクロエからもらうことができた。
だからこの券があれば、クラリッサとシオンの中は急激に深まるとだろう。
「わたくし、頑張るのだわ!」
「応援しています!」
心の底からエールを送ったからか、二人のデートは大成功だったと、週明けの昼休憩の時間に突撃してきたクラリッサ本人から聞いた。シオン自身も、まんざらでもなさそうな返答をしていた。
(さすが、ゲームの世界)
ゲームでも、クラリッサに「ケーキ食べ放題券」を渡すと、二人の仲が急激に縮まった。それにより、メンヘラルートは回避できる仕様だったはずだ。
それからもたまにクラスメイトを助けたことで貰った、「ケーキ食べ放題券」をクラリッサに渡したり、二人の仲が深まるようにいろいろ手助けしたりした。
シオンのアリナに対する執着も少しずつ薄れてきて、芸術祭の一週間前には、彼自らクラリッサの体調が心配だからと、護衛ができないことを伝えてきたというのに。
どこで、間違えてしまったのだろうか――。
◆◆◆
【時を戻すと、この時はもう一生戻ってくることはありません。それでも、時を戻しますか?】
脳裏に囁きかける声が聞こえてきたかと思うと、視界が一瞬暗くなった。
目の前に大きな時計が現れる。何の変哲もないアナログ時計だ。
(これ、ゲーム画面でよく見たやつだ)
時計の針が短いのと長いの、それから秒針もついている。
チクタクチクタクと進んでいた針が、少しずつ動きを鈍らせると、まるで無理矢理スイッチを切り替えられたかのように、勢いよく逆に回り始めた。
ぐるんぐるんと約一週間分、時計の針が巻戻ると、またチクタクと動き出す。
それとともに、暗かったアリナの視界もより鮮明になっていく。
「アリナさん? どうされましたか?」
「――っ、え、あれ、シオン……?」
時を戻ってきたはずなのに、目の前にいたのはシオンだった。
彼は先程までの暗い表情とは違い、心配そうな眼差しをアリナに送ってきている。
戸惑うアリナに、シオンが手を伸ばす。
それを見た瞬間、肌が泡立った。
「ご、ごめんなさい!」
「え? アリナさん?」
本当に時は戻ったのだろうか。魔法を使うのは初めてで、いまいち感覚がつかめていない。
夕闇はそのままだし、目の前にいるシオンもそのままだ。
「アリナさん、体調が悪いのでしたら、私と一緒に保健室に行きますか?」
「そ、それはその……」
「ちょうどクラリッサの様子を見に行く予定だったんです」
「クラリッサ、様の……?」
記憶が少しずつ鮮明になって行く。
(そうだ。ちょうど一週間前、クラリッサ様が倒れたからと、シオンが保健室に様子を見に行くって話をしていたっけ)
ということは、本当に時は戻ったのだろうか。
アリナの腕を掴んできたシオンは、もっと少し暗い表情をしていた。
だけどいま目の前にいるシオンの瞳からは、暗さを感じない。
(本当に、時が戻ったんだ……)
「アリナさん。お辛いのでしたら、保健室までエスコートを」
差し出してきたシオンの手を見て、喉の奥がひゅうとなった。
アリナはなるべく挙動不審にならないように気をつけながら、少しずつシオンから距離をとっていく。
「も、もう大丈夫ですっ! クラリッサ様の体調が悪いんですよね。私はもう寮に帰るだけですし、クラリッサ様にはお大事にと、お伝えください……!」
心なしか声まで震えているような気がする。
「アリナさん?」
心配そうなシオンが一歩近づいてくる。
「本当に、大丈夫ですから!」
シオンの反応を確認することなくそう吐き捨てると、アリナは背を向けて走るようにその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。