第37話 ゲームの世界


 走って走って、たどり着いたのは中庭の奥まったところだった。 

 そこに生えている、一本のポプラの木。

 夕闇に染まってさらさらと震える木は、前に見た時よりも威圧感があった。


「あ、あれ?」


 隅々まで目を凝らすが、目当てのものが見つからない。

 黄色い小さな花――ポプラの花がなければ、【時戻り】の魔法は使えないのに。


「まだ、咲いてないのかな」


 ゲームでもポプラの花は入手困難なアイテムだった。課金したら手に入るけれど、前世のアリナは学生であり引きこもりだ。課金なんてほとんどできなかったので、地道にストーリーを進めたり、ミニゲームをコツコツやって手に入れていた。

 咲くタイミングはどの攻略サイトでも解明されていないほど、様々だった。

 一回のプレイで必ず一つは手に入るけれど、エンディングまでそれだけだってこともある。


(それは困る。せめてあと二つはないと……。まだ、どうしてゲームとは違う出来事が起こったのかわからないのに)


 少なくとも、ゲームでのシオンのメンヘラ化は冬の遠征以降にしか起こらなかった。エンディングに向けて、冬のイベントなどで他の攻略対象の好感度がシオンよりも上がっていると、遠征から帰ってきた彼がメンヘラ化することがあるのだ。

 だからいまの時点で起こるのはおかしいことで、ゲームとは違う何かが起こっているはずなのに……。


 その解明のためにも、ポプラの花は必要だった。また、【時戻り】の魔法を使わないといけなくなるかもしれないから。


 空はどんどん暗くなっている。

 すっかり暗くなってしまうと、灯りのないこの一帯は真っ暗になって何も見えなくなるだろう。


「……っ、あった!」


 木の上の方の枝に、黄色い小さな花を見つけた。

 飛んでみるが、届かない。


「どうしよう」


 木登りは前世でもしたことがない。

 困り果てて見上げていると、アリナの黒髪を弄ぶような強風が吹いた。

 ポプラの葉がさらさらと揺れたかと思うと、黄色い小さな花がアリナの許に落ちてくる。


 掌の上に落ちたそれは、間違いなくポプラの花だった。


(よかった! ……でも、どうして?)


 いまの風は何だったのだろう。周囲を見渡すが、ポプラの木の傍にはアリナしかいなかった。



    ◇◆◇



 講堂での公演の準備を終えたリシェリアは、教室に向かっていた。


(ミュリエル様、大丈夫かしら)


 講堂での準備の途中、ミュリエルが体調不良で保健室に行ったのがなぜか気にかかる。


(もしかして、夢の影響?)


 実は、今朝に変わった夢を見たのだ。

 夢の中では芸術祭が開催されていた。

 内容はよく憶えていないけれど、やけに既視感のある夢だった。


 夢の中でもミュリエルは体調を崩して保健室に行き、その後リシェリアも彼女を追うように保健室に行ったと思う。

 だけどこれ以上のことは思い出せない。何か、大事なことを忘れている気がして、ぐぬぬと唸りたくなる。


「リシェリア!」


 最近、芸術祭の準備で忙しくて会えてなかったアリナが、廊下の向こうから凄い勢いで走ってくる。

 彼女は勢いのままリシェリアの両肩を掴むと、ぜえぜえと荒い呼吸を整えている。

 深呼吸を何度か繰り返すと、アリナはリシェリアの顔を見てなぜか安堵の息とともに、涙を流した。


「やっと。会えた。よかった。リシェリアああぁあ」

「アリナ、どうしたの?」


 問いかけるが、泣きつづけるアリナには聞こえていないようだ。

 周囲の視線も気になるし、どうしようか迷いながら、なるべく廊下の隅に移動する。泣き声は大きくないものの、嗚咽を漏らすアリナにギョッとして通り過ぎていく人もいる。


(そういえばここって)


 近くに前まで昼休憩で利用していた準備室があるところだ。

 周囲を見渡して知り合いがいないのを確認すると、リシェリアはその部屋に入った。この一角は芸術祭には関係がなく、授業がないと生徒も寄り付かないところだ。

 ここでなら、ゆっくり彼女の話を聞くことができるだろう。


 まだ泣いているアリナにハンカチを出す。

 彼女はそれで涙を拭うと、勢いよく話し始めた。


「リシェリア、実はね。シオンがなんでかわからないけど暗い表情をしていたと思ったら、メンヘラ化して襲われそうになったから逃げるために時戻りを使ったんだけど、そしたらシオンの目の前に戻ってしまったんだけど、それでポプラの花を取りに行こうとしたら全然なくって、いやあったんだけど高いところにあってとれなくって……そうしたら風が吹いて花が落ちてきて……リシェリアに話そうとしたけどもう夕方で見当たらなかったから、時戻り前にこの時間に会ったことを思い出して、探しにきたの……それでね」


「ちょ、ちょっと待って、アリナ! もう少し、落ち着いて話してほしいわ」


 よっぽど焦っているのか、アリナの話はいまいち要領が得ないところがある。

 シオンから襲われたとか物騒な単語は聞き間違えだろうか。それに【時戻り】を使ったって……。


 深呼吸をして落ち着いたのか、アリナは今度はゆっくりと話し始める。


「えっと……。とりあえず話したほうがいいと思うんだけど、私【時戻り】の魔法を使って一週間後から戻ってきたの。芸術祭の一日目の夕方なんだけど――」


 その日の夕方、シオンの様子がおかしくなったという。それまでクラリッサとの仲が進行していたはずなのに突然メンヘラ化して、私にとって特別な人はアリナだとか私を捨てるのですかとか言い始めたらしい。

 そして腕を掴まれて、身の危険を感じたアリナはシオンから逃げるために、【時戻り】の魔法を使ったそうだ。


「どうしてシオンが豹変したのかはわからないの。少なくとも、一週間前――じゃなくって昨日には、私の護衛を外れてクラリッサ様を迎えに保健室に行くほどには、二人の仲は進展していたはずなのに」


 芸術祭の準備でアリナと会えていなかったうちに、メンヘラ回避ルートを辿っていたらしい。リシェリアはゲームではシオンとはなるべく関わらないようにしていたから詳しくはわからないけれど、あの調子でいけば冬前には晴れてシオンとクラリッサは仲睦まじい婚約者カップルになっていたそうだ。


「それなのに、何を間違えたんだろう。……少なくとも、あのタイミングでシオンがメンヘラ化するのはおかしいし」

「そうね。シオンのメンヘラ化するきっかけは、ヒロインが別の攻略対象とエンディングを迎えようとしたことだったはずだもの」


 だから早くても冬の遠征以降にしかありえない。

 いまはまだ秋だ。何か、ゲームのストーリーとは関係なく、おかしなことが起こっているのかもしれない。


「ここはゲームの世界のはずなのに、どこでおかしくなったんだろう」

「ゲームの世界……そうね。確かにそうだけれど――」


 リシェリアは困った顔をして、項垂れるアリナに伝える。


「ここは、現実でもあるのよ」

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