第33話 芸術祭
芸術祭まで一週間を切っていた。
個人練習の成果か、ルーカスの棒読み口調は少しは改善されている。それでもまだ完璧には程遠いけれど、最初に比べたら全然マシになっている。
リシェリアのクラスの演劇は教室で行われる予定だったが、直前で講堂でも公演をすることになった。講堂の公演の枠が一枠だけ空いてしまい、そこに急遽参加することになったのだ。
芸術祭は二日かけて行われる。リシェリアのクラスの演劇は、当初の予定では一日目と二日目の午後の二回だけだったのだけれど、最終日の午前に講堂で公演をすることになったのでクラス公演は一日目の午後のみになった。午前中は多くの生徒が選択科目の発表がなどがあり、リシェリアも一日目の午前に講堂で合唱することになっている。
演劇の公演時間は二十分ほどだ。それでも多くの人の前に立って演技をするとなると緊張してしまう。いくらリシェリアは寝ているだけとはいえ、多くの生徒に紛れて歌うのとはわけが違うのだ。
「ミュリエル様、お顔色が悪いのですが、大丈夫ですか?」
「え、ええ。問題ありませんわ」
通しでのリハーサルを終えた後、ふと舞台脇からミュリエルの友人の心配する声が聞こえてきた。ミュリエルが壁に手をついていて、いまにもしゃがみ込みそうになっている。
「ミュリエル様、大丈夫ですか?」
実行委員たちが打ち合わせをしていたので、それを抜けて近寄る。
「ええ、少し眩暈がしただけですわ。本番までもう時間もありませんし、わたくしのことはお気になさらずに」
「そういうわけにはいきません。保健室に行った方がいいです」
「……リシェリア様がそういうのなら」
ミュリエルの顔はいまにも倒れてしまいそうなほど真っ青だ。
(こんな状態で立っているなんて……)
「リシェリア様」
友人の肩を借りながらミュリエルが何か言いたげな顔でリシェリアを一瞥したが、「何でもありません」と首を振った。その腕には緑色の石の散りばめられたブレスレットがある。
「芸術祭当日は、いい日にしましょう」
「ええ。ミュリエル様も、それまで無理は禁物ですよ」
「……リシェリア様こそ」
ミュリエルたちを見送ると、また舞台に戻る。
リハーサルは無事に終わり、解散の運びとなった。
帰り際、ルーカスと目が合って、すぐに逸らしてしまった。
ここ数日演技の練習で、彼との距離が近くなっている。そのせいでいまいち彼の顔を真っ直ぐ見られなくなっている。
前から「挨拶」とかでもっと距離が近くなることがあったのに、その時以上に緊張してしまうのはなぜなのだろうか。もしかしたら演技をしている時のルーカスの瞳が真剣で、なおかつこちらの瞳をじっと見つめてくるときに、いままでに感じなかった熱を感じるからかもしれない。
これで本番は大丈夫なのだろうか。
「リシェリア!」
「久しぶりね、アリナ」
誕生日パーティ以降、芸術祭の準備などで忙しくてアリナとはあまり会えていなかった。
久しぶりに廊下ですれ違ったのが嬉しくって、勢い良く近づいてしまう。
「もうすぐ芸術祭だね。リシェリアは確か選択科目は合唱だったよね?」
「そうよ。そういえばアリナは魔法学を選択していたわよね?」
「うん。と行ってもほぼ座学みたいなものだけどねぇ。だから特に個人の発表はないんだけど……。そうだ、当日は誰かと一緒に回ったりするの?」
「いまのところ、その予定はないけれど」
「だったら私と一緒に回らない? 空いてる時間教えて」
芸術祭の準備というか練習が急がしくて、当日誰と一緒に回るのかは全く考えていなかった。
ルーカスは……多分一緒に居たら身が持たないだろう。ただでさえ劇で距離が近くなるのだから。
それならアリナと一緒に回るのが一番かもしれない。
「えっと、一日目の午後の公演の後と、二日目の午後だったら空いているわ」
「私は一日目の午後は当番だから無理だけど、二日目の午後だったらフリーだよー。あ、そうだ。一日目の午後空いているんだったら、私のクラスにも来てね!」
「もちろん! ……て、そういえば」
アリナのクラスはお化け屋敷だった。勢いよく答えてしまったけれど、無事に生きて戻れるのだろうか。
「ルーカス様と一緒に来てね!」
「いや、それは……」
「絶対だよ! じゃあ、私はこれで」
アリナは勢いよく言い捨てると、すぐに去ってしまった。
そして、あっという間に芸術祭当日になった。
◇◆◇
王立学園の芸術祭は一大行事だ。
学園に通う生徒の家族はもちろんのこと、魔塔の魔術師や芸術家なども多く訪れる。
学園の通りには、特別に外部から露店が並び、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。
中には町の祭りに参加したことがある人もいるだろうけれど、ほとんどの生徒は初めての行事だろう。いつもはお淑やかな令嬢やすました顔をしている令息が普段とは違う表情を見せたりもするのも醍醐味である。
夏祭りの時もそうだったけれど、いつもとは違う熱気に包まれたところでは何か事件が起こる可能性もあるが、ここは王立学園だ。魔法での監視の強化や、警備の人員を増員するなどいつもよりも警備に目を光らせているので、よっぽどのことはないだろう。
午前中、選択科目の合唱の発表を終えたリシェリアは教室に向かっていた。
クラスの発表の演劇は、午後一時に公演開始だ。
今回は本物の王子であるルーカスが光の王子役をやるからか、当日は大盛況を予見して、先行チケットの配布を行っていた。そのチケットは即日に配布終了している。
(……ルーカス人気が凄い。……まあ、それも当然よね)
金糸のようなサラサラの金髪に、エメラルドの瞳。あまり変わらない表情から、そこに立っているだけで儚く見える容姿は、ゲームのビジュアル以上に目が眩むほどの美しさがある。
そんな彼が出演する演劇を一目見ようと、多くの人々が躍起になっているのだろう。噂では、チケットにはプレミア価格が付いたり、闇オークションで取引されたというのも耳にしたけれど、さすがに後者はないと信じたい。
当日配布のチケットも数分で売り切れたそうだ。講堂での公演のチケットは、クラスとは別なのでそこのところはどうなっているのかはわからないけれど。
教室に戻ってくると、ルーカスに呼び止められた。
「リシェリア」
「な、なんですか」
皆の前だというのに、彼の距離は近かった。
彼はリシェリアの手を取ると、その指先に口を近づけようとして、途中で止まった。
「……劇、成功させよう」
「は、はい。もちろんです」
「……それじゃあ、おれは準備があるから」
結局、指に口づけをすることなくルーカスは去って行ってしまった。
(……そういえばルーカスの
なぜか物寂しさを感じていると、ミュリエルに腕を引かれた。
思ったよりも強い力に、リシェリアは少しつんのめる。
「リシェリア様。早く用意しないと、開演の時間になりますわよ」
「は、はい。ミュリエル様、そのもう少し力加減を」
「早くしてくださいな」
急いでいるのか、ミュリエルはリシェリアの腕から手を放すことなく、教室近くの準備部屋に向かって行く。
衣装に着替えるためにカーテンで区切られている空間で、劇用のドレスに着替える。後ろ側にあるリボンは結べなかったので練習の時と同じようにミュリエルに結んでもらおうとしたら、盛大にため息を吐かれた。
なにか様子がおかしいとは思ったものの、本番まで三十分もない。
おさげをまとめてピンで固定をして、ネットで頭を包み、その上から銀髪のウィッグを被る。
なんだか頭がごわごわする。
ウィッグの上からウィッグをつけているのだから当然と言えば当然だけれど。
鏡を見ながら銀髪を整えると、リシェリアは恐るおそる眼鏡を外した。
リシェリアの本来の銀髪とは違うけれど、このウィッグも高級そうなものでさらさらとしていて、ライトに照らされると綺麗に輝きそうだ。
「いつ見ても不思議ですね。よく銀髪がお似合いです。最近まで気づきませんでしたが、瞳も銀色みたいですし」
「そ、そう言ってもらえると、嬉しいです」
ミュリエルの友人が絶賛してくれるが、その背後でミュリエルがすこし険しい顔をしていた。
一週間前に体調を崩していたみたいだから、もしかしたらまだ万全ではないのかもしれない。
「ミュリエル様」
「そろそろ開演時間です。準備をお願いします」
気になったものの、開演まで時間がない。
リシェリアは後ろ髪を引かれる思いをしながらも、控室を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。