第34話 疑問


 心臓がバクバクしている。

 緊張して体が強張ったまま、ナレーションがライトでアップされて、物語の開始を告げた。


「『昔々あるところに、多くの祝福を受けて生まれた、美しい姫がいました』」


 多くの魔法使いから祝福を受けた姫は、除け者にされた一人の魔法使いにより呪いを与えられる。その呪いは、十六歳になると薔薇の棘が死ぬという呪いだった。

 たまたままだ祝福を授けていなかった残りの魔法使いにより、その呪いは「死ぬのではなく氷漬けになり長い眠りにつく」という内容に変更された。


「『薔薇を国中からすべて取り除くのだ』」


 国王の命令により国中から薔薇の花が取り除かれたが、運命を変えることはできなかった。

 

 十六歳の誕生日に、姫の部屋に一輪の薔薇が届けられる。

 それに触れた瞬間、急激な眠気により姫は眠ってしまう。

 周囲に冷気が満ちるとともに国中の人々が眠りにつき、そして徐々に国中を冷たい氷が覆いつくした。


 これが物語の序盤だ。

 緊張していたものの、台詞を噛むことなく言い終えて、リシェリアはふらりと床に倒れる。


「『姫にかけられた呪いにより、国中が氷に覆われてしまいました』」


 ナレーションの台詞が終わると、周囲が暗転した。

 その隙に、リシェリアたちは舞台脇に移動する。


(……き、緊張したぁ)


 王立学園の教室は広く、普段は教壇が置かれている前側を舞台に見立てている。そして後ろ側が客席だ。


 緊張していてチラリとしか見えなかったけれど、客席を埋めつくす人がいたような気がする。


(……無理。観客を意識すると、さらに緊張する……)


 すぅはぁと深呼吸をして落ち着かせるが、心臓はやはりまだバクバクしたままだ。


「リシェリア様」


 呼びかけに振り返ると、そこにいたのはミュリエルの友人のジェーンだった。


「ミュリエル様が体調を崩されて保健室に行ってしまいましたので、代わりに私が衣装を整えますね」


 舞台上では、光の王子――ルーカスが登場して、客席から劇を邪魔しない程度の静かな歓声が漏れていた。


「ミュリエル様は大丈夫ですか?」

「……実は、それでご相談があるのですが。劇の後に話を聞いていただけませんか?」

「わかりました」


 舞台では森に入った王子が、向かってくる獣を斬り捨てたりしながらも、古城に辿り着いたところだった。


 そこでまた暗転する。その間にリシェリアは指定の位置に寝転がった。


 凍りついた城の中を歩いている王子の足音が、どんどん近づいてくる。

 ルーカスの声が聞こえてきた。


「『これが、姫なのか? ……美しい人だ。いままで感じたことのない感情を感じる。この、胸を熱く焦がす思いはいったい、何なのだろうか……。もしかして、これが恋?』」


 台詞はまだ固いものの、棒読み感が薄れている。


「『どうしたら目覚めるのだろう』」


 リシェリアは思わずギュッと目を瞑った。

 そろそろ、あのシーンだ。

 練習では寸止めだったけれど、本番ではどうなるんだろう。


「『美しい姫。早くその瞳を開けておくれ』」


 微かな吐息が鼻先にあたる。

 いま目を開けたら、ルーカスの顔面が目の前にあるだろう。


 客席からキャーという歓声が聞こえた。


 意を決して瞼を開けると、目の前にエメラルドの瞳があった。

 思わず声が詰まったが、劇の途中だ。

 目が合ったルーカスの顔が離れて行く。

 リシェリアは眠りから覚めたばかりのように大きな伸びをすると、うっとりとした微笑みで目の前の王子に問いかけた。


「『……あ、あなたは?』」

「『目覚められたのですね、姫。おれは光の国の王子です。姫を迎えに来ました。国に戻ったら、おれと結婚してくれますか?』」


 驚いたように目を見開き、それから少し照れくさそうな顔をして、差し出された王子の手を取る。


「『――はい、喜んで』」


「『こうして光の王子は眠り姫を妃に迎え入れて、二人は永遠に暮らしました。めでたしめでたし』」


 ナレーションの言葉で物語は締めくくられ、劇は終了した。


(やった! 上手くできた!)


 拍手が鳴り響く中、リシェリアは他の演者たちと一緒にお辞儀をしながら、ギュッと拳を握りしめた。



    ◇◆◇



「それで相談とは何ですか?」


 制服に着替えて銀髪のウィッグを外して髪をおさげに整えると、リシェリアはジェーンと向かい合った。

 ジェーンは伯爵家の令嬢だ。紺色の長い髪をしていて、ミュリエルと幼い頃から一緒にいる。ミュリエルと一緒にリシェリアを見下した態度をとってきた令嬢でもある。


「一週間前にミュリエル様の体調が悪かった時のことは覚えていますか?」

「はい」

「実は、その時が初めてではないんです。確か、芸術祭の役者決めの後ぐらいから、一週間に二回ほど保健室に行くようになったのです。体調が悪そうだから、私たちが勧めたというのもあるのですが」


 ジェーンの話によると、ミュリエルはずっと体調が悪かったみたいだ。


(気づかなかった)


 いつも気長に振舞っていたのだろうか。

 詳しい事情はジェーンも知らないみたいで、よく保健室に通っていたということを教えてくれた。

 そして保健室に行く回数が少しずつ増えているということも。


「それで、私も保健室について行くことがあったのですが……ひとつ気になっていることがあるんです」

「気になること?」

「はい。……話すよりも、見た方が早いかも」


 時計を見ると、午後の二時を過ぎたところだった。

 一日目は五時に終わるから、まだ時間に余裕はある。


「わかりました。私もついて行きます」

「ありがとうございます! 早速行きましょう」



    ◇



 保健室は職員室の向かい側にある。

 ジェーンに連れられて、リシェリアは初めて保健室の中に入った。


「おや、どうされましたか?」


 そこには桃色の髪の線の細い男性がいた。養護教諭の先生だろう。

 初めて見る顔だ。不思議そうに眺めているのに気づいたのか、先生が優しく微笑んだ。


「僕が赴任してきたのは二学期からなので、もしかしたら知らないかもしれませんね」


 そういえばそんな話を聞いたような気がする。

 養護教諭の先生だけあって、とても優しそうな人だ。

 赤い瞳がすこし不思議だけれど、良い人のようだ。


「ミュリエル様の様子を見に来たのですが」

「ああ、マナス嬢ですね。まだ眠っていますが、起こされますか?」

「いいえ、眠っているのであれば無理に起こす必要はないです」

「そうですか。……ところで、ご令嬢の名前を伺っても……って、僕としたことが自己紹介がまだでしたね。僕はダミアン・ホーリーです」

「リシェリア・オゼリエと申します。ホーリー先生」

「ダミアンでいいですよ、オゼリエ姫」


(姫!?)


 劇以外でそう呼ばれたのは初めてなので、少し戸惑ってしまう。

 それに気づいたのか、ダミアンはくすりと笑った。


「すみません。親戚の子供に接するときに姫と呼んでいたものですから、つい癖で」

「あ、そうだったんですね。姫は少し照れくさいのでやめていただけると」


 ふふっとダミアン先生が笑う。笑顔が多く、とても親しみやすい人のようだ。


「それでジェーン様から聞いたのですが、ミュリエル様がよく体調を崩されていたみたいで……」


 そういえばジェーンが気になっていることがあると言っていた。

 それは何だろうかと辺りを見渡すが、保健室内に不思議な点はない。ジェーンは保健室の壁際に立っていた。


「ああ、それなら問題ないですよ。芸術祭の準備もそうですが、彼女自身、貴族令嬢として気負いすぎてしまうところもあったようです。それで色々疲れていたのでしょう。いまはぐっすり眠っていますから、数日休めばよくなると思います」


 ダミアンの赤い瞳が不思議な色をしているけれど、嘘を言っているようには見えない。


「それよりも、オゼリエ嬢はどうして、その髪型を?」

「えっと、これですか」


 いままでこうして直接髪について尋ねてくる人はいなかった。前のミュリエルたちみたいに陰で馬鹿にしてくる人はいたけれど。


「なぜ、黒い髪におさげをしているのかと思いまして」

「ああ、これはその……髪を隠す……あ、あれ……?」


 思わず髪を隠すためと口にしそうになった。


(なんでだろう)


「どうされましたか?」

「あ、いえ」


 ダミアンに呼びかけられて、その不思議な赤い瞳と目が合う。

 その時リシェリアは唐突に疑問を浮かべた。


(こんなに顔が整っている先生キャラって、ゲームのシナリオにいたっけ?)


 一瞬浮かんだ疑問は、すぐに薄れて消えて行った。

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