第20話 青色のドレス


 昼食を終えると、今度はルーカスが部屋にやってきた。

 彼はお辞儀をしているリシェリアに近づいてくると、その手を取って口づけをした。手の甲への口づけは、この世界でも挨拶として使われている。だけどルーカスのそれは挨拶にしては少し長かった。


 隣でそれを見ていたヴィクトルが咳ばらいをすると、ルーカスは手を解放してくれた。そして胡乱げな瞳でヴィクトルを見ると淡々と告げる。


「君は、部屋から出ていてくれないか?」

「……わかりました」


 王族にそう言われれば、ヴィクトルは部屋から出ていくしかないだろう。その背中に助けを求めるが、首を振られるだけだった。

 部屋の中にはルーカスとふたり取り残される。

 気まずい沈黙の中、リシェリアは先に口を開くことにした。


「あの、ルーカス様。もう調査がお済でしたら、オゼリエ邸に戻らせていただきたいのですが」

「まだ、駄目だ」

「どうしてですか?」

「……まだ、君が狙われているかもしれないから」


 そう口にするルーカスは、少し悲しげな顔をしていた。祭りのさなかに攫われたことを、気にしているのかもしれない。

 だけどシオンに話した通り、今回はリシェリアは間違われて攫われただけ。もうリシェリアが間違われて狙われることもないだろう。それにオゼリエ邸の警備は厳重で、邸宅にいる限り安全なはずだ。


(むしろゲームの終盤では、リシェリアがヒロインを攫おうと企んだこともあったぐらいだもの)


 まあもちろん実際にそんなことしはないけれど。


「……心配なんだ。リシェリアがまた攫われたらって考えると、夜も眠れない。王宮のおれの目の届く範囲なら安心できるから、しばらくはここにいてほしい」 


 表情はあまり変わっていないのに、どこか捨てられるのを怖れている犬のようにも見えて、リシェリアはつい頷いてしまった。


「ありがとう。それから今夜は、一緒に食事を食べようね」

「わかりました」


 顔が近づいてくる。目を瞑ると、頬に柔らかい感触があった。


(口じゃなくってよかった)


 安堵して目を開けると、何か言いたげなエメラルドの瞳があった。



    ◇



 翌日も、朝早くに父親であるオゼリエ公爵が訪ねてきた。まだ身支度を整えていないのに訪問者がきたという知らせを聞いたときは焦ったが、相手が父だったのでどうにかなった。

 オゼリエ公爵は初めの方こそリシェリアの黒髪に涙を流したりしていたけれど、あれからすっかり慣れてしまって黒髪でも元の銀髪でも構わず甘やかしてくる。むしろ最近は「こっちの方が我が娘に変な虫がつかなくって済むよね!」と口にしては、ヴィクトルに呆れられている。


 そのヴィクトルも父と一緒に部屋に訊ねてきた。「別に暇だし」と言いながらも、なんやかんやリシェリアのことが気になっているみたいだ。


「犯人たちは簡単に自白したらしいよ。お金で雇われただけだから、依頼者のことは知らないの一点張りで、尋問――聴取もうまくいっていないらしい」


 いま聞こえた尋問という言葉は聞こえなかったふりをしておこう。


「リシェ、もう少しの辛抱だからね! いまタウンハウスの警備も増量しているから、それが終わったらすぐに迎えに来るよ」


 どうやらリシェリアはしばらく王宮に泊まることになるらしい。

 

 そして今日も、ルーカスは昼過ぎにリシェリアの元を訪れて、夕食も一緒に食べることになった。



 そんな日々が一週間ほど続いた。長いようで短い日々だった。

 特に三日前に、ルーカスが有名なデザイナーと首都で名高いブティックのオーナーを連れてきた時は大変だった。新しいドレスのデザインの相談だけではなく、多くのドレスを試着しなければいけなくなった。

 一日がそれだけで過ぎて疲れ果てていると、ルーカスのいつもの挨拶を額に受けた。実は、馬車でのあの挨拶の件以来、口への「挨拶」はないのだ。



    ◇



 一週間ぶりにオゼリエ邸に戻ると、使用人たちは歓迎ムードだった。王宮で一緒だった使用人はどこか誇らしげな顔をしていて、残っていた使用人たちの中にはなぜか涙を流している者もいる。


「お嬢様がご無事でよかったです」


 そんな言葉を口々にかけられる。


 オゼリエ邸に帰ってきたから数時間後、王宮からプレゼントが贈られてきた。プレゼントと共に、王族のみが使用できる印章の押された手紙がある。ルーカスからのようだ。


『リシェへ。サマーパーティ用のドレスを送らせていただくよ。当日は、それを着てきて』


 贈られてきたのは、夏らしい青色のドレス。

 リシェリアの本来の銀髪にはとても映えそうな、涼やかなドレスだ。


(でもいまの私の姿だと……)


 首を振る。婚約者から送られてきたドレスを断ることはできない。

 それにいくら学園の行事だからと言って、王太子の婚約者が地味なドレスを着るわけにもいかない。


「……あ、そうだ。アリナはどうするんだろう」


 ゲームでは祭りの誘拐未遂事件と、その後のいろいろのお詫びでシオンがヒロインにドレスをプレゼントしていたけれど……今回誘拐されてしまったのはリシェリアだ。平民であるアリナにドレスを買うだけの余裕はあるのだろうか。


「あ、でも確か、シオンからドレスが贈られてこなくても、学園に貸し出し用のドレスがあったはず……」


 王立学園は原則貴族だけが通える学校だけれど、中にはドレスを満足に用意できない下級貴族などもいる。そんな人のために、学園が秘密裏に貸しているドレスも存在していたはずだ。ゲームをプレイしていたアリナならその存在も知っているだろう。


 そんなことを考えていたからだろうか。

 オゼリエ邸に戻ってきた翌日に、アリナから手紙が届いた。


『リシェリア、無事でなによりだよー。王宮に会いに行けなくってごめんね。あと、助けて』


 要約すると、そんなことが書いてあった。

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