第21話 騎士のシオン


 王立学園の寮で昼食を終えると、アリナは学園の事務員に呼び出された。夏休みだというのに勤務してるなんて大変だな、とそんな悠長なことを考えて連れてこられた先は、理事長室だった。


 入学してから一度、特待生として顔を出したことがある。

 理事長室の扉をノックして開けると、事務員は無言で会釈して去って行く。

 中に入ると、そこで待っていたのは――。


「初めまして、アリナ様。私は本日よりあなたの護衛を命じられた、騎士のシオンです」


 侯爵家嫡男にして、後継者。そしてまだ齢十六歳ながら騎士の称号を持っている、『時戻りの少女』の攻略対象者の一人、シオン・アンぺルラ。

 紫色の長い髪を一つに結んで前に垂らしている彼は、アリナの顔を見ると挨拶と共に会釈をした。

 淡い花が咲くような背景のスチルが脳裏に浮かぶ。現実にそんな演出なんてないけれど、なんて絵になる光景なんだろう。


(って、そんなことに浸っている場合じゃないわ! これって、ゲームと同じ展開じゃん!)


 驚いて固まってしまう。そんなアリナを紫色の瞳が心配そうに見つめてくる。そのどこか伏し目がちな視線が、さらにアリナを不安にさせる。


(これはやばい)


 シオンは攻略対象者の中でも、温厚で人当たりの良い性格をしている。だから普通に接する分には何も問題のないキャラである。そう、普通に接する分には。


 アンぺルラ侯爵家は代々騎士の家系だ。だから当然シオンにも騎士としての性質が求められたのだが、父である侯爵は自分の息子にその性質が不足していることに気づいてしまう。シオンが六歳の頃だ。

 それ以来シオンは父から「出来損ない」とことあるごとに言われ続けてしまい、自身を失くしている。


 だがそれでも父や、期待してくれる周りから認められるために、求められる騎士像を常に演じている。性質は気弱だが、それでも彼には剣の才能があった。


 そんなシオンのルート解放の台詞が、先ほどの「あなたの護衛を命じられた」というものだ。


(なんで、シオンルートの解放がっ!? いや、でもこのまま好感度を上げずに接すれば……)


 アリナは頭を抱えるが、シオンは攻略対象者の中でも一番好感度が上がりやすいキャラでもある。


 周りから寄せられる期待と、自信のない自分。周りはそんな弱いシオンのことなど求めていないからシオンの心の内を知ろうともしない。シオンも自分の気持ちを隠すために騎士を演じているから、誰にも本当の自分は知られたくないと思っている。

 そんな心の不安定さが、彼自身を見つめてくれるヒロインの言動により救われていく。

 これがシオンルートの大筋だ。


 一見するとシオンのルートは常に彼の心に寄り添い続けるだけで優しいルートに見えるが、ゲームのプレイヤーの多くはシオンのルートを「一番危険なルート」と評した。

 特に他のキャラの攻略を進めたいときは、シオンの好感度の上げすぎには注意しなければいけない。


 なぜかというと、シオンの好感度を一定数上げてから他のキャラのルートでエンディングに向かうと、あの穏やかで優しかったシオンが一変、メンヘラ化してしまうからだ――。



     ◇◆◇



 そう。あのルートは悲惨だった。

 シオンの好感度が上がるのが楽しくて、少しづつ上げながらルーカスルートを攻略していた時。エンディングで、突然現れたシオンがメンヘラ化してしまい――。いや、ほとんど記憶から消してしまっているからよく覚えていないのだが、なぜかわからないけれどシオンルートのバッドエンドへといざなわれてしまったのだ。

 あれは怖かった。だってルーカスを攻略しようとして、あんな展開になるなんて考えもしなかったから。


 リシェリアはサマーパーティまで、オゼリエ邸を出ることを禁止されている。

 だからアリナに会いに行くわけにもいかないので、あの謎のSOSの手紙を貰ってから、すぐに邸宅に招待する手紙を送った。その返信はすぐにあり、一週間も経たないうちにアリナはオゼリエ邸を訪ねてきた。


 そして前と同じようにサロンに招待して、使用人を遠ざけて、アリナからSOSの内容を聞き出したところだった。

 早口だったけれど、要約すると――。


「シオンが護衛について、ルート解放されて、好感度上げないようにするのが難しくてやばい」


 ということだ。


 たしかにこれはやばい。

 だけどシオンのルートは普通に攻略していても勝手に解放されることになる。なぜなら夏祭りの誘拐事件で、高い確率でシオンに助けられて、特待生として国の庇護下にあるヒロインを護るために派遣されるからだ。

 だから逃れられないルートではあるのだけれど、今回誘拐されたのはリシェリアだったから少し変わるのかと思っていた。


「それでアリナはこれからどうしたいの?」

「私はヒロインにはなりたくないの。だから絶対に好感度を上げてやらない――って思ってたんだけどね」


 ここに来るのにアリナは歩てくるつもりだったけれど、シオンがそれは危ないからと制止して、侯爵家の馬車を手配したのだ。

 ここに来る途中、暇だからシオンの話をあれこれ聞きだそうとして――。つい踏み込みすぎてしまったそうだ。


「岩と話しているみたいだったわ。騎士は私語はしないとか、騎士は甘いものは食べないとか。決められた言葉しか喋られないロボットのようだった……でも、ふとゲームの時のことを思い出して、言ってしまったの」

「『甘いものが好きなら無理しなくてもいいんですよ』、だったかしら」

「そうそう! それでシオンったら顔を曇らせて、『どうしてわかったんですか?』て訊いてきたから」

「『勘ですよ』って、答えてしまったってわけね」

「そうなんだよぉ~」


 ゲームの知識があるからか、ついゲームでの台詞を口走ってしまったみたいだ。

 言ってからではもう遅かった。シオンは明らかに狼狽えた顔をして、それから少し不安げにアリナを見つめてきたそうだ。その時になって、アリナは自分の過ちに気づいたらしい。


「あの顔、絶対好感度が上がったじゃん!」

「……で、でも、まだ少しだけじゃない?」

「うう、ゲームみたいにステータスがわかればいいのに。どうしてゲームの世界なのにステータスがわからないの!」


 アリナが嘆いている。確かに好感度がどれだけ上がっているのか分かったほうが、ヒロインになりたくないアリナとしては都合がいいのかもしれない。


「だからいま私は迷っているの。ポプラの花を使うかどうか」

「え、でも持ってないんじゃないの? それにその花で魔法を使ったら」

「うん。副作用があるかも。でも一回だけ試したかったし、ちょうどいいかなって。それに、リシェリアが誘拐されたときに花を持っていないことを後悔したから――。あの時私がポプラの花を持っていたら、リシェリアが誘拐される前に時を戻せたかもしれないでしょ?」


 それはリシェリアも考えていた。 

 だけど【時戻り】の魔法は危険なものだ。強力な魔法――それも、時間に逆らうというありえない魔法には代償・・がある。その代償は攻略対象者の好感度を上げて、「真実の愛」により打ち消すことが可能だけれど、アリナはヒロインにはなりなくないという。


 いまのところシオンの好感度を少し上げてしまったぐらいで、ゲームの終盤に必要な好感度には達していないだろう。

 もしいま【時戻り】の魔法を使ったりなんてしたらどうなるのだろうか。

 このままゲームの終盤になったら、精神を蝕んだり、寝たきりになったり――下手したら死ぬ可能性さえあるのに――。

 それならまだリシェリアが誘拐されるだけマシなのかもしれない。


 とてもじゃないけれど、リシェリはポプラの花を使うことを薦められないと思った。


「まだ、魔法は使わないほうがいいわ。それに、シオンのメンヘラ化を回避するのに、たしか最適なルートがあったはず」


 リシェリアはルーカスのルートばかり攻略していたから、他のルートは何回かやっただけであまり詳しくはない。だけどたしかSNSとかで、シオンのメンヘラ化を阻止するルートがあるという情報を目にしたことがある。確か、攻略難易度は高いけれど、シオンには高位貴族らしく婚約者がいて、それで――。


 アリナも思い当たる節があったのだろう。

 あっと声を上げると、机に前のめりになった。


「クラリッサ・オルサのことね!」

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