第10話 武術大会の日


 歩行者信号が青に変わったので、フラフラとした足取りで横断歩道を渡ろうとしたら、猛スピードの車が迫ってきた。

 突然のことで思わず足を止めた体が宙に浮かび上がり、地面に叩きつけられる。

 ぼやける視界から遅れて、全身を打ちつける激痛が襲ってくる。


(ああ、私、死ぬんだ……)


 なぜかそう悟っていた。まるで、何度も繰り返してきたかのように、自分の死の感覚に覚えがある。

 その時、どんどん暗くなる視界の端を、黒猫が通っていたような気がした――。



「っ!?」


 目を開けると馴染みのある天井。

 ここは、公爵邸にあるリシェリアの部屋だ。


「夢、か……」


 アリナと聖地巡礼をしてからもう数週間経っているのに、あれからよく同じような夢を見る。

 前世の自分が死ぬ夢。実際、前世で事故に会った時は、黒猫が横切ったりなんかしていなかった。だから、ゲームの馬車の事故と、実際に会った前世の死の淵の出来事を重ね合わせた夢だろう。


 前世の記憶が戻った直後も事故の夢はよく見ては、悪夢にうなされて目を覚ましていた。嫌な記憶ほど、薄れずに残ってしまうらしい。


「お嬢様、お目覚めですか?」


 扉の向こうから使用人の声が聞こえてくる。


「ええ、起きているわ」


 リシェリアは、慌ててベッドから抜け出した。

 今日は、待ちに待った武術大会の日だ。



    ◇◆◇



 武術大会は、王立学園の春の行事である。剣術を幼い頃から習っている者が多い貴族として、生徒たちの実力のお披露目も兼ねている。特に騎士を目指す者にとって、この行事は外せないものだ。

 在学生の親族に騎士団関係者、それから魔塔の関係者などもこの大会を観戦することはできるけれど、一般人が観戦することはできない。

 大会の参加者たちはもう、控室に集まっている頃だろう。


 武術大会が行われるのは、学園の敷地内にある競技場だ。魔法の競技があるため屋根はない。建物全体や観覧席などには厳重な結界が張ってあるため、安全性は保障されている。


 リシェリアは、アリナと一緒に一年生用の観戦席にいた。聖地巡礼以来、なにかと一緒に行動している。武術大会までは特に大きなイベントもなくゲームのストーリーが進んでいくので、ここ数日は穏やかなものだった。

 大会に出場するルーカスとヴィクトルは訓練などで忙しそうにしていたからか、リシェリアの周りは少し平穏になっている。あれ以来、ルーカスと至近距離で見つめ合うようなこともなかった。たまに教室とかでじっと見てきたり、隙を見せると近づいてきたりするので、逃げることはあったけれど。


 武術大会は、まずは剣術部門から行われる。今年は王太子がいるので会場内は例年よりも賑わっているようだ。


(みんな、ルーカスのことを見に来たのね)


 ゲームで一年生の優勝者を知っている身としては、すこし誇らしい。

 剣術部門はトーナメント戦だ。一組ずつ試合をしていては日を跨いでしまうので、決勝以外は複数の組ずつ同時に試合が行われることになっている。


 試合は順調に進んでいた。ルーカスはもとより、ゲームとは違ってヴィクトルも奮闘しているようだ。


「……剣を振るうヴィクトル様も、素敵……」


 隣で口に手を当てたアリナが感嘆している。

 その気持ちはリシェリアにも理解できた。


 ヴィクトルは奮闘も虚しく準決勝で敗退してしまったけれども、それでも一年生部門では上位の成績だ。充分実力はついてきていると言っても過言ではないだろう。もしかしたらこのまま騎士の道も……。


(いや、それだとゲームのストーリーが)


「リシェリア、次はルーカス様の試合よ」


 思わず反応して前屈みになってしまう。

 ゲームで先のストーリーを知っているので、彼が勝利するのはわかりきっているはずなのに、つい祈る。


 試合はほぼ圧勝だった。どうやらルーカスにとって、他の一年生は相手にならないようだ。

 剣を鞘に納めて互いに礼をした後、ふとルーカスがこちらを見た気がした。



    ◇



 その後も試合は順調に進んでいた。

 特に歓声が高かったのは、二年生のとある生徒が参加する試合だ。


「ねえねえ、リシェリア。貴公子の試合が目の前で見れるよ!」

「ええ、楽しみね!」

 

 ついはしゃいでしまうのも無理はないだろう。


 シオン・アンぺルラ。通称【アンぺルラの貴公子】。

 三人目の攻略対象者である彼の、登場シーンでもあるのだ。

 長い紫色の髪を一つに結び、肩から前に垂らしているその姿は、一瞬だけ女性に見えることもある。だが、代々高名な騎士を輩出しているアンぺルラ侯爵家出身の彼は、その実力も飛びぬけていた。まだ十六歳という若さにして、騎士の称号を持っているほどだ。

 誰もが彼の実力を知っていて、そして誰もが彼の秘密を知っている。


(シオンは、騎士として致命的な欠点を持っているのよね。今回の試合は、結界があるから血を見ることはないけれど、シオンは血が苦手だから……)


 心優しい彼は、他人の怪我をほうっておけない性格をしている。特に血を見ると、顔面が蒼白になってしまい、倒れることもある。

 だからシオンは、侯爵から「出来損ない」と言われて育っていた。

 シオンルートでは、心の弱い彼に寄り添い、彼のすべてを受け入れる必要がある。


(……まあ、ルートを解放するのに一番慎重にならないといけないキャラだから、多分関わることはないわね。ルーカスやヴィクトルのルートに進むのなら、絶対にやめた方がいいもの)


 二年生の決勝は、シオンの勝利により幕を閉じた。

 そのまま三年生の剣術部門の試合も終わり、一度昼休憩のために席を立つ。


「ねえ、リシェリアはこの後どうするの?」

「朝の内に購買のお弁当を買っておいたの。一緒に食べましょう」

「うん。それもそうなんだけど、午後もここにいるのかなって……」

「え?」

「もしかして忘れてる? 午後の魔術部門で、何が起こるのか」


 アリナの険しい顔を見て、リシェリアは思い出した。

 ゲームで、この後起こる四人目の攻略対象者が絡んだ事故・・のことを――。


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