第3話 ヒロインの様子が……
『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』のヒロインといえば、腰ほどまであるストレートの黒髪に、切り揃えた前髪と赤いカチューシャを付けているのがトレンドマークだ。
悪役令嬢のリシェリアほどではないけれど、けっこうな美少女だったはず。
プレイしていた時はほとんどヒロイン視点で、オープニングムービーやスチルでたまに顔を見るぐらいだったけれど、彼女の姿は印象に残っている。
学園に入学してからまだ四日ほどだけれど、なぜかヒロインとは一度も顔を合わせていない。彼女とはクラスが違うからだとは思うけれど、攻略対象者の中で一番最初にルートが解放されるルーカスとはもう出会っていてもおかしくないはずなのに全然姿を見かけないのだ。
靴箱の陰に隠れて、ヒロインの姿を捜す。
(あ、いた!!)
ゲームのオープニングムービーと同じ格好をしているから、ヒロインの姿はすぐに見つけることができた。
彼女がこれから攻略対象と仲を深めていく様子を遠くから眺められると考えると、ゲームの世界に転生したかいがあるというものだ。
ゲームで見たあのシーンやこんなシーンも間近で見られるんだろうか?
そう考えるとわくわくしてくるのと同時に、少しモヤモヤが残る。
「平民の特待生だっけ。たしか特別な力を持っているとか……」
「ええ、そうよ。彼女はね、王国でも珍しい属性の魔法をつかえ、る――」
ヴィクトルの話に乗っかるように、つい熱く語りそうになったリシェリアだけれど、すぐに言葉を止めた。
なぜなら優雅に歩いていたヒロインが、こちらに視線をやったかと思うとカッと目を見開いてずんずんと近づいてきたからだ。
「え、なんか近づいてくるんだけど」
(そうだった。ここには攻略対象のヴィクトルがいるんだった!)
慌ててヴィクトルの傍から離れようとしたが、その前にヒロインに腕を掴まれてしまう。
「な、なに……」
「あなた!」
よくわからない展開にリシェリアが動揺していると、顔を近づけてきたヒロインがとんでもないことを口にしたのだった。
「私の代わりに、このゲームのヒロインをやってくれない?」
「……………………は?」
リシェリアがとぼけた声を出してしまったのも無理のないことだった。
『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』に置いて、ヒロインが攻略対象と関係を深めていくのは、平和な表ルートのシナリオを解放するのにとても重要視されていることだ。
なぜなら中途半端に好感度を上げてゲームのエンディングに向かうと、高い確率で裏ルートに行ってしまい、惨憺たる結末が待っているから。メリバはもちろん、ヒロイン死亡や攻略対象が足を切断されるなど、苦しいバッドエンドを招いてしまう。
だからこのゲームにとって、他の登場人物がヒロインの代わりになることなんてできない。ましてや悪役令嬢が代わりになんて、惨い結末が待っているに決まっている。
だからリシェリアは即答した。
「無理です!!」
「え、どうして? だってヒロインだよ? イケメンたちと仲を深められるんだよ? ……と言ってもわからないか。そもそもここはゲームの世界なんだから突然こんな話しても意味分からないよね。あの、ちょっと聞いてくれる?」
饒舌にヒロインが語りはじめる。その語りはなんだか前世の自分を思わせた。同類のオタクの匂いがした。
「私はね、壁になりたいオタクなの。それなのにヒロインに転生しちゃってさ、どうしようかずっと悩んでいたんだけど、良いことを思いついたの。私の代わりに誰かにヒロイン役をやってもらったら、それを遠くから眺めて推しを敬い崇められるって! やっぱり推しと自分が仲良くなるなんて夢小説じゃない? そんなの誰得って感じでしょ。そう思っていたら同じ黒髪のあなたを見つけたの。だから、どうか私の代わりにヒロインになってください!」
「む、無理です……」
「そんなことを言わずに!」
「ねえ、リシェが断ってるんだから、そんな意味の分からないこと押し付けないでくれる?」
「え? あ、……ァッ」
さっきまで饒舌に語っていたはずのヒロインは、そこでやっとヴィクトルの存在に気づいたらしい。
ヒュと息を止めると、彼女はカッと見開いた目でヴィクトルを見つめ、それからガバッと頭を下げた。
「ああ、推し様……いえ、ヴィクトル様……! し、失礼しましたぁ!」
「推し?」
耳慣れない言葉に首を傾げるヴィクトルから逃げるように、ヒロインはそのままの姿勢で後退ると、踵を返してどこかに走って行ってしまった。
「ねえ、あの人、頭がおかしい人?」
「い、いや、そんなことないと思うけど」
あはは、と言葉を濁しておく。
(ゲームに、前世に、推し……。これって、やっぱり)
ヒロインも転生者だよね?
◇◆◇
ウルミール王国に通う貴族の子供たちは、十五歳になると王立学園に通うことになっている。学年に通う前に家で基本の教養を身に着けていることは大前提であるから、学園では共通の座学のほかに適正に合わせて魔法学、選択科目の芸術や武術などを学ぶ。
学園では表向き身分を問わずに接するようにという校訓があるけれど、それでも最低限の礼儀は持つべきというのが貴族としての教訓だ。
だから王族や高位貴族に自ら話しかける人はほとんどいない。まあでも何かしらきっかけを持って話しかけようと企んでいる人はいるけれど、それは置いておいて。
この学園に、高位貴族である公爵家の令嬢――リシェリアに自ら話しかける人はほとんどいなかった。いままでは、だけれど。
「ねえ、あなた名前なんて言うの? 私はアリナ。アリナって呼んでね」
昼休憩。同じクラスのルーカスから逃げるために、チャイムが鳴ってすぐさま教室から出たリシェリアを迎えたのはヒロインだった。
(アリナは、ゲームの初期設定の名前だったわよね)
周囲にいた人たちが、チラチラこちらを伺っている。
いくら地味な見た目だからと言っても、リシェリアは公爵令嬢だ。気安く話しかけていい相手ではない。今朝もそうだったけれど……。
とりあえず空き教室とか、人目がないところで話したほうが二人とも目立たずに済むだろう。
悩んでいると、背後からルーカスの声が聞こえてきた。
「リシェリア」
振り返ると教室から出てきたルーカスが近づいてくるところだった。
前にはヒロイン。背後には攻略対象。
(これは、出会いイベント!?)
本来なら入学式の後に校庭で起こるイベントのはずだけれど、二人はまだ出会っていないようなのだ。
だったらいまがその時なのかもしれない。
「ごめんなさい、アリナさん。自己紹介はまたあとで。私は用事がありますので」
ルーカスから逃れるためにアリナの横を通り過ぎる。その時、呟く声が聞こえてきた。
「え、リシェリアって……確か、悪役令嬢の」
「……リシェリア、待って」
内容が気になったけれどルーカスの呼び声が近づいてきているので、リシェリアは一目散に入学してから休憩時間の定位置になっている隠れ場所に向かった。
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