第2話 黒髪
ルーカスとの初めての顔合わせの日の早朝。
鏡に映る自分の姿は、まさしく理想だった。
派手な銀髪を黒髪で隠しておさげにし、貴族らしからぬ分厚い黒ぶち眼鏡を掛けることによりキツイ印象のある目元を隠す。
よしっと意気込んでいると、私の姿を整えてくれた侍女が「はあ」と盛大なため息を吐いた。
「……せっかくのお嬢様の姿が……なぜ」
その嘆きはわからなくもない。
でも、これは処刑回避のために必要なことだ。
自分の姿を隠して、地味に地味で地味な令嬢として、目立たないように生活をする。
もうすでに王太子との婚約は結ばれていて、自分の力で解消することはできない。
だったら相手から婚約を破談にしてもらえばいいのだ。
この姿ならだれがどう見ても、未来の王太子妃――よくよくの王妃には向いてないって思うだろう。
それにこれだけ地味に過ごしていたら、ヒロインが王太子ルートを攻略しても、事件を起こさずに円満に婚約を解消してもらえるかもしれない。
これから初めて婚約者との顔合わせだ。
この姿なら、ルーカスもリシェリアに興味を持つことはないだろう。
――そのリシェリアの考えはある意味正解だと言えるが、実際はどんな格好をしていたとしても、ルーカスがリシェリアに興味を抱くことはなかっただろう。
ゲームでのリシェリアは美しすぎる悪役令嬢としても有名だった。その美貌に絆されない男なんていないと、ゲームをプレイしていて思ったほどである。
だけどルーカスはその美しいリシェリアの姿にも、その凍りついた表情を変えることはなかった。
だから、リシェリアが本来の格好をしていたとしても、ルーカスは眉ひとつ動かさなかっただろう。
――そのはずだったのに。
十五歳になって学園に入学するまでの間に、リシェリアに対するルーカスの態度が少しずつ変化していた。
◇◆◇
図書室でルーカスにつかまりそうになった翌日。
昇降口にある靴箱の陰から、隣のクラスの靴箱を伺うリシェリアの姿があった。
地味令嬢に扮しているので、その姿は周囲から見ても気づかれないという自信はあったのだけれど、見張りを初めて数分もしない内に声を掛けられてしまう。
「なにしているのさ、リシェ」
リシェリアのことをリシェと呼ぶのは家族だけだ。父であるオゼリエ公爵がここにいるわけがないから、残っているのはただ一人。
振り返ると思った通りの人物が、呆れた顔を向けていた。
「ヴィクトル。私は忙しいの。だからあっちに行って」
「いや、でもさ。明らかに不審者なんだけど」
「え? そうかしら?」
「悪目立ちしているから。あまり変な行動ばかりしていると、弟として恥ずかしいから本当にやめてよね」
ヴィクトル・オゼリエは、ぼやきながらそう言うと靴を履き替えた。
彼はリシェリアの従弟にして、オゼリエ家の養子だ。
リシェリアの母は娘を産んですぐに儚くなってしまった。妻一筋だったオゼリエ公爵は後妻を娶ることなく、娘にすべての愛情を注いで育ててくれた。
だけど公爵家として跡取りがいない状態というのは好ましくはない。だから親戚の中でも特に優秀だったヴィクトルを養子に迎え入れることにしたのだ。
ちなみにこのヴィクトル・オゼリエも、『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の攻略対象のひとりだ。
「リシェはただでさえ目立っているんだから」
「え、私がどうして目立っているの?」
「どうしてって、そんな恰好をしているからでしょ」
ヴィクトルの視線がリシェリアの髪に向いた。
「黒髪はこの国では珍しい上に、そんなやぼったい格好なんかしちゃってさ。皆が陰でなんて言ってるか知っているの?」
「うっ」
知っている。
リシェリアの格好はお世辞にも貴族令嬢として好ましいとは言えない。
地味な格好もそうだけれど、何よりもその黒髪が問題だった。
ウルミール王国で黒髪は珍しいものとして、忌避されている。それなのに、幼かった頃はそのゲームの設定をすっかり忘れてしまっていて、つい黒髪のウィッグを被ってしまったのだ。黒髪のウィッグを求めた時の侍女が青ざめたような顔をしていたのを思い出して、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「まあ、でも今学期は珍しいことに黒髪が二人いるからね。リシェだけが目立っているわけじゃないけどさ。というかリシェは本来の髪色は黒じゃないんだし……」
リシェリアの本来の髪色は銀髪だ。それも光り輝くほど眩しい色。
だけど幼い頃から地味にみられるために黒髪で過ごしてきたから、家族以外のほとんどはリシェリアの本来の髪色を知らないだろう。
「それにしてもリシェはおかしいよね。僕と初めて会った時はあんなにも本当のあなたの姿を見せて、とか言っていたのに。自分の姿は隠すんだから」
「だ、だって、目立つものっ」
「いまも目立っているよ。両親とは似ても似つかない黒髪に、分厚い眼鏡を掛けていて、とてもじゃないけれど王太子の婚約者に相応しくないって」
「うっ」
そう思われるように過ごしてきたのは自分だけれど、直接言われると少し傷ついてしまう。
「黒髪って、そんなにへんなのかしら……」
前世の日本で黒髪は当たり前だったから、この国の価値観に慣れる気がしない。
「ああ、噂をしていたらもう一人の黒髪がきたね」
「どこっ!?」
ヴィクトルの言葉に周囲を見渡す。
もう一人の黒髪といえば、彼女しかいない。
このゲームのヒロインだ。
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